【東京見聞録】(Part3)
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高速機動隊


結局,ホテルのフロントで、私と村松氏がルームキーを受け取っている間に他の2名が何食わぬ顔をして通り過ぎ、エレベーターに乗って宿泊フロアーで待機するという作戦に決定致しました。ホテルへ到着するとフロントにお客が一名フロントマンと話をしていたので、すかさず私と村松氏がフロントに近づき、私の体でフロントマンの視界を遮り、その間に二名が私達の後ろを通って見事に潜入成功。あまりにスンナリいったので,かえって物足りない感じなのであった。しかしこのあと、じゅうぶんに物足りる事になる。

部屋に入ると新たな問題が持ち上がった。
ソファーに寝るというのは良いのだけれど、当然一人分、毛布が足りないのである。考えてみれば当たり前であるベッドも毛布も三人部屋なので三人分しか無いのだ。わたしはソファーでも良かったので「宿泊代を持ってくれるなら私がソファーへ寝るよ」などとホテル代を浮かせようとして言った。しかし鈴木氏もさすがに気が引けたのであろう「いいよエアコン効いてるし、バスタオルが3人分あるからそれで寝るよ」と言ったのでホテル代は浮かせる事が出来なかった。残念に思いながらも鈴木氏には「僕の毛布をあげるよ」と励ました。

それから酔いを醒ますために各自シャワーを浴び・・・ようとしたのだが,バスタオルは鈴木氏が布団の代わりに使うというので、4人は小さいフェイスタオルで体を拭き部屋の冷蔵庫のビールで「本日お疲れ様の会」をしばし行い、眠りについた。



・・・と言いたい所だがぁ、なんと村松氏がベットに入って約16秒程で豪快なイビキをかき始めたのであった。うーんウルサイ。「くそぉー,寝た者勝ちだなぁ〜」とソファーの鈴木氏と私は、あきらめて再び寝酒のウイスキーを冷蔵庫から出し鈴木氏の寝床、つまりソファーで飲み始めたのであった。

深夜のテレビも終わってしまい、仕方なく私もベッドに寝ころび睡眠に入ろうと努力をしていた。そのうち隣のベッドの内海氏が「グゴゴゴゴォー」とイビキを始めて、不幸にも村松氏と内海氏の間のベットである私は、豪快なイビキのドルビーサラウンドを、明け方近くまで聞く羽目になった。

わたしは自宅で寝るときもテレビやラジオがついていると気になって、なかなか眠りに入ることが出来ないという、とても繊細な神経を持っているのである。だからイビキのドルビーサラウンドでは、とてもじゃないが眠る事など出来ないのだ。たびたび二人の顔を枕で叩いてイビキを止めようと努力はしたが「焼け石に水」であった。結局明け方の5時頃になってようやくイビキのステレオ放送がモノラルになり、少しウトウトする事が出来たのだった。



朝。完全にむくんでいると思われる顔を洗ったのが7時32分であった。歯を磨いていて、備え付けの歯ブラシは3本しか無い事に気が付いたのだが、ソファーで寝た鈴木氏は用意が良く、自分の旅行用歯ブラシを持っていた。もしかすると初めからこうなる事を予想していたのでは?と、疑ってしまった。

朝食はバイキングである。昨日チェックインする時に「明日の朝ここで待ち合わせしているから朝食券は4枚ください」と、あらかじめフロントで貰っておいたので、朝食は大イバリで4人揃って食べる事が出来た。内海氏は良く眠れたと見えて,ご飯2杯とクロワッサン1個と、トースト2枚を旨そうに食べて「今日は頑張って勉強しようね」といい気なもんである。

わたしはどうも胃の調子が芳しくない。しかし少しでも何か食べておかないと余計に胃がおかしくなりそうなので仕方なくご飯二杯と味噌汁と海苔とシャケとウインナーとスクランブルエッグを食べたのであった。食事が終わると4人はフロントへ荷物を預けて堂々とホテルを後にしたのでありました。



