思ひ出
AOWAOW Essay.


 

TOP MENU./Essay./ Joke's./ LAND. /Gallery./X-File /Profile

【セブ島の子供達を学校へ】
教育支援NPOプルメリア



  • File 12【思ひ出】

    私は静岡県は沼津市の千本海岸で生まれました。あ、海岸で産み落とされた訳では有りません、地名です。三島市は函南町で小学二年まで暮らし、その後父の転職の為に磐田市に移り中学まで過ごしました。高校は大阪の富田林の寮に三年間、そして学生時代は仙台の農家の納屋の上。仕事の研修で富山県の氷見市と高岡市で二年、長野に半年、静岡に戻って焼津で一年過ごした後、現在暮らしている場所に家を建て約十四年が経ちました。

    考えると現在暮らしている所が、私の人生で一番長いという訳です。いろんな家の飯を食べて来ました。そして「幼なじみ」とか「竹馬の友」というのを知りません。小学校の二年の夏、私が引越しで遠くへ行くというので仲の良い友達、五人が集まって最後の山狩りをした時の事を思い出します。「山狩り」というのは、当時近くの森で(子供には森も山に見えた)探検したりカブト虫やクワガタ獲りをする事を、そう呼んでいました。その森の中の草むらには、私たちが毎日のように歩いて自然に出来た草むらの道。秘密基地に向かう為の最短コースがあります。

    その道を最後に通った時、仲間がアオダイショウの抜け殻を見つけました。そしてその抜け殻をグイッと差し出し、私にくれたのです。私は喜んでアオダイショウの抜け殻を首に巻き、みんなと秘密基地へ向かったのでした。今ではその抜け殻をくれた仲間の名前も、秘密基地の場所も、覚えていません。でも、抜け殻を私に渡すときに見せた仲間の笑顔だけは、今でも私の脳裏に焼き付いているのです。

    「忘れようにも思い出せない友の顔」


  • 私のファイルの MENU へもどる
    Copyright (c) 1997 TAKUFUMI SUZUKI. All rights reserved.