時そばの心理学

 超有名な古典落語である。
 そばの勘定を一文銭で置きながら
 「ひい、ふう、みい」と「やあ(8)」まで数えたところで
「今なんどきでい!」と尋ね、「へい、ここのつ(9)でい」と答えさせたのに続けて 「とう、じゅういち、じゅうに・・・」
まあ、時間を問うことによって「9」という数字を間に入れさせ、1文ごまかしたということなのだが、
「これ、心理学的にありじゃね」
と思った。

 つまり数字も「9」までくると具体的な数量ではなく、ただ順序として認識しているだけではないかということだ。だから数える間に数詞が入るとそれにつられてごまかされたのじゃなかろうか。
 では具体的なものの数として人が実感できるのは一体いくつまでだろう。
 ギアナ高地近くのヤノマミ族は「1,2、たくさん」。英語ではonce,twice,thriceのthriceが「幾度も、大いに」の意味を持つ。日本語でも「二度あることは三度ある」ということわざは「二度起こることは何度も起こりうる」という意味と解釈できるだろうから 「ひょっとして人類の能力は2が限界なの?」
という恐ろしい結論が出そうだ。
 もっとも「一度に認識できる事象は7」なんて話もあるので、そこまで悲観的にならずに済みそうだ。

 実験、してみようか。これは認知心理学の研究テーマになりそうだが。
 銀行員よろしくお札を扇型に開き、数えさせる。一度に2づつ数えさせるグループと、3づつ(あるいは4つ、5つづつ)数えさせるグループを比較して、正確さをキープし続けるのは・・・。
 ああ、だめか。今度は「もの」でなく「数字」を認識する技術になる。一昔前のイギリス人なら12進法に馴染んでいるから12の四分の一である3に慣れているだろうけど、一般には十進法。すると2、3(計5)、2,3(累計10)で数えるのが速さと正確さを兼ね備えた手法ということになる。
 まあ、そのへんは世の銀行員、体得しているだろうから改めて口をだすことはないのだろうけども、業務改革と称して「一度に5数えるようにすれば速度が上がるぞ」という人間が出てこないとも限らないから認識しておくことは必要だろう。

 急にこんな事を言いだしたのは「階層メニューの数にうんざりして」である。「料金のご相談の場合は1を、契約の変更については2を・・・」これが続くと自分が何やっているのかわからなくなる。音声ならイライラするだけだが、画面だと選択肢が4を超えたものを連続してオペレーションすると怪しくなる。
 私アホなのかなあ、と思って、いきなり「時そば」を思い出した次第。

 ところで「時そば」に出てくる「夜鷹」という名称。最下層の遊女の呼び名だったと思うのだけども、そうすると夜の零時を過ぎてそばを食べに来るという当時としてはありえへんシチュエーションも納得できるのだけれども、そこは突っ込んじゃいけないところなのか?

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