新宿南口で切符を買い、総武線だったか東武線だったか忘れてしまったが直通の各駅電車で秋葉原へは11時前に着いたのであった。いよいよ秋葉原である。さっそく一行を引き連れてアキバ巡りを開始したのだが、就寝アクセス速度16秒の村松氏の息子が,今年大学生になりパソコンが欲しいというので「選んで欲しい」と依頼されてしまった。頼まれるとイヤとは言えない私である。横浜の大学に通う息子さんの下宿に電話をして、何に使うかを聞き、予算の範囲で良い物をと色々見てまわる内に学会の時間が近づいてしまった。

結局,マシン自体の値段より初めからインストールされているソフトの定価の合計の方が高いと評判の、富士通のFM−Vに決定したのだが,おかげで私は自分の物を何一つ買うことが出来なかった。

一行は電気街の反対側へ行く途中のガード下の「そば屋」でお昼を済ませ 足早に会場へと昨日の「酔っぱらい軍団」とは思えぬ真面目な顔で歩いていった。今回の学会は二日酔いと寝不足にもかかわらず、皆で一生懸命に勉強をした。(理由は簡単である、会費が高額だったからなのである)

勉強は午後六時に終了。駅の西側にあるセルフサービスのカレー専門店で夕食を済ませた一行は再び電車で新宿へ戻り,ホテルサンルートに預けておいた車に乗り込んでホテルサンメンバーズのフロントで荷物を受け取ると,一路静岡へ帰る・・・予定であった。



ところが首都高へ向かっている途中、鈴木氏が「のどが渇いたからお茶でも飲みながら反省会をやって帰ろうか」と言った。私は「そういう事は車に乗る前に言って欲しかったですねぇ、今から駐車場探しは面倒だなぁ」と言うが、内海氏に「なんだ,停めれるとこ、知らんの?」と聞かれたので「普段は、サンシャインの地下の駐車場に停めるんだけどね」と言ったその瞬間に三対一の多数決で「池袋、反省会」が決定してしまった。勿論、私が三対一の「一」の方であった。

首都高に上り 、環状線から5号線に乗り換えて20分程でサンシャインの地下駐車場に到着。池袋の駅に向かって歩き出したみんなに「喫茶店ならサンシャイン60にも有るのに」と言ったのだが「池袋も見学しなければなぁ」と、3人はズンズンと先へ歩いて行ってしまった。

東急ハンズの手前で地下道の動く歩道に乗った鈴木氏が歩道の上を歩きながら「おおっ!エイトマンみだだぁー、ねぇー見て見て!」と大きな声ではしゃいだので、中央の歩道を歩いていた約18人の一般歩行者が我々の方を見た。さすがに酔っぱらっていない私達は、急遽、他人のフリをする事にした。

東急ハンズ前を通り、キョロキョロと挙動不審の三名が私の前を歩く。「おおっ,スゴイスゴイ、何処もかしこも人でいっぱいだぁ〜!」と大きな声で話すので、私は他人のフリを継続したまま約8メートル後方をついて行ったのである。しかし、その他人のフリ後方8メートルが裏目に出てしまったのであった。喫茶店と言ったのに前を行く三人はいきなり居酒屋へ入ってしまったのだ。「やばい!」あわてて追いかけて居酒屋へ入ると3人はすでにビールと升酒を注文してしまった後であった。



11時近くまで「池袋の喫茶店変更居酒屋反省大会」は行われた。「そろそろ帰らないと,明日の仕事に差し支えますよぉ」と、お茶をすすって我慢していた専属ドライバーの私は再三に渡って進言していた。

11時。やっと「おお!もうこんな時間かぁ、少々長居をしてしまった様ね」と,赤い顔をした就寝アクセス速度16秒の村松氏が言った。外へ出るといつしか雨が降り始めていた。

急いでサンシャインの駐車場に向い店舗にシャッターの閉まった静かなサンシャイン地下駐車場に降りて十一時過ぎ。池袋を後にしたのである。そして首都高から東名高速に入ったのが十一時半であった。このまま順調に走れば一時半頃には着く予定である。ハイウェイラジオも渋滞や工事の情報は伝えていなかった。「どこかで休憩します?」と聞いた時には三人ともすでに深い眠りについていたのであった。

車は静岡県に入った。御殿場を過ぎたあたりで後からパトカーのサイレンの 音が近づいてきたので「こんな雨の日に大変な仕事だなぁ交通機動隊は」と速やかにパトカーに道を譲ったのだが、パトカーは私の車を追い越さず隣に並んで「左によって止まりなさい!」とおっしゃった。



