守ろう人権、減らそう体重

 ニョーボが料理上手なせいか、1年に1キロ程度ずつ太ってゆくのが常である。
 これに子どもの分の片づけ食いが加わると時々どっと太る。細身の方なのだが、なんつうか「これを超えたら体質が変わって太り放題になりそうだ」という危機ラインってのが感じられることがある。かくして定期的に体重を減らさないと、という必要性に駆られる。
 というわけで今年も1割弱減らした。Oh should I say、500ベクレル減らした。(人間はほっといても炭素14とカリウム40で5000ベクレルくらいの放射能を含んでいるのだ。)
 意識的に体重を減らすのは、4,5,6月に限られる。夏ならばてるし、秋は無理があるし、冬は風邪をひく。消去法的にこの3ヶ月になる。体重を減らすのは結局「食わないこと」に尽きる。とったカロリーを多量に消費するというのはあまり効果的ではない。脂肪が燃焼を始めるのは運動を開始して20分は必要らしい。スクワットだとゆっくりやっても300回を過ぎた頃からしか効かないということであり筋力として無理がある。エネルギーを多量に消費する脳を動かせば疲れずにやせられそうな気がしたがブドウ糖しか消費しないらしく、結局頭がボーっとするだけである。「脳トレでやせる」は無理だったようだ。
 まあ、うちの嫁さんはカロリーと栄養素を暗算しながら料理をその場で創作するというかなりな奴なのでこのお方のご協力が得られれば、献立上はそんなに大変なことではない。
 問題は満腹前に止めることである。三度の食事以外を我慢することである。

 例によって創作意欲にあふれた私は、ここで「やせる歌」とか「やせる標語」などを作って、腹が減るたびに「生きること、それは目方を減らすこと」などと頭の中でつぶやき乗り切ってきたのであった。こうしてみると標語というのも悪くない。
 交通標語や人権標語が実におざなりに聞えるがゆえに標語というものを批判している自分がまさか自作とはいえ標語に助けられるとは思わなかった。

 ではどうしてこんな差ができるのだろう。人権標語は募集する側から言えば自分では唱えず、かといって他人が唱えることを公式にはともかく、実際には殆ど期待しないものである。これに対して減量の標語は自ら唱えて自らを鼓舞するものなのだ。しかも個人の動機があってやっているのだから込めた気合が違う。ダイエットというのは社会的に推進すべきトピックではないが、個人としては切実だ。これに対抗できるのは受験勉強とスポーツくらいだろう。社会的にはダイエット人口の方が多いだろうから、つまりダイエット標語は強力に多くの人の心に浸透する力を秘めているということだ。一方、人権問題は社会としては大事だとしても個人としては係わらずに済ませられるという幸運に恵まれればそれに超したことはない。浸透力を持つわけがない。

 というわけで、人権標語、今年はダイエットとコラボさせてみよう。
 「守ろう人権、減らそう体重」
 決してふざけているわけではないぞ。まずは意識させてナンボでしょう。多くの人が心の中で唱えてくれるんじゃないかなあ。

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