~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        「JCSの最終案の核心」 の 「補足」        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      目次      ・ メールでの文字化けについて      ・ 国語辞典の外字      ・ 対案      ・ 欧文特殊文字における重大な問題    [重要]      ・ 非漢字      ・「間」が抜けているわけ      ・ おまけ (私が正字を大切にするわけ)        ※ 追記の箇所には ☆ を入れた。(検索すれば見つかる)          再追記した分は ◇ を入れた。(99.10.03.)          再々追記の分は ▽ を入れた。(99.10.05.)          上記への補正は † に示した。(99.10.13.)          再々々追記分は ♭ に示した。(99.10.13.)          つけたしの分は Φ に示した。(99.10.28.)  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 メールでの文字化けについて 】  ISO 2022 JP では、94区までと、95区以降は、明白に区別される。現段階の メールは、後者はサポートされていないことが多い。  メールでは、文字は ISO 2022 JP が用いられる。(たとえシフトJISで 書いても、変換される。)  そのことは、通常、ヘッダに次のように書いてあることからもわかる。    Content-Type: text/plain; charset=ISO-2022-JP  たとえば、現在、115区の機種依存文字の含まれるメールを送信すると、文字 化けが生じる。しかも、その機種依存文字の部分だけが文字化けするのでなく、 その文字以降、次の改行までが、すべて文字化けする。(または消失する。)  つまり、現在のメール環境では、95区以降の漢字を使うことはできない。使え ば、世間で多大なトラブルを起こす。(たとえば、既存の文書からコピーして、 貼りつけたとき、そこに95区以降の文字が含まれていたせいで、文字化け。)  となると、次のことが必要であると思える。   ・ 第三水準領域(94区まで)と、第四水準(95区以降)を区別する。   ・ よく使われる文字は、前者に置く。   ・ 第四水準は、当面は使わず、メール環境が整うまで、しばらく待つ。    # JCS案では、第四水準を「即時実施」としているので、「そう      するべきではない」と主張しているわけ。      「ユーザが注意すればいいじゃないか」      という意見もあるだろうし、いささか判断は難しいが。ただ、      「一字だけ間違えば、その文字だけでなく以降のすべても消えて      しまう」      という危険性を、ユーザがどれだけ認識しているかが問題。今は      世間の99%は初心者クラスなので、私としては危惧する。    # インターネットでも、メールでなく WWW ページについては、この      問題はない。通信経路上での文字化けは起こらず、単にユーザの      マシンが第四水準領域をサポートしているか否か、で決まる。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 国語辞典の外字 】  私の資料では、「国語辞典の外字」を示した。  このうちのいくつかの文字がJCS最終案では抜けていることが判明した。 つまり、JCS最終案では、電子版の「小学館国語大辞典」「三省堂大辞林」 を記述しつくすことはできない。  すなわち、重要な文字がいくつか抜けていて、そのせいで、非常に普及して いる電子辞書も、まともに使えないわけだ。  すでに公開済みの資料にある、平易な文字さえ抜けているのだから、JCS がいかにずさんな調査をしていたかがわかる。  抜けている文字の例を掲げると、「間」の正字がそうだ。  これは、電子版の「小学館国語大辞典(Bookshelf)」の「うちだ」および 「燗」の項の本文中にある。  「三省堂大辞林」の「うちだひゃっけん」の項の本文中にある。  《 感想 》  たまたま探しただけで、簡単に見つかるのだから、抜けている文字は、たぶ ん、まだまだたくさんありそうだ。  それにしても、Bookshelf というのは、非常に普及しているアプリである。 そのような国語辞典に出ている平易な文字さえも扱えないとは。……絶句。  《 追記 》  「まだまだたくさんありそうだ」と思って、いくらか調べたところ、「うじゃ うじゃある」ということはない。国語辞典にある文字の大部分は、JCS案に含 まれているようだ。(当たり前だが。)  ただし、やはりというか、案の定というか、漏れはちゃんと見つかった。  試しに、「さんずい」の箇所だけ探してみたところ、20字ほどチェックした ところで、漏れを見つけた。それは、次の文字。    「さんずい + 勞 」( Unicode で 6F87 )  この文字は、JCS最終案にない。( csv 表にも pdf にもない。)  この文字は、「小学館国語大辞典」の、「こみ」という読みの見出し語となっ ている。(出典は「日本書紀古訓」だそうだ。)  この語は、他の国語辞典等にはなかなか見出せないので、特に重要度が高い、 ということはないようだ。ただ、「小学館国語大辞典」に出ているのだから、そ こそこ、重要度は高いはずだ。  また、この字は、「三省堂大辞林」の「ほそく」(防く)の項で使われている。  (ただし CD-ROM 版には見られるが、書籍版[1995]にはないらしい。)  ともあれ、「正字以外の一般の字でも、国語辞典にあるような文字がJCS案 では抜けている」ということがわかった。  JCSの調査が、ずさんというか、偏りがあるというか、とにかく、必要な字 がかなり抜けていることは、このことからも証明されるわけだ。    ついでに言えば、(すでに本論の方でも述べたが)漢字の字体構成要素と   なる字もかなり抜けている。「朗」の左半分[へん]など。他にもいろいろ   ありそうだ。     《 訂正 》         (1) 「礼」の正字     JCS案に抜けている文字の一例として、「礼」の正字 を、以前    掲げた。(電子版「小学館国語大辞典(Bookshelf)」の「れ」の項    の本文中にある字)     しかし、これは不正確であった。上記の箇所にある文字は、「礼」    の「へん」が「ネ」でなく「示」になった字形だが、これは「正字」    というより、「古字」などであるようだ。「礼」の「正字」は「禮」    であるから。     この件、読者からのご教示を得て、訂正する。         (2) 「2点しんにょう」     JCS案に抜けている文字の一例として、「2点しんにょう」を掲    げた。しかし、これは誤りであった。     JCSの csv表の「大漢語林」の列から調べると、「1点しんにょ    う」の番号しかないので、「2点しんにょう」はない、と早合点した    が、実際には、「2点しんにょう」はある。     この件、読者からのご教示を得て、訂正する。        ※ コードポイントは unicode の 8FB6  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 対案 】  「批判ばかりするな! 対案を出せ!」  と言われそうな気がする。……  「すでに南堂私案を出しました」  と答えれば、  「具体的な文字集合を出せ! 理屈じゃなくて、文字集合を!」  と言われそうだ。  そこで、具体的に、文字集合を出すことにする。