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The ruins of Nagakubo castle and Armor Abyss

城趾 (長久保城) ~ 鎧が淵

静岡県裾野市と沼津市との間に長泉町という小さな町がある.国道246号を裾野市側から下ってくると,オートバックスを左手に通り過ぎた辺りが,長久保城址である.今は城山神社という名前になっている.

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実はわたしは幼少の頃,この神社のすぐ近くに住んでいて,どうやらその本丸の隅の当たりに当たるようである.確かに,辺りには昔からの石垣があったが,246 が開通し,今はその跡かともない.ただそのわきにひっそりと小さな神社があるのみ.中に入ってみると,そこが城跡であることを語った看板があるが (写真右),詳しいことは書かれていない.

元々は御殿場の豪族,葛山氏の築城ではないかと言われる.その後,北条,今川,武田による奪い合いとなった.最も長く支配したのは北条氏であったらしいが,どうも支配した豪族たちが必要に応じて増改築を繰り返したと思われる.武田氏による支配の時には,武田式に改築され,この地方では数少ない武田の縄張りであったとされるが,最近では疑問視されている.

後の秀吉による小田原城攻めの際には,家康が長久保城入りしたとされる.その上で秀吉をこの城に招いて作戦を練ったとされる噂もあるが,これはどうも信憑性が薄いらしい.

関ヶ原の戦いの後,城主が転封となり,長久保城は廃城となった.この地方は幕府の直轄地であり,城などはもはや不要というわけだったのだろう.特に近年では,この辺りは採土の対象となり,その面影は急速に薄れていった.

鎧が淵

黄瀬川の下流には,鎧が淵と呼ばれる地名がある.武者達がその鎧に着いた血を洗ったなどの諸説がある.以下のような伝説もある.武田氏が今の静岡の東部に攻め込み,北条家の武士達は敗れ去った.合戦の後,あるb落ち武者bが黄瀬川に沿って上流へ向かい,逃げ延びていた.追っ手の気配はない.長い間逃げ続けていた武者はその場に座り込み,眠り始めた.

ところがどのくらい経ったのか,人の気配,話し声が聞こえる.武者bは咄嗟に草むらに身を隠した."この辺りだ,この辺りにいるはずだ !!" 武者はこのままでは逃げ切れぬことを悟った.武者は身に付けていた鎧と兜を脱いだ.そしてタイミングを計って,川に投げ込んだ.追っ手が見たのは,沈んでいくと兜と周囲にたった泡だった."何と,潔いことよ.かなわぬと知って,川に身を沈めたか." そう言って追っ手達は去っていった.

一難去った武者は,近所をさまよい一軒の農家を見つけた.当時この辺りは長い間北条の支配が続き,それに慣れていて,戦に敗れた武者を見て農家に住む夫婦は武者を哀れに思い,一晩の宿と食事とを与えた.武者は大変感謝して去っていった.数年後,立派な身なりをした僧侶が訪ねてきた.そして相当の金を夫婦に渡して去っていった.多少身なりが変わっても,夫婦にはすぐに分かった.それが数年前自分達が助けた武者であることを.


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