本サイトの意図

           〜〜〜 科学的な態度 〜〜〜


        【 目次 】 

  本サイトの意図
  一般的な意味での「科学的な態度」について
  付録




  本サイトの意図

    ※ 本サイトの意図について、注記しておきます。(誤解を避けるために。)

 本サイトでは、従来の学説とは異なった学説を提出します。
 ただし、本サイトの意図は、「既存の学説はすべて間違っている」とか、「本サイトに書いてあることだけが正しい」とか、そういうふうに独断的な主張をすることではありません。
 もちろん、「相対性理論は間違っている」というふうのに類する主張(いわゆるトンデモ)でもありません。
 では、何か? それは、「新たな仮説を提出すること」です。

 一般に、科学の歴史では、新たな仮説が次々と出てきました。既存の学説を「よし」として受け入れるだけではなく、既存の学説では解決できない事柄(未解決の問題)について解決しようとして、既存の学説とは異なる仮説が出てきました。
 そういう仮説のすべてが正しいわけではなく、ほとんどが間違いでしたが、それでも、ときたま、正しい仮説が誕生しました。

 科学の歴史とは、このように、「試行錯誤」(トライ・アンド・エラー)の連続でした。
 ここにおいて、「新たな仮説を提出する」という試行(トライ)がなされなかったなら、科学は停滞していたでしょう。その時点の水準に留まっており、その先へとさらに発展することはなかったでしょう。
 だからこそ、「新たな仮説を提出する」という試行が大切なのです。

 しかも、もっと大事なことがあります。それは、「新たな仮説は通常、提出された時点では、支持されなかった」ということです。
 たとえば、物理学では、「量子」という概念は、登場した時点では支持されませんでした。(古典力学が優先されており、量子という概念はあやふやなものでした。)
 同様のことは、他の概念にも当てはまります。たとえば、「クォーク」、「ブラックホール」、「ビッグバン」……これらの概念も、提出された時点では、支持されませんでした。ほとんど「トンデモ」扱いされたと言っていいでしょう。
 しかしながら今日では、これらのすべての概念は、大多数の支持を得ています。

 だから、仮説は、提出された時点で支持される必要はないのです。むしろ、提出された時点では支持されないような仮説こそ、革新的であり、有意義なのです。
 逆に、提出された時点であっさりと支持されるような仮説は、既存の学説の枠を出ていないわけですから、たいして重要性がないと言えましょう。コロンブスの大陸発見のように、人々の世界観を根底からくつがえすような理論こそ、重要性があるのです。そういう重要な学説は、出現した当時には、支持されにくいものです。

 まとめて言ましょう。
 本サイトの目的は、「これが正しい」とか「他の説は間違っている」とかいう、ひとりよがりの学説を出すことではありません。では、何が目的か? 学問のフロンティアを切り開き、学問の領域を広げることです。そのために、新たな革新的な仮説を出すことです。
 ここでは、正しいかどうかよりも、革新的であることが重要です。学説が正しいかどうかを決めるのは、理論家ではなく、実験家です。
 だから、本サイトの見解に対して、「正しい」とか「正しくない」とか評価するのは、妥当ではありません。本サイトの見解に対してなすべきは、「仮説として成立するか」ということだけです。
 もし「仮説として成立しない」と思うのであれば、そのための実験事実を出せばいいでしょう。もし「仮説として成立する」と思うのであれば、それを証明する実験事実を探せばいいでしょう。……いずれにせよ、実験が解答を出します。

 一方、「既存の学説に合致するか否か」だけを論じる立場もあります。それは保守的な態度です。しかしそれは、「新たな仮説を否定する」という態度であり、科学の停滞をもたらすがゆえに、非科学的なのです。
 だから、本サイトが読者に望むのは、「新たな仮説を検討しよう」という態度です。つまり、科学的な態度です。それこそが真実へ至る道だからです。



  【 補足 】
 いわゆるトンデモとの違いは、何か? 次のように対比できます。
    ・ トンデモ …… 従来の学説を否定する。
    ・ 本サイト …… 従来の学説と競争する。
 本サイトは、従来の学説を否定しているのではなく、従来の学説と競争しているのです。
 比喩的に言えば、トヨタと日産とか、巨人と阪神のように。これらは、相手を否定しているのではなくて、相手と競争しているのです。
 「否定」と「競争」の違いに、留意してください。





  一般的な意味での「科学的な態度」について

    ※ すでに述べたのは、「本サイトの意図」でした。それとは別に、
      一般的な意味で、科学的な態度について言及します。


 科学的な態度というと、人は次のように思いがちです。
 「科学的というのは、間違いなく正しいということだ。そのためには、間違いなく正しいと判明したことだけを学べばいい」