(漢字のみ。)  ただ、個々の文字を直接出すことはせず、その手順を具体的に示す。  ● 対案1 (暫定案)   次の方法で、JCS案を修正する。   ・ JCS最終案を基本とする。   ・ そこから、福田雅史氏の調査にある「UCSに新たに追加される 314文     字」のうち、部首・地名字にあたるもの以外の文字を、削除する。   ・ かわりに、正字を入れる。(正字の集合が未定ならば、当面は保留     領域としておいて、後日、正字を調査して入れる)    ……この方法は、JCS案を修正した、修正案である。    つまりは、とりあえずの、簡単な案である。  ● 対案2 (平凡案)   次の方法で具体的な文字集合を出す。   ・ 「新字源」クラスの適当な漢和字典をとり、JISコードのない     字を集めて、文字集合とする。(当然、すべての正字は入る。)   ・ いくらか領域が余るはずなので、その領域は、当面、保留領域と     する。後日、地名字などを適当に追加する。   ・ その小型漢和辞典に「誤字」などの問題があれば、後日、適当に     JISの版を変更して、訂正する。(今すぐでもできるが)    ……これは平凡な案である。もちろん万全ではなく、いくらか欠点    はあるが、JCS案に比べれば、ずっとマシであろう。少なくとも、    「基本的な重要な文字が抜けている」ということはない。  ● 対案3 (まともな案)   次の方法で具体的な文字集合を出す。   ・ 先の「私案」の方法で、ちゃんとした手順で文字集合を決める。   ・ その作業は、すべて南堂がやる。(適任者に委託することもある)   ・ 調査過程の資料はすべてWWW上で公開して、チェックを受ける。      ※ 「だったら今すぐやれ!」と言われそうだが、今は、私の         案は作っても採択されないので、やっても無意味。採択         されると決まったならば、やりますけど。      ※ 「南堂のやったもんなんか、不正確に決まっている!」と         言われそうだ。私も、そう思う。だからこそ、WWW上         で資料を公開して、各方面のチェックを受ける。         ま、私の案は、国語辞典・漢和字典を基本とするので、         いくらひどくとも、JCS案ほどひどくはなりません。      ※  以上のいずれも案も、正字はちゃんと含まれる。         なお、正字は、中学生用の 5000 字レベルの漢和字典に         さえ含まれている。(つまり、JCS案は、中学生用の         漢和字典さえ作れない、という貧弱なもの。換言すれば、         JCS案の漢字レベルは、小学生並みである。)  ◇ 【 新たな対案 】  以上の対案よりも、もっと明確な案ができたので、以下に示す。  ここでは、具体的な文字集合は一意的に定まる。  文字数の総計は、約3400字である。  この文字集合を得る手順は、次の通り。  (おおざっぱに言えば、JCS案から人名字を除いて、正字を追加する)   ・ JCSの最終案を得る。   ・ その csv 表を、表ソフトで表示する。   ・ その csv 表を、大漢語林の列に注目して、降順で並べ替える。   ・ すると、大漢語林の番号のない文字は後半に来る。   ・ 大漢語林の番号のない文字は排除して、残りの分を得る。これは、     JCS案のうち、大漢語林にもある文字である。総数は 2644字。   ・ この 2644字を、対案における基本的な文字集合とする。     (具体的な字形は、JCS最終案の PDF ファイルからわかる)   ・ さらに、JCSの資料から、部首・地名字を約100字、追加する。     (cf. 福田雅史氏の調査で「UCS以外」とされる314字の資料。        そのうち「地名典拠」とされるのは 47+1 字。 )   ・ さらに、常用漢字に対応する正字を 500〜600字、追加する。     (新字源クラスの小型漢和辞典で、JISコードのない旧字を、      初めから順々に探していけばわかる。たいした手間ではない。)       ※ 厳密には、大漢語林に従う。cf. 「codeseij.txt」第6章。   ・ さらに、83JIS変更分の299 字+ 2字のうち、必要な分の略字と     正字を追加する。(具体的には、資料「略字&正字」を参照。)     この分は、約100字である。     (字形の変更を併用する。理由は codeknkn.htm を参照。特に、      Unicode との関係については coderya2.txt の (D) を参照。)   ・ 以上の総計は、約3400字である。     (残りの領域は、記号領域・外字領域・保留領域とする。)  こうして、約3400字を得た。これをもって、対案とする。  うち、2644字については、明確に定まる。(cf. 後述の † を参照 )  残りの文字についても、ほぼ不明の余地なく、はっきりと定まる。    ※ これはあくまで、基本である。このあと、さらに考察を加えて      いくらか変更を加えることを妨げない。(特に、対案3の点。)    ※ なお、包摂可能な文字について、文字数を減じることもある。      その場合、約3400字から100字ほど減ることもある。    ※ 機種依存文字のうち、不要と見なされる 59字の領域は、一応、      空欄とする。(ただし変更の余地あり。) 他の分はそのまま      用いるので、当然、この領域での文字化けは生じない。    ※ 別途、「漢語林」に現れる文字を csv 表で調べると、1575字。      「大漢語林」に現れる2644字との差は1069字。差分は「大漢語      林に現れ、漢語林に現れない文字」、つまり頻度の高くない文      字である。……これについては、私案でいう「第五水準領域」      (当面は使わない領域)に配置すれば、文字化けしにくい。 ※ この対案の、JCS最終案との違いは、次の通り。      ・ 正字がすべて含まれる。      ・ 大漢語林にない文字(人名字など)は、ほぼ排除される。      ・ 字形の定義は原則として大漢語林による。        したがって大漢語林と同じレベルの正確さを保てる。       (JCS案には重大な誤りが多く含まれていることが福田雅史        氏の調査で判明している。特に、大漢語林にない文字で、問        題が多い。JCS案は、ただちに実施できるレベルには達し        ていない。[!] )      ・ 文字数が比較的少なく、外字を利用できる余地がある。       ( cf. JCS案では、非漢字・空欄を除いた漢字は 3685字。          非漢字のうち、JCS案の欧文特殊文字は、既存の欧文          特殊文字との間で、重大な問題を起こすので、排除。          発音記号も同じ理由で排除を検討。計300字ほど減る。          また、「字形の変更」を併用すれば100字余りが減る。)      ・ 人名字については、「私案」に述べた人名字タグの併用により、        2000字〜5000字程度を、副規格として追加採択。(将来的に)      ・ 文字化けの対策を取る(ゆえに文字化けの問題はない。)  † 《 2644字 から 2738字 への変更 》      読者からご指摘を受けたが、2644字(1575字も)というのは、不     正確であった。JCSの csv ファイルでは、大漢語林・漢語林デ     ータは、一部が抜けているからだ。      さて、その分については、「あとで補充する」と以前記したが、     いちおう確定できたので、以下に記す。      大漢語林には、補助漢字(X 0212)がすべて含まれる。