そーです、高速機動隊に捕まってしまったのである。何故こんなに多く走る車の中からよりによって私を選ぶのだ。しかし、場数を踏んでいる私はパトカーから隊員が出てくると同時に車検証と免許証を出してドアを開いていた。隊員がこちらの車に到着する前にドアを開けて「どうもすみませんでした」と謝ってしまうのである。ちなみに私は気も小さいのである。

パトカーへ連行された私 は後部の来賓シートに座った。そして前の座席の間にある、新型デジタル速度取り締まり測定器の表示している赤い数字を見てビックリしてしまった。何と125キロと出ているではあ〜りませんか。雨で制限時速が80キロのところを,知らないこととはいえ(知ってたけど)45キロもオーバーではありませんか、どう考えても60日の免許停止なの である。うーん、困った事になってしまった。

隊員「はい、免許証出して」(非常に怒っている)

 「は、はい、ただ今」(非常にビビっている)

しかし,免許証など暫く出したことが無かったので財布の何処に
入れたか判らない,カードばっかりで、免許証がなかなか見つからない。
ゴソゴソ・・・。

隊員「どうしたの?」
(少しイライラしている様子である)

 「は、はい、・・・て、手が振るえちゃって」
(冗談のつもりで言った)

隊員「ゆっくりでいいんだよ」
(急に柔らかな表現になった)

拓 「お待たせしました」
(心から神妙に,そして丁寧に両手で差し出す)

隊員「それと車検証をね」
(おや?チョット柔らかな言い方,もしかして)

 「はい!」
(待ってましたとばかりに,車検証を差し出す)

隊員「雨だから、80キロなんだよねぇー」

 「はい!」
(言い訳はしない)

隊員「足柄からずぅ〜っと見てたけど、一台も抜かれなかったね」

 「はい!」
(自慢じゃないが池袋から一台も抜かれていないのだ)

隊員「赤キップだよぉ?」
(この言い方は?!経験上許してくれるパターンだ!)

 「はぁー・・・」
(こういう時の返事のコツは、ため息とも返事とも つかない表現をする)

   (●この間の雨の日の走り方、及び交通ルールの授業約5分は割愛)

隊員「今回スピードは見逃してあげるから、気を付けてね」
(とても良い雰囲気につつまれる)

 「あ、ありがとうございます」
(本当に心からお礼を言う)

隊員「ずーっと右を走っていたから走行区分違反で、1点の6000円ね」

 「はい!」
(免停に比べれば、ニコニコしてしまいそうである)

隊員「過去2年間に違反したことあるかな?」

 「ありません」
(3年前に免停になった事があるだけなのである)

隊員「じゃあ、3ヶ月で消えるから、」

 「はい!」
(わーい!)

隊員「1回捕まると、短期間で何度も捕まる事が有るから気を付けてね」

 「そうなんですか〜」
(あまりに親切な隊員のお言葉に感動する)

隊員「じゃ、気をつけて帰って」

 「ありがとうございました」
(嬉しくて嬉しくて仕方がない)

隊員「パトカー出たら、後続車に気をつけて路側帯で十分加速して出てね」

 「はい!失礼しまあーす!」



車に戻ると三人とも心配そうに聞いた。「どうだった?」
私は「90日の免停で10万円の罰金で免許証取り上げられた」と言った。ゴクンと生唾を飲み込む音が聞こえた様な気がした、元はと言えば私を無視して居酒屋などへ入ったりするからこんな事になったのだ。しかし、皆とてもすまなそうにガックリしたので、パトカーであった事実を話してあげた。

「ほんとうかぁー?!」。
3人は「ラッキー!」と,新宿の「お釣り8000円事件」の時と同じ奇声を上げて喜んだ。まったくワンパターンな奴らだ。そして超安全運転で無事に家に帰りついて,罰金も三人が出してくれたのであった。めでたし、めでたし。
よかった。よかった。

 

 

  • ◆しかし、この4ヶ月後に30日の免停になるのであった。くぅぅ。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「東京見聞録」おわり。


     


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