~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        国語審議会の、略字3種を認める方向について        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~         ★ 更新履歴          ※  賞味期限切れ(?)の文章を削除した。(99.9.17.)          ※  最初に、「国語審議会の方針」を追加。(99.9.17.)          ※  最後のあたりに、「私の立場」を追加。(99.9.19.)          ※  215字のうち「淫」について追記した。 (99.9.20.)          ※  ◇ 印の 2箇所を、追記した。    (99.9.30.)  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 国語審議会の方針 】  国語審議会では、日本新聞協会の要望を受けて、次の三つの部首については、 略字体を広く一般に認めることを、検討するそうだ。(99.9.18 読売朝刊)    「しんにょう」「しめすへん」「食へん」  この件については、以下に述べたとおり、すでに文字講堂でも見解を示して いる。その要点は、次の通り。  「新聞協会では、『これらの部首が新聞でひろく使われている』ということ   を要望の根拠としている。しかし実際には、これらの部首を用いた文字は、   ほとんど使われていない。例外的にのみ、使われるだけだ。というのは、   新聞は、漢字制限をしており、これらの文字(常用漢字以外)は、原則と   して、使われないからだ。『これらの部首が新聞でひろく使われている』   という新聞協会の意見は、虚偽であり、虚偽にもとづいて、方針を決める   べきではない」  具体的に示せば、たとえば「蝕」だ。この字は、平野啓一郎の「日蝕」を報 道するときに、大量に利用された。  ところが、である。  平野啓一郎の書籍の題名は、一種の固有名詞であり、これを勝手に、(元の 正字から)略字に書き換えることは、好ましくない。  一方、「蝕む」「腐蝕する」などの一般語の場合は、略字でもよいかもしれ ないが、新聞では、これらを略字で書くことはまずない。「むしばむ」「腐食 する」というふうに、ひらがなか代用字で書く。  結局、『これらの部首が新聞でひろく使われている』という新聞協会の意見 は、虚偽なのだ。  虚偽に基づいて、結論を出すべきではない。 (たとえ略字を採用するにしても、虚偽でなく、正しい理屈によるべきだ。   本当は、「自社の印刷システムの変更コストを下げたい、というのが理由   だろう。)    ※ ついでに言えば、読売新聞は「日蝕」を正字で記した。こういう      毅然たる態度こそ、尊重されるべきである。       「略字だけに統一しよう」というのなら、まだわかる。しかし、      「略字と正字の双方を流通させよう」というのでは、いたずらに      混乱が生じる。 ( cf. 「略字侃侃諤諤」のページ)       しかも、その文字を使うならまだしも、「原則として一般語に      は使わない。使うのは"固有名詞"のときだけ」というのでは、何      をか謂わんや。    ※ 上の三つの部首だけを例外扱いする、というのも、変である。      どうせ「新聞で使われている」という理由を用いるのなら、朝日      略字のすべてを認めるべきだろう。       ついでに、一般化して、康煕字典のすべてもだ。      (そうせず、「新聞で使われている」と限ったところに、経営上       の理由が窺える。)    ※ 最大限、譲歩したとしたら……      「しんにょう」「食へん」は、まだ略字体を許容できなくもない。      略字形も、正字形も、パッと見た限りでは、大差ないからだ。       しかし「しめすへん」は、絶対にダメだ。「示」と「ネ」では、      字形がまったく異なる。まったく別の2種類の字形を、むやみやた      らと流通させれば、いろいろと混乱が生じる。       新聞社にとっては好都合だが、国民にとっては大迷惑だ。    ◇ よく考えてみたら、「食へん」も、おかしい。      「食へん」は、略字体と正字体とで、差が少ない。その意味で、      二重流通の弊害は少ない。つまり、マイナスは少ない。       その一方、プラスも少ない。「食へん」を正字体から略字体      に変えたことで、どれほど意味があるのだろう? 