そこで、     JCSの csv ファイルを調べて、      「X 0212 番号があり、大漢語林番号がない」      というデータを得るとよい。94字ある、とわかる。      この94字をもって、上記の補充分と見なせる。       (これらはもちろん、「大漢語林にあるのに、大漢語林番号        がない」分である。他に、補助漢字以外で、大漢語林に収        録されている分があるとすれば、その分が漏れるが、ただ        し、採択範囲を「補助漢字以内」と定義すれば、この漏れ        は、採択対象からはずれるので、無視してよい。)           (なお、ついでだが、            「補助漢字になく、大漢語林にある文字」           という文字は、ないようだ。例の csv 表によれば、           該当するのはただ一つ、部首の「しんにょう」だけ           だ。)      というわけで、2644字+94字=2738字 を得る。この 2738字は     一意的に決まる。      かくて、対案の 2644字は 2738字へ補正される。      なお、対案では、保留領域を広めに残すこととする。ゆえに、     未収録の漢字をいくらか追加可能。仮に漏れがわずかに見出され     ても、追加すれば問題ない。      ♭# 〈 余談:補助漢字にない文字? 〉         余談だが、JCSの pdf ファイルを見ると、低い解像度        のとき、文字の字画が太いものと細いものとがある。だい        たいが太い字画だが、ところどころ細い字画である。正字        が多いが、正字とは限らないようだ。         これは何かと不思議に思っていたのだが、どうも、補助        漢字にない文字であるらしい。というのは、「補助漢字に        ない字」を csv 表で調べて、 pdf の1面を探すと、だい        たいそうなるからだ。(「必ず」とは言えないが。)  # 《 UCSにある文字のみを取る方法 》      上の「新たな対案」では、「大漢語林にある文字のみを取る」     としたが、かわりに、「UCSにある文字のみを取る」としても     よい。      実は、この案は、先の「対案1」とほぼ同じである。       ・ 字数がかなり増えるので、余裕がなくなるのが難点。ただ        し、これはこれで、現実性は高い。       ・ この案でも、「欧文特殊文字」など、不要な非漢字を多め        に排除すれば、正字を追加することもできるし、ユーザ外        字を(少しだが)使うこともできる。   ♭ 《 文字の配列順について 》      上の「新しい対案」では、文字の配列は、康煕字典順とする。     それには次のようにする。       ・ CJK統合漢字についてはUCS順で並べる。       ・ CJK互換漢字については、上のデータに補充する。      この方法で康煕字典順になる。(理由は省略。)      なお、この方法で並べたものを、JCSの csv ファイルと対比     して見ると、JCS案の順序とは、食い違う箇所が1割弱ほど見ら     れる。(たとえば 1-91-27, 1-91-36 など。)      では、私の方法と、JCS案と、どちらが正しいか? 念のため、     これらの箇所について調べ直すと、JCS案ではその箇所で、画数     の数え間違いがあり、画数順が狂っている、と判明する。そのよう     な箇所が1割弱ほどもあるわけだ。      JCS案は、きれいに配列されているように見えながら、実は、     画数のミスで、1割弱も順序ミスがある。(私の対案なら、このよ     うな順序ミスはない)      JCS案は、間違いだらけで、このまま施行できるようなもので     はない。(私の対案なら、このような問題はなく、あとは正字を補     充するぐらいで、早急に施行可能。)      # 上記の間違いの箇所の、発見方法は次の通り。        ・ csv ファイルの全体を次の順で並べ替える。            第1優先: plane            第2優先: UCS          (または、ファイルを1面と2面とに二分してから、           UCS順だけで並べ替える。)        ・ row の列だけに着目して見ていくと、順序が狂っている          ところが、いくらか見つかる。        ・ col の列だけに着目して見ていくと、順序が狂っている          ところが、ところどころ見つかる。      # 間違いの箇所の、チェック方法は次の通り。        ・ その csv ファイルの該当個所のUCS番号を得る。        ・ ATOK の文字パレットで、その文字の画数を確認。        ・ 上記該当箇所の前後の文字についても、画数を確認。      # JCSの画数の数え間違いについては、福田氏のページにも        記述されている。(そこを見ると、配列順には影響しないよ        うな画数ミスも数多い。つまり、私が指摘した上記分以外に        も、まだまだ間違いはある、ということ。)      # UCS順の配列については、「補足(続)」の最後の方にも        追記した。そちらも参照。("部首別"という語で検索可能)     ♭# JCS案と、上記の対案とで、根本的な差がどこにあるかと        言えば、方法的に、「既存の字書類を活用するか」にある。         私の対案では、既存の字書類を最大限に活用する。したが        って、既存の漢字研究の成果をほぼ最大限に生かせる。         JCS案では異なる。(正字など)既存の字書類の内容を        やたらと無視し、自己の用例採集のみに従う。        「世の中の字書には間違いがあるぞ」         とJCSはかねて主張している。それは正しい。         そこでJCSは、既存の字書に頼らず、独自の資料に従う        ことにした。たしかに、そのことで、既存の字書の誤りから        は脱した。ただし、かわりに、自己の資料だけの誤りをたく        さん含むこととなった。         JCSのやったことは、いわば、「独自の新たな字書」を        作ったのと同じである。そして、そこでは、誤りがたくさん        含まれる結果となった。すなわち、        「字書には間違いがあるぞ」         という自らの主張の正しさを、自分自身の字書でもって、        見事に証明したのである。あっぱれなるかな。        (私にはとても真似できません。既存の字書よりはるかに多         くの間違いを入れるという勇気は。) 〈 注 〉「字書にある字を優先して、人名字を軽視する」というのが、     この対案の方針である。その理由はなぜかと言えば、「JIS     は"日本語"のための規格だ」と考えるからである。      一方、JCS案は、人名字を重視する。これはJISを「企     業におけるデータ処理のための規格だ」と考えるからだろう。       (JCSは[顧客名簿などの]企業のデータ処理用の人名字の        実装を極端に重視し、書籍で使われている正字などの用例を        軽視・無視する。「JISは日本語のための規格じゃない、        データ処理のための規格だ」ということなのかもしれない。        JCS委員の名簿を見ると、国語関係者は少なく、大多数が        企業の関係者である。むべなるかな。