 しかしこれは、科学的な態度というのとは違います。これはただの「学習」または「理解」です。要するに、子供の「お勉強」です。小学生や中学生や高校生ならば、「間違いなく正しいと判明したことだけを学べばいい」という態度を取ればいいでしょう。つまり、教科書に書いてあることだけを学べばいいしょう。……これはあくまで、「学習」ですが。

 同じく生徒が学校で学ぶにしても、次のような態度もあります。
 「まず疑問を考える。次のように。
  『なぜ月は地球のまわりを回るのか?』
  『なぜ人間は猿から進化したと言えるのか?』
  『なぜ子は親に似るのか?』
  『なぜ恋をすると胸がドキドキするのか?』
  『どうしておなかが減るのかな?』
 こういうふうに、さまざまな疑問を得てから、その疑問を解決しようとして、知識を得ることもあります。そして、そういうふうに探求する態度は、「科学的態度」と呼ぶにふさわしいでしょう。

 そうです。科学的な態度とは、すでに判明した真実を単に理解することではないのです。いまだ判明していないことを、自ら探り出そうとすることです。
 そして、そういう探求を長年にわたって続けてきたからこそ、人類は多大な科学的な真実を獲得してきたのです。人類が多大な科学的な真実を得たのは、単に学習しようとしたからではなく、謎を解明しようとしてきたからです。

 学習をするというのは、受験的な態度であって、科学的な態度ではありません。しかし科学においては、「すでにわかっている真実が大事だ」ということはないのです。また、「覚えると役立つような知識が大事だ」ということもないのです。むしろ、逆でしょう。
 科学的な態度とは、一種の冒険です。知的な冒険。それは、実利・実益をめざすものではありません。人間の知的好奇心によって推進されるものです。……すでにわかっていないことについて、何とか探ろうとすること。今のところはあまり役立ちそうにないことを、あえて探求すること。……ここでは何より、知的好奇心が働きます。
 
 科学的態度とは、金儲けや出世の対極です。俗人は、「真実を知って金儲けしたい」とか、「真実を発見して出世けしたい」と思いがちです。けれども、そういう態度は、科学的態度ではなくて、実利的な態度でしょう。
 科学的な態度とは、確実な真実を学習することではありません。コロンブスで言うならば、「そこにアメリカがある」とすでに判明したあとで、安全に船出することではありません。むしろ、「この先にインドの大陸がありそうだ」というふうに、不確実ながらも信じて船出することです。それは冒険をする勇気(または無謀さ)のことです。
 人類が多大な真実を獲得してきたのは、そういう冒険が歴史的になされてきたからなのです。





 付録



 ※ 真実についての経験則 (皮肉な余談)

 歴史的に、真実はどのように扱われてきたでしょうか? 地動説はどうだったか? メンデルの法則はどうだったか? ビッグバンという概念はどうだったか? ……おおむね、次のようになるでしょう。
  •  真実は、たとえ発見されても、世間や学界に受け入れられるまでは、真実か虚偽かわからない。
  •  当初は、真実か否かがはっきりとわからない。その間、真実か否かを人が判定する基準は、「論理的な整合性や美」ではなくて、「どっちを取った方が出世に役立つか」である。
  •  ゆえに、真実が普及するまでは、人はあえて真実よりも虚偽を選ぶ。たとえ真実を知っても、真実よりも虚偽を選ぶ。
(例。「イラクに大量破壊兵器がある」というのが虚偽だとしても、その虚偽を信じた方が得である限りは、その虚偽をあえて信じるものです。)
(なお、人々が虚偽を信じている間は、真実のことを「異端の邪説」または「トンデモ」と見なすようです。)

 ※ 真実を選ぶための指針 (賢明になる方法)

 では、こういう失敗を避けるには、どうすればいいでしょうか? 真実と虚偽がともに提示されたとき、真実をまさしく選択するには、どうすればいいでしょうか? それには、「論理的な整合性や美」を優先するといいでしょう。
 具体的に言うと、次の二つのことです。
  • 実用的な結論が同等ならば、簡単な理論の方を取る。  (オッカムの剃刀)
  • 実用的な結論が同等ならば、美しい理論の方を取る。  (ディラックの見解)
 そうすれば必ずうまく行く、とは限らないのですが、そうすると結果的にうまく行った、ということが歴史的に多かったのです。では、なぜ? 真実とはもともと簡明で美しいものだからだ、と見なすといいでしょう。

( ※ オッカムの剃刀 ・ディラックの見解については、Wikipedia の「オッカムの剃刀」を参照。…… ごちゃごちゃ書いてあるようですが、とりあえず参考程度にはなります。)