「鴎」なら      ば、略字は正字に比べて画数が少ないので、「見やすさ」とい      うメリットがある。しかし、「食へん」の略字体と正字体とで      は、パッと見たときに、ほとんど差がない。新聞のように小さ      な文字では、虫眼鏡でも使うか、目を凝らすかでもしなければ、      その違いに気づかないだろう。       つまり、マイナスも少ないかわり、プラスも少ない。略字体      を導入することの意味はほとんどない。あるとしたら、新聞社      で、旧来のシステムを変更するコストがいくらか低減できる、      ということだけだ。読者にとっては何のメリットもない。ただ      混乱が生じるだけである。       「食へん」の略字体を導入するくらいなら、まだしも文化庁      の調査に現れる「麺 溢」とか、あるいは「噂 嘘」とかの略字      の方がマシである。これらならいくらか、導入の意味がある。      要するに、新聞社の要望はまったくの見当はずれだ。    ◇ 新聞とJCSとの関係について、ひとこと付言しておく。      JCSはやたらと、「新聞では×××だから」と、言い立てる。      よほど新聞というものがお好みらしい。(ふだん新聞しか読ま      ない[読めない]のだろうか、と勘ぐりたくなるくらいだ。)       さて、新聞というものは、漢字制限をしているのだ。つまり、      標準的な日本語の表現をしているわけではなく、「漢字をろく      に知らない低レベルの読者でもわかるように」という配慮から、      漢字のレベルを下げているのだ。「語い」とか「終えん」とか      いう用字もその例である。要するに、お子様ランチみたいなも      のなのだ。       こんなものを重視するJCSの方針はおかしい。(JCSと      いう存在そのものがお子様ランチみたいものなのかもしれない      が。)       そしてまた、新聞協会の方針もおかしい。自分たちは漢字制      限をして、奇妙な日本語を使っているのだ、とわきまえるべき      だ。自己流に日本語を歪めておいて、その歪んだ日本語を他人      に押しつけるため、標準化しよう、などというのは、傲岸も甚      だしい。(おのれの姿に気づかないのだろうか? 「終えん」      などと書くのは、上着だけつけて、ズボンをはかずに、パンツ      丸出しみたいな姿なのだ。少しは恥を知ってもらいたい。)       そしてまた、国語審議会も同様だ。まともに言葉を使えない      舌足らずな幼児みたいな連中から、「ぼくたちゅ、こうゆうの、      ちゅかいたいんでちゅ」なんて言われたからといって、それを      いちいちまともに取り上げるべきではない。たとえば、小学校      の教師を見習うがいい。彼らは生徒に迎合して、「正解」とい      うものをゆがめたりしない。生徒たちが「こうしてくれ」と言      ったからといって、その要望を受けて、「正解」を勝手に変更      することはない。愚かな生徒の自分勝手な要望などは、毅然と      して無視する。       もちろん、だからといって、(誰かのように)唯我独尊でも      困る。聞くべき声はある。それは、識者の声である。小説家と      か、漢字の研究者とか、出版関係者など。そうした声は尊重す      るべきだ。しかし、ろくに漢字も使えない幼児の声など、いち      いち聞くべきではない。       幼児のような漢字レベルの連中が、「むじゅかちい漢字は、      ちゅかえまちぇん。簡単にちてくだちゃい」と言っても、そん      な声は無視するべきなのだ。彼らには、幼児用のひらがなだけ      を与えておけばよい。(たとえば「彙」のかわりに「い」を。      「食」へんの文字も同様。)    ※ おまけを言えば、国語審議会は、やるべきことを間違えている。      JCSは、「新JISから正字を大幅に切り捨てる」という方針      を立てたのだから、この方針をこそ、扱うべきなのだ。       JCSの方針では、JISは、「日本語のための規格ではなく、      漢字によるデータ処理のための規格」となり、日本語が切り捨て      られる。( cf. 「補足」[codemail.txt] のページ)       ここで国語審議会が声を上げなければ、存在理由がなくなる。    ※ また、例の215字から漏れた分(83略字)についても、言及する      必要がある。