「国民よりも社の利益        が大事」「日本語の文化よりも、まずお金」「世の中、万事、        カネ・カネ・カネ」というわけだ。……JCSの方針は委員        を選定した時点で、決まっていたのかもしれない。)    ※ 〈 ジョーク 〉        JISの「正字排除」を見た自動車業界は、その真似をしよう       と思った。        つまり、道路行政でも、JCS(Japan Car Society )で決める       ようにした。(政府に働きかけて。)        この JCS は、業界の意に沿い、こう結論した。       「道路は国民のためにあるんじゃない、自動車のためにあるんだ。       歩道を廃止して、すべて車道にせよ!」        すると誰かが反論する。       「そんなことしたら、歩行者は道を歩けなくなるぞ」       「だから、車がますます売れるんだ」       「ひどい。勝手に決めるな!」       「世の中、万事、カネ・カネ・カネ」   《 参考 》 JCSの調査方法    さて、JCS案の用例採集の対象となったものは何か? 仄聞した   ところでは、それは、どうやら、「すでに電子化されたデータ類」で   あるらしい。たとえば、新聞記事データとか、企業の人名データなど。    このように、外字としての扱いで電子化され、コンピュータですで   に用いられている文字を、調査対象として、優先採択するわけだ。    なるほど、「すでに実装されている文字を優先的に取る」というの   は、一見、もっともな話だと思える。    しかし、これは原理的におかしい。    そもそも、新JISのめざしているものは、「今のコンピュータで   は使えない文字」である。なのに、「今のコンピュータで使える文字」   を調査対象としたのでは、話が本末転倒である。    「今のコンピュータでは使えない文字」を求めるのならば、既存の   コンピュータで使われている文字を探しても無意味だ。むしろ、書籍   などを調査対象とするべきだ。    たとえば、「今のコンピュータでは、正字は使われていないから、   正字は不要だ」などと言うよりは、「今の書籍では、正字が使われて   いるから、正字が必要だ」と考えるべきなのだ。間違えてはいけない。    既存のコンピュータにある人名データなどは、不要である。また、   新聞のデータも不要である。(そもそも新聞は「常用漢字内」を原則   とした漢字制限をしており、調査対象として不適である。)世の中に   は、もっと重視すべき対象がある。    JCSの調査方法は、本質的に欠陥があると思える。だからこそ、   既存の書籍(コンピュータによる電子印刷方式で印刷された書籍も)   で大量に使われているような、「間」の正字などを漏らす、という、   とんでもない結論を出すのだろう。やたらと人名を偏重する、という   奇妙な結論もまた、同様であろう。    簡単に言えば、JCS案は、日本語のための文字集合ではなくて、   現JISとの併用を前提とした、データ処理用の文字集合である。ま、   これが「工業規格」であることを思えば、国民用でなく、企業用であ   るのは、当然かもしれない???    そもそも文字を「工業規格」として産業的に決めるのが、根本的に   間違っているのかもしれない。言葉は「工業製品」ではないのだ。      ※ JCSの調査では、電子化されたデータが重視されたが、        「それだけに限る」ということではない。あくまで原則。      ※ JCSの調査では、電子化されたデータが重視されたが、        例外もある。電子版の国語辞典である。(→前述)         つまり、電子化されたデータのうち最も基本的なもの        である「国語辞典」を、あえて無視する。JCSの調査        は、日本語なんかどうでもいい、ということらしい。      ※ JCSの調査では、「すでに実装されている文字」が、        優先的に採択される。ただし、MS-DOS や Windows に実装        されている文字は例外となる。「間」の正字もそうだし、        「はしご高」「つち吉」も同様。         つまり、「すでに使われている文字」であっても、自分        たちのお好みにあわなければ、排除するわけだ。Windows        とか国語辞典とか、最も基本的なものとして、すでに広く        普及して使われているものまで、意に添わないからといっ        て、排除する。もはや、理屈もへったくれもない。      ※ JCSは、外字というシステムを全否定する。そのくせ、        外字として使われている文字を、最優先で採択する。お        かしな話だ。自家撞着している。      ※ JCS最終案で不足している正字は、わずか 200字ほどに        すぎない。それをあえて排除して、かわりに、変な人名字        を 200字ほど追加する。         しかし、それはほとんど無意味なことである。なぜなら、        日本で使われている人名字は、(丹羽基二 氏によれば)        15000字ほどあるからだ。そのうち、たった 200字ほどを        追加しても、ほとんど意味はない。企業などは、これでは        足りず、XKP などの外字システムを併用するだろう。         JCSの結論は、人名字を重視していることにはならな        い。単に正字を排除することに熱心なだけだ。       cf.  人名字 15000字      http://www3.mediagalaxy.co.jp/bungeika/mojicode/sukue1.html      ※ JCS最終案では、正字のかわりに人名字を多く採択してい        るとはいえ、その数は、わずか 200字ほどにすぎない。         これをもって、「人名字は大切だから採択するのだ!」と        主張しているようだが、勘違いも甚だしい。200字から はみ        でた残りの、多くの文字は排除されるのだ。JCS案は、人        名字を、重視しているどころか、ごく軽んじている。         私案では、そうではない。異体字タグを利用して、大量の        人名字・異体字を採択する。JCS最終案を見たところ、人        名字の2〜3割程度は、広義の異体字(読みが同じで同系)        と見なせて、異体字タグで扱うことが可能。となると、数千        字の人名異体字を扱える。JCS案よりも、はるかに多くの        人名字を使えるのだ。         JCSは、たった 200字ほど人名字を尊重したぐらいで、        人名字を尊重している、などと誤解するべきではあるまい。        3合目まで来ただけで、「山に登ったぞ!」というようなも        のだ。誇大宣伝も甚だしい。      ※  人名字の由来         cf. 文春新書「名字***」(書名失念)という新書。         名字は、明治初めに、「好きな名字を勝手につけてよい」        ということで、大量に転用または発明されたそうだ。         この際、名字用の文字も、大量に発明されたようだ。         つまり、いくら用例があっても、個人的に勝手に発明した        文字にすぎない。(奇妙な文字がいっぱいあるのもわかる)     ▽※ 人名字のうち、人名異体字は、「本来の異体字」(意味・用        法が同じ)にはあてはまらない、という点に注意されたい。         たとえば「喜」の人名異体字である「〓」(みっつの七 :        JCS案で 1-14-3)があるが、これは単に「き」という音        を用いて「〓一郎」「〓平」などと書くだけであり、「よろ        こぶ」という意味はない。だから、「喜ぶ」を「〓ぶ」と書        くことはできない。人名異体字は、一般の語句では用いられ        ず、人名などで(個人的に勝手な流儀で)用いられるだけで        ある。一種の誤字であって、根拠は弱い。          [ cf. 「学」と「學」は、意味・用法が同じである。            「学校」「學校」の、いずれの表記も許容される。]         なお、人名字のうち、人名異体字でないものは、正統的な        根拠がないもの、つまり、発明された文字であろう。こちら        は、誤字よりも、さらに根拠が弱い。         ついでに言うと……         JCSのお得意の「ろ紙」の「ろ」も、同様であろう。こ        の文字を使って、「ろし」「ろか」の2語を書くことはでき        ても、「こす」と書くことはできない。この「ろ」は「濾」        と、意味・用法が同じわけではなく、本来の異体字ではない。        「同音の『瀘』の略字を代用しただけらしい」「勝手に発明        された文字らしい」という、根拠の弱さも、やはり似ている。        (通常の人名異体字と異なるのは、その誤用ないし発明をし        たのが、個人でなく公権力だ、という点。)     ♭※ 人名字については、JCSとよく似た見解のところがある。        朝日新聞がそうである。たとえば、世界選手権の男子柔道で        金メダルを獲得した「篠原」選手。「篠」の字が、読売では        この文字だが、朝日新聞では、竹かんむりの下が、「條」で        なく、「条」となっている。(「じょう」の同音による書き        間違えが、固定したものだ、と推定される。つまり、誤字を        起源とする人名字)          「誤字が起源でも、人名字はなるべく元の通り書く方針           なのか。さすがに朝日は原典に忠実だな」         と早合点してはいけない。朝日では「森鴎外」は、必ず、        正字を略字に書き換えるのだ。         つまり、朝日の方針は、こういうことだ。          ・ 由緒不明な文字(誤字)であれば、書き換えない。          ・ 正統的な文字(正字)であれば、書き換える。         さて、話は変わるが、朝日などの略字主義者は、しばしば        こう言う。         「難解な正字は、簡単な略字に書き換えるべきだ」         そういう本人が、漢和辞典にも載っていない「しの」のよ        うな、ごく難解な文字を好んで使うのだ。         なぜか? 要するに、事実は、こういうことだ。         彼らは、正しい文字が大嫌いで、略字・誤字が好きなのだ。        正しいものが嫌いで、間違ったものが好きなのだ。         だからこそ、JCS案は、間違いにあふれているのだろう。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  ◇ 【 欧文特殊文字における重大な問題 】  JCS案では、欧文特殊文字が用意されている。  これは、私としては、JISの和文領域に置く以上、全角として使うのだと ばかり思っていた。つまり、Unicode では、full-width の文字として追加さ れるのだとばかり思っていた。  ところが、csv ファイルを見ると、これらの欧文特殊文字に、既存の USC の番号が割り振られている。つまり、 half-width の文字として使うつもり らしい。  なるほど、これなら全角と半角の混乱がないので、うまい方法だ、……と思 うかもしれない。そそっかしい人ならば。  しかし、この方法は、重大な問題を引き起こす。  そもそも、欧文特殊文字を1バイトの文字として使う方法は、すでに欧米圏 で確立している。この方法は、日本語でも、フォントを指定することで利用で きる。たとえば、私の「Q&A」(codeqand.htm)を見ると、欧文特殊文字の 実例が8字挙げられている(「背伸び」という語で検索できる)のだが、この うち、初めの5字は、コピーして、Windows98 版ワードパッドに貼りつければ、 RTF 形式で保存・読み取りできる。(ただし、5字の前の全角空白[日本語] を含まずにコピーするよう、注意すること。)  ここでは、フォントの欄を見てわかるとおり、5字は欧文フォントで表示さ れている。つまり、1バイトの文字コードが使われている。  一方、JCS案では、同じ文字に、2バイトの文字を割り当てている。(た とえば「アキュートアクセントつき a 」は、 csv ファイルの「1-9-55」から わかるように、「シフトJISの 8576」という2バイトの文字となる。)  つまり、同じ文字に対し、欧文環境(1バイト)と日本語環境(2バイト) では、まったく別の文字コードポイントが割り当てられることになる。  さて、欧文環境と日本語環境が混在しなければ、このことは特に問題になら ない。だが、実際には、そうは行かない。たとえば、RTF や doc などのワー プロ・ファイルでは、欧文環境と日本語環境が混在する。  実際、たとえば「アキュートアクセントつき a 」は、1バイトでは"E1"と なるし、2バイトでは"8576" となる。つまり、まったく同一の文字が、まっ たく別々のコードポイントをもち、ともに共用される。  換言すれば、こうだ。この文字については、1バイトのコードポイントがす でに用意されているのだが、屋上屋を架すように、別のコードポイントを新た に追加するわけだ。ちょうど、既存のさまざまな記号に、別のコードポイント を追加するように。(馬鹿げた話だが。)  なお、この問題は、当たり前のやり方では、生じない。つまり「アキュート アクセントつき a 」を、1バイトでは半角、2バイトでは全角、というふう に、別々の文字として定めれば、問題は生じない。単に「2バイトの全角文字 は、使い道がないから、使わない」とすればいいだけだ。(使いたければ使っ てもいいが、馬鹿にされるだけ。)  しかるに、JCSは、この両者(1バイト・2バイト)を、同一の文字とし た。そのことは、両者が Unicode で同一のコードポイントとなることで、担 保される。  すると、たとえば「 Unicode テキスト」形式のファイルを、ワープロで開 いた場合、どうなるか。同一の「アキュートアクセントつき a 」( Unicode で 00E1 )が、あるときは1バイトの字( E1 )となり、あるときは2バイト の字( 8576 )となる。当然、ひどい混乱が生じる。(ひょっとしたら 両者 が混在することもあるかも。ぎゃっ。)   ※ 「文字化け」とは、コードポイントは同じで、見える姿が異なるだけ。     あとでフォントを正しく直せば、正しい姿で見える。一方、上の場合、     コードポイントそのものが化けるわけで、話はひどく深刻。   ※  問題の例。 《「欧文テキストファイル(1バイト)」→「Unicode     テキストファイル」→「新JIS(2バイト)」》というファイル形     式変換で、コードポイントが化ける。(たとえば E1 が 8576 に)  結局、同じ文字を1バイトと2バイトで共用すれば、途方もない混乱が生じ る。それはいわば、全角の「A」と半角の「A」が、突然 同じ文字になるよう なものだ。  はっきり言う。JCS案のやり方は、途方もない混乱を引き起こす。それは 既存の文字コードのシステムを根本的に混乱させる。ほとんど狂気的ですらあ る。  ※ JCSがこのような方針を打ち出したところを見ると、こう断言できる。      「JCSとは、文字コードの素人集団である。」    彼らは、文字化けへの配慮もしなかった。その点からして、素人集団の    疑いが濃かったが、今回の点で、はっきりとわかった。まったく同一の    文字( Unicode で同一の文字 )に、別々のコードポイントを与えると    いうのは、素人である。仮に、専門知識があってそうしたのなら、狂人    か犯罪者だが、まさか、そうではあるまい。(たぶん。……)  ※ JCSは、UCS への「全角 欧文特殊文字」の登録をしていない。つまり、    上のような混乱を避けようとはしていない。「うっかり」ではない。  ※ JCSのやろうとしていることは、簡単に言えば、和文テキストファイ    ル上の多言語表記だ。それはたしかに可能だが、既存の欧米語の表記法    を捨てることによって成り立つ。それはつまり、「日本語環境でのみ可    能な欧米語表記」だ。(「欧米語環境でのみ可能な日本語」のような、    馬鹿げたもの。) それは Unicode や HTML の多言語表記とは本質的に    異なる。文字コード研究上の試行錯誤の一つ[ 失敗例 ]にすぎない。    このような「ほんの思いつき」を、まともに考慮もせずに実行しようと    するのは、素人にしかできない勇断であろう。まったく、恐れ入る。      # 「少なくとも日本語では大丈夫だろう」と思うかもしれない        が、ダメである。たしかに、エディタなら、日本語環境とな        る。しかし、ワープロならば、日本語環境と欧文環境が混在        するからだ。先の RTF の例を参照。      # JCSの「日本語環境でのみ可能な欧米語表記」というのは、        ジョークに近い。似たものを挙げると:         ・ ハゲの人専用の 整髪料         ・ 男性にしか使えない ブラジャー         ・ 白黒プリンタ専用の 7色カラーインク         ・ デジカメ専用の 写真フィルム         ・ Mac 上でしか使えない Windows用アプリ         ・「日本国内でのみ有効」の ヨーロッパ周遊パス        …… とはいえ、これらは、JCS案とは異なる点がある。          ほんの「無用のもの」にすぎない、という点だ。一方、          JCS案は、害悪と混乱をまきちらす有害物である。      # 「Q&A」( codeqand.htm )の、「Q3」以降も参照。      # 上では、ずいぶんひどい悪口を言っているように思えるだろう。        私としても、実は、あまり言いたくはなかったことだ。だが、        「欧文特殊文字はダメだ」ということは、半年以上前から「私        案」にはっきりと明示してある。単なるミスなら、私としても        非難はしない。しかし、懇切丁寧に詳しく説明したのに、まだ        間違うので、その愚かさを批判するだけだ。        「ここに穴がある、注意せよ」        と指摘されて、それでも穴に落ちるのは、JCSぐらいのもの        であろう。  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  ◇ 【 非漢字 】  非漢字については、あまり述べる気はないのだが、簡単に触れておこう。  「絶対温度(ケルビン温度)」を示す記号( ゜K )について、「DTP ソフト(組版機能)で表現できる」という声が一部から上がった。  つまり、「半角の半濁点と、半角のKを組み合わせればいい」と。  だが、反論しておく。半角の半濁点は、いわゆる「半角カタカナ」に属する ので、メールでは文字化けする。(半角の、読点・句点・中黒なども)  だから、「半角の半濁点を使えばいい」という議論は成立しない。  一方、「全角の半濁点を使う」となれば、見苦しくなる。  そもそも、「組版で表現できるから不要」などと言い出したら、多くの漢字 が不要になる。たとえば「絶」は「糸色」で表現できる。だが「あなたと絶交 するわ」を「あなたと糸色交するわ」にしたら、変に誤解される。  話は、「組版で表現できるか否か」ではない。その文字が独立した文字とし て使われているか否かである。「"糸且片反"で表現できる文字は不要」などと いうのは、文字コードというものを理解しない人の言うことであろう。   ※  「組版で表現できるから不要」というのなら、「アイヌ語研究用の     文字」(小書きや半濁点つきのカタカナ)こそ、排除すべきだ。絶対     温度の記号は、化学の教科書にも現れるが、アイヌ語研究などはマイ     ナーな学問にすぎない。      そのくせJCSは、これらの日本語文字を「アイヌ語文字」などと     偽称し、存在しないアイヌ語文字があたかも日本語の一部として存在     するかのように言い立てる。 ( cf. 私案 )  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 「間」が抜けているわけ 】  JCS案で正字の「間」が抜けているのは、なぜか? 「注意不足」のせ いだろう、と、本論では推定した。しかしこれは間違いであった。  「注意不足」で、これらの正字が抜けたわけではない。JCSは、あえて そうしようと判断して、意図的に、そうしたのである。  JCSは、お得意の「包摂概念」を用いる。「正字と新字を同じ文字と見 なす」という、奇妙な理屈によって、正字を排除したのである。  どうせ包摂概念を用いるのなら、JCSとは逆に、新字を排除して正字を 残してもよさそうなものだ。が、そうはせず、理屈を自分たちの都合のよい ように、一方的に解釈して、新字のみを残し、正字を排除した。(そういう 可能性があることは、すでに本論で指摘していたが……)  どうやら、私は、愚かであったようだ。 「JCSはまともな判断力を持っているが、つい、うっかりしたのだろう」  と、JCSを信頼していたのだった。だが、JCSの判断力とは、うっか りしなくとも、そういう結論を出すようなものなのだ。  さて、正字と新字を同じ文字だ、と見なすようなことは、JCS以外、誰 も考えないだろう。仮にそうだとしたら、常用漢字を定める意味自体がなく なる。たとえば、政府が「教科書はすべて常用漢字で書くべし」と言っても、 教科書をすべて正字で書いていいことになる。あまりに馬鹿げた話だ。    ※ この意味で、JCSの方針は、政府の方針を全否定している。  ところで、このような奇妙な考え方を取ると、どのような問題が生じるか、 ついでにもう少し、考察してみよう。馬鹿げてはいるが、お遊びにはなる。  仮に、      「間」「青」の正字と新字は同じ文字だ  と考えたとしよう。そうだとすれば、      「間」の「門」の下方は、「日」でも「月」でもいい  となる。同様に、      「青」の下半分は、「月」でも「円」でもいい  となる。  この両者をあわせて考えれば、      「間」の「門」の下方は、「日」でなく「円」でもいい  となりそうだし、      「青」の下半分は、「月」でなく「日」でもいい  となりそうだ。  つまり、すこぶる奇妙な文字ができるわけだ。  同様に、「育」「骨」「背」などの「月」の部分も、「日」や「円」にし ていいのかもしれない。  同様に、「明」は、左半分と右半分を交換してもいいのかもしれない。  同様に、「3月5日」は「3日5月」と書いてもいいのかもしれない。  JCSは、「鴎」の新字と旧字は包摂する、と言っていた。(97JIS)  なのに、その舌の根も乾かないうちに、今回、「鴎」の正字を新たに追加 した。つまり、「鴎」について、自分たちの包摂規準を否定した。  