たとえば、「湮」の正字。(新JISにない)    ※ また、例の215字だが、新JISでは、一部の文字がないようだ。         (たとえば「淫」の正字がないようだ。国語審議会では、          正字の方のみを認めているのだが。)       つまり、国語審議会の方針は、JCSに無視されているわけで、      何らかの対処が必要だろう。JCSは、「こっちは国語審議会よ      りも偉いんだ、文字のことはこっちで決める」と思っているらし      いが。( cf. 「codejcs1.htm」のページ)    ※ JCSではどうも、「画数が同じならば包摂する」と考えている      可能性がある。奇々怪々な話だが。  (90JIS は異なる。)  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 日本新聞協会の要望について 】  1999.06.11 の読売新聞朝刊報道によると:  日本新聞協会は国語審議会に対し、新聞の実態に配慮して略字体の一部を認め るよう要望する意見書を転出したのだそうだ。その骨子は次の通り。  (1) 加盟各社の実態を調べたところ、略字体を使用している社が少なくない。  (2) そこで次の部首については、常用漢字に準じた略体を認めてほしい。      ・ 2点しんにょう → 1点しんにょう      ・ しめすへん(示) → しめすへん (ネ)      ・ 食 へん (飮のへん)  →  食へん(飲のへん)  (3) 部分字形についても一般に緩やかに緩やかにしてほしい。      ・ たとえば「噂」の右上部を「ハ」にするか「ソ」にするか。  ───────────────  以上をまとめていえば、次のようになる。  ・ 自社で使っている略字はそのまま使いたい。  ・ 各社がそれぞれ勝手な基準で略字を使っているわけだから、現在のように    「朝日ふう」「83JISふう」という2種類の基準に上乗せして、他種類    (数種類〜数十種類)の基準を導入したい。  ・ 要するに、各社がてんでにバラバラに、勝手気ままに文字を表示したい。  ───────────────  《 評価 》  日本新聞協会の要望を評価すれば、どうなるだろうか?   以下は私見だが、ともかく、評価してみる。  これは、業界エゴである。  「略字を使えば自分たちにとって便利だ」  というふうに主張するのは、あまりにも自分本位である。むしろ、国民にと ってどうなのか、と考えるべきだ。  「それぞれの文字について、正字と略字の両方を流通させる」  「結果としては、国民には、両方の字形を覚えることを強要する」  こういうことが、国民にとってどうなのか。それを、よく考えるべきなのだ。  ───────────────  ついでに言えば、多くの国民は、新聞協会よりも、ずっと謙虚である。  勝手に自己流または俗流の略字を使っている人は多い。たとえば、「前」の 「則」を「の」と書いている人は多い。しかしながら、これらの人たちは、自 分たちが勝手に非正規な文字を使っていることを、十分わきまえている。その 略字を「公認せよ!」なとど押しつけがましく主張することはない。  だいたい、新聞協会は、自己流にやりたければ自分たちだけでやればいいの だ。自分たちの方針を、国語審議会を経由して世間に押しつける、……なんて、 そんな傲慢なことをしないでほしい。押しつけがましすぎる。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  では、国語審議会としては、どうするべきか?  (1)  もちろん、当初の目的を忘れるべきではない。   ・ 国民のため   ・ さまざまな字形の流通による混乱を防ぐ  という点である。  (2)  その上で、原則は原則として保った上で、業界の要望にも一応耳を傾ける、 という態度を示せばよい。つまり、  「審議会の基準は強制的なものではなく、あくまで規範である」  と示す。示した規範を守るか否かは、あくまで新聞社の自由とする。決して 強制はしない。(新聞協会みたいに「押しつけがましい」態度はとらない)  このような方針のもとで、当初の方針を貫けばよい。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  《 私の立場 》  私の立場を示せば、次のようになる。  「文字の表現は、世間の標準に従うべきだ」  具体的に言えば、次の通り。 (※ 「表外字」=「常用漢字表外字」)   ・ 常用漢字は新字。 (正字にしない)   ・ 表外字は正字。  (略字にしない)   ・ ひらがなは通常で。(変体仮名にしない)  ところが、世間には、風変わりことを言う人もいる。   「表外字は略字」  と言う新聞協会がそうだ。彼らの言い分は、世の中に2種類の字形を流通 させようというものだが、それは、   ・ 常用漢字は正字   ・ ひらがなは変体仮名  というのと同様だ。世間にとって、いい迷惑である。  私自身は、正字が大切なものだと考えるとしても、通常の場合にまで、   ・ 常用漢字を正字で書くべし  とは思わない。常用漢字は新字で書くべきだと思う。(この点、JCSと は異なる。JCSは「包摂」により、新字でも旧字でもどちらでもいい、と する。たとえば新聞などで、「間」を旧字で書いてもいい、と。)  私はあくまで、常識的な立場を取る。新聞協会とJCSは、奇妙で風変わ りな言説を取るが、このような異端の立場に毒されないことを、国語審議会 に望む。     [ 原則は新字で ]     ついでに言えば、国語審議会は、次の指針を示すべきだ。      「通常の表現は原則として、新字で」     当たり前じゃないか、と思うかもしれない。だが、当たり前が通用    しないのがJCSである。       「新字と旧字は包摂される」(「間」「青」「羽」など)     とJCSは主張する。つまり、      「新字で書こうが旧字で書こうが、どちらでもいい」     というわけだ。     だからJCSの見解に従えば、新聞・教科書・公文書などで、新字    と旧字をチャンポンで書いてもいい、ということになる。これはおよ    そ常識はずれである。(新字なら新字、旧字なら旧字、に統一するの    が普通だ。)     そもそも、JCSに、こういう奇妙奇天烈な主張を許すのは、常用    漢字表が新字だけしか示していないからである。「新字を使いなさい」    と言えば、普通の人ならば新字を使うはずだが、常識はずれの人は、    「旧字も新字も同じだ」と言い張って、「常用漢字を使っています」    と言い張りながら、旧字を使う。         JCSに、こういう奇妙奇天烈な主張を許さないよう、「新字と旧    字は別の字体だ」と、いちいち明示するべきだ。そして、「普通は、    新字を使い、旧字は使わない」と原則を示すべきだ。     常識の通じない相手には、(いわば赤子に諭すように)いちいち常    識を示してやるほかない。さもなくば、日本語が歪められてしまう。    JCSの方針とは、古典を書くときは「間」などの正字を許さず否応    なく新字を使わせ、その一方、現代文を書くときは旧字をチャンポン    で使うのを許す、というものだからだ。     こういう常識はずれの国語観を是正することこそ、国語審議会の役    割だろう。       ※ 「鴎」については、国語審議会が示したことで、JCSも         自説を改めた。つまり、「『鴎』の略字も正字も同じだ」         という自説を撤回し、「両者は別々の字だ」と認めた。         「間」「青」などについても、国語審議会が示すべきだ。         子供でもわかることだから、ただちに明文化できる。単に         「新字と旧字は別の字である。『間』『青』『羽』など」         という1行だけあればよい。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  《 情報公開について 》  日本新聞協会の要望は、WWW上で公開されている。(1999.6.現在)  日本新聞協会のホームページは、次の通り。       http://www.pressnet.or.jp/  うち、国語審議会への要望(全文) は、下記のページ。       http://www.pressnet.or.jp/1NEW/143henshu.html  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   《 現在のこのページについて 》  著者名   南堂久史  表紙 URL  http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/moji/code00.htm     ※ この文書は、テキストファイルです。       保存したあと、エディタなどで読み取れます。                            [ 以上 ]