それでいて、今回、「間」については、その否定したはずの包摂規準を、 強引に当てはめる。ご都合主義とは、このことであろう。  どうやら、JCSにとって包摂規準とは、「鴎」であれ、「間」であれ、 自分勝手なふるまいを正当化するための、万能薬であるらしい。  もっとも、黄門様の印籠のつもりでいても、そんなものは世間に通用しな いのだが。(国語審議会は、「鴎」について、JCSの方針を否定した。と なると、「間」についても、そのうちいずれ、否定することになりそうだ。)  JCSは、以前、「欧/歐」については「区/區」の違いを認めたのに、 「鴎」についてはその違いを認めない、というメチャクチャなことをした。  今回また、「静/靜」について、同様にメチャクチャなことをしている。 この二つの文字(新字/旧字)の、「青」の部分の字形差を認めるのに、 「靖」については、「新字/旧字」の字形差を認めないのだ。  さらにおかしなことが起こる。JCSの概念では、「静/靜」について、 「青」の新字と正字が包摂されるのだから、「青+爭」 [左半分が新字、 右半分が正字、というチャンポンな字]もまた、許容されるわけだ。  つまり、JCSは、新しい変な字を大量に発明していることになる。  ま、JCSが独自の変な文字を発明するのは、83JIS以来、綿々と受け 継がれてきた伝統(?)があるから、当然なのかもしれない。  しかし、こうした世間知らずのふるまいの結果、世間のこうむる迷惑は、 これだけに留まらない。  たとえば、正字で印刷された「間」は、OCRで読み取ると、字形が正し く認識されず、「聞」に誤認識されることもあるだろう。なぜなら、「間」 の正字がないので、それによく似た別の字から探すしかないからだ。正字の 「人"間"」→「人聞」 などという間違いは、かなり発生するだろう。 正字 の「"靖"國」→「睛國」などという間違いも、ありうる。  また、普通のユーザも困る。「せめて中学生レベルの電子漢和字典を使い たい」と思っても、不可能なのだ。なぜなら、正字が多く抜けているから。 (念のため本屋で、中学生向けの漢和字典[旺文社など]を確認してみてほ しい)  こうしたことは、すべて、JCSの高度な判断のおかげである。  「うっかりのミス」ではないから、訂正されることもない。国民のできる 対処はただ一つ、洗脳されて、「白も黒も同じ色だ」と信じることのみだ。  どうしても、洗脳されるのがイヤなら、パソコンを捨てるしかない。   Φ 《 追記 》 「間」の例 (朝日新聞)      朝日新聞にも「間」の正字が使われている例を見出した。掲載箇所は     1999.10.27. 朝刊の中央の読書特集のうち、左上の方にある3氏による     「私の推奨する本5冊」で、「川上さん」の推奨する『ノラや』の箇所。     これの著者名として、「内田百"間"」が挙げられているが、「"間"」は     正字である。      ここでは、人名字としての用例となっている。それゆえ朝日でも、正     字を使うらしい。( ※ 「鴎外」は常に略字。差別されている?)      ともあれ、人名字であれ何であれ、朝日でも「"間"」の正字が使われ     る。一方、JCS案には、この正字がない。たとえ人名字としての用例     であっても、この正字は使えない。たとえ範囲を限定しても、どうして     も使えない。      結局、JCSは、かの朝日とも異なるような、独自の正字排除主義を     とっているわけだ。いかに風変わりな主張をしているか、よくわかる。   ☆ 《 追記 》 「間」の例 (教科書)      高校教科書にも「間」の正字が使われている例を見出した。三好達治     の詩集に「"間"花集」というものがあるが、この「間」は正字なのだ。     三好達治の詩は多くの教科書に採用されているし、その著者紹介では、     この詩集が挙げられることも多い。(私の見たのは、自分の高一時代の     現代国語の教科書。尚学図書刊。出版年は、ナイショ。ただ、1990年代     の教科書でも、この文字は使われていそうだ。ま、話を1990年代だけに     限る必要もないが。)      このことでわかるのは、JCSが「高校教科書を全冊調査した」と     言っている(http://jcs.aa.tufs.ac.jp/pubrev/nsrc-tbl.htm)のは、     かなり疑わしい、ということである。ひょっとしたら、次の2点の、     いずれかではなかろうか?       ・ 対象は高校教科書の本文ではなくて、巻末索引だけだった。      ・ 対象を調べるとき、自己流の包摂概念で勝手に正字を包摂した。        (※ いずれにしても、一種の調査捏造、または誇大宣伝)      JCSは、「さんずい+戸」という文字(発明された文字?)の     根拠として、「高校教科書で使われていること」を、根拠とした。     「高校教科書で使われている文字はJISに採択されるべきだ」と     思ったらしい。そこで、その考えを、そっくりそのまま、お返しし     たい。「高校教科書で使われている文字はJISに採択されるべき     だ」と。しかも、「"間"」の正字は、上の「ろ」と違って、発明さ     れた文字ではないのだ。      ついでに言えば、高校教科書の文学年表を見れば、「内田百"間"」     も同様だろう。(教科書では未確認だが)      また、「土井晩"翠"」の「翠」も、教科書では正字である。教科書     でも一般書でもそうである。だが、JCS最終案ではどうか? おそ     らく、例によって、この正字は抜けていると思える。(「羽」の部分     字形を持つので。)(暇な人は確認してみてほしい。)        ( ※ 「翠」は78JISで正字。国語審議会の215字にあり。)        ( ※ 「翆」は正字ではなく異体字[俗字]。)       cf.  http://jcs.aa.tufs.ac.jp/new-jis/pubrev/index.htm            で、JCSは、次のように述べている。          「今回の第三,第四水準の開発でも,第二水準と同様,          "各分野に分布している漢字"の収集が必要であること          から,小学校から高校までの教科書約1500冊について          は,委員会独自で調査を行うとともに,広く用例付き          の文字ソースを入手し,検討を行いました。こうした          検討の必要性は,例えば,化学や生物の分野では,高          等学校の化学や生物の教科書や文部省学術用語集など          で用いられている"ろ紙"の"ろ"(〓)の場合を考えて          いただければ,ご理解いただけると思います。この          "ろ紙"の"ろ"は,このように広く用いられていながら,          補助漢字に収録されていません(諸橋大漢和にも収録          されていません)。今回の開発では,このような見落          としが無いように配慮して最大限の努力を傾注いたし          ました。 」        それでも、教科書にある文字が漏れたのである。それも、        国語(!) の教科書の文字が。    《 付記 》 古典と包摂    「包摂」で処理した場合、古典がまったく処理できない、ということ    はない。対象文書が古典だとわかっているなら、たとえ略字・新字で    表現されていても、その文字は正字だ、と推定できる。     しかるに、対象文書に古典と現代文が混在していれば、もちろん、    そういう具合には行かない。    《 付記 》 人名略字の場合    JCSは、正字については極端に排除したがるが、略字についてはそ    うではない。朝日文字らしい、数個の略字が採択されている。また、    「谿」の略字[2-88-89 , ab90]も、「饒」の略字[2-92-57 , abc2]    も、採択されている。(正字でなく略字だから。)     要するに、正字を排除するときは「包摂するので、不採択」と言い、    略字を採択するときは「包摂しないので、採択」と言う。     JCSの「包摂規準」とは、ご都合主義の、二枚舌なわけだ。    《 付記 》     JCSの原案は、1999年の8月ごろに原案が公表されたが、そこ    に大量の正字が欠落しているのを具体的に指摘したのは、JCSで    なく、文字講堂である。その時期は、1999年の9月初めごろ。     さて、新JISは、2000年初めに施行の予定、とのことだ。とな    ると、制定前に3カ月の準備期間を見るとしても、1999年の9月か    10月には、承認・決定されることとなる。実際、9月中に、承認に    向けて上位団体で審議される予定だという。     いずれにせよ、JCSの「正字排除」の方針が判明してから、承    認されるまで、1カ月かそこらしか時間はない。そんな短期間のう    ちに、あわただしく決まるらしい。国民の議論もなく。     なお、JCSの「正字排除」の方針は、ついぞ公表されなかった。    《 新字による表記 》    「正字なんかなくたって、新字で表記してもいいじゃないか。意味が    変わるわけじゃあるまいし」     とJCSは考えているらしい。     もちろん、そのような考え方があることは、承知している。つまり、    彼らにとっては、正字で書こうが、新字で書こうが、どちらでも同じ    ことなのだろう。あるいは、83JISで略字を導入したJCS先任者    のように、    「日本語はローマ字で書くべし」     と思っているのかもしれない。(正字も新字もローマ字も同じ?)     彼らにいちいち反駁はしない。いちいち反駁しても、しょせん無駄    だと思う。ただ、彼らの言語感覚と、彼らの無理解を、悲しむのみで    ある。    《 現JISとの差 》    「現JISだって、正字は使えないぞ」    という意見もあるかもしれない。     なるほど、現JISでも、正字はない。しかし、今はなくとも、    将来、JISの拡張で、正字を追加できる可能性はあった。     だがJCSは、今回、JISの領域のすべてを埋めてしまった。    つまり、正字が追加される可能性を完全につぶしてしまった。     正字は、現JISでは「まだない」だけだったが、新JISで    は「永久に排除された」のである。       ※ Windows環境では、機種依存文字により、「間」「青」         の正字を使える。しかしそれも、現JISでの話だ。         新JISでは不可能となる。    《 まとめ 》    以上、すべてまとめていえば、こうなる。    「JCSは、自分たちの意に添わない文字は、いくら重要であろうと、    徹底的に排除している。」     つまり、一種の「言葉狩り」「文字狩り」だ。中世の「魔女狩り」    のように。( cf. 前述「はしご高」)     魔女狩りは、宗教的な狂信から生じた。言葉狩り・文字狩りも、似    たようなものである。歴史は繰り返す。83JISもそうだった。そし    て今また……  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  【 おまけ (私が正字を大切にするわけ)】  最後に、私がなぜ正字を大切にするか、そのわけを示すことにしよう。  「正字正字と言うが、おまえはそんなに正字を使うのか」  と問われたことがあった。実は、私自身は、正字をそれほど必要としない。 ふだんは新字と現代仮名遣いで書いており、旧字・旧かなで書くことはめっ たにない。私自身は、正字(旧字)が使えないからといって、さして不便で あるわけでもない。  では、なぜ、正字を大切にするのか?  それは、「自分にとって必要だ」という利己的な理由からではなくて、私 以外の人が必要とするからだ。(「おせっかい」と言われそうだが。……)  そもそも、世の中には、声なき人がいる。正字を必要としていても、文字 コードには詳しくない人もいるし、また、声を出そうにも、すでに死んでし まった人もいる。これらの人は、  「正字が必要だ、正字を寄越せ!」  と声を上げることはできない。誰かが代わって、そう言わなくてはならな い。  たとえば、三島由紀夫だ。彼はもういない。しかし彼の言葉は今なお生き て残っている。  三島由紀夫は正字で原稿を書き、正字で初版を出版した。彼の言葉を忠実 に残そうとすれば、どうしても正字が必要である。彼が「青」「間」などの 文字を正字で書いたのなら、それをそのまま示すには正字が必要である。  「三島がどう書こうが、そんなもの、勝手に新字に書き換えてしまえ」  という立場もあるだろう。もちろん、そういうことがあってもいい。それ はそれでいい。しかし、  「必ず新字に書き換えなくてはならない。元のままの表現は絶対禁止」  と、正字を強引に排除するべきだろうか。本人の書いた記述を、あらゆる 場面で否応なしに書き換えるべきだろうか。原本通りの記述を、一つ残さず 抹殺するべきだろうか。  すでに書かれた作品だけではない。これから書く作品もそうだ。  三島由紀夫のように、正字で書く作家が、将来、復活するかもしれない。 (平野啓一郎のことを言っているわけではない。念のため。)  そのような作家に対して、  「絶対に正字を使ってはいけない。おまえの創作態度は間違っている」  と、正字の使用を禁止するべきだろうか。たとえば三島由紀夫に対し、   「おまえの創作態度は間違いだ。おれたちの決めたとおりに書け」  と強要するべきだろうか。  たぶんJCSには、三島由紀夫よりも、よほど立派な小説家たちがそろ っているのだろう。そして三島由紀夫のような作家に、文章指導をしたい のであろう。ま、それはそれで、勝手である。自尊心のたくましいJCS の人たちは、勝手にそう主張するがいい。  しかし、私は、そういう立場はとらない。三島由紀夫が「正字を使いた い」と考えたなら、その創作態度を最大限尊重してあげたいと思う。三島 由紀夫は今はもうないが、かわりに将来、別の人がそう考えたなら、やは り、その創作態度を最大限尊重してあげたいと思う。「それは間違いだ」 と、彼の創作活動を邪魔することは差し控えたいと思う。つまり、JIS から正字を排除して、ワープロによる創作活動を妨害するようなことは、 差し控えたいと思う。  三島由紀夫の全集は、正字組みである。また、三島だけに限らない。鴎 外などの近代文学者も、全集はたいてい正字組みである。これらを電子化 するには、正字が欠かせない。  また、古典も同様である。古典を表示するには、正字が欠かせない。  にもかかわらず、その正字を、もぎとられてしまったのである。日本語 は、電話番号帳や顧客名簿のようなものを作ることばかりが重視されて、 古典や近代文学を表現するすべを失ってしまったのである。片翼をもがれ た天使のように。  だから、こういうことだ。  私が正字を大切にしたいのは、私自身が正字を必要とするからではない。 私のためにそうしたいのではない。日本語の文化のために、そうしたいの である。  私は、正字を愛するというよりは、むしろ、日本語を愛し、日本語の文 化を愛しているのである。長い歴史をもつかけがえのないものとして。  しかるに、このような事情を、なかなか理解してもらえないことを、残 念に思う。  そしてまた、日本語の伝統が崩され、日本語の文化が少なからず失われ ることを、残念に思う。                               [ 以上 ]