デジタルデバイド

 ここ一月ほどの間、デジタルデバイド問題をいろいろ調べてきた。本来、情報技術の利用可能性によって経済的格差が開くことをいうはずだが、まだまだ熟していない言葉なので、いろいろな意味で使われており、その裏には政治的意図すら見え隠れする

 例えば東京都情報化ビジョン研究会となるとIT革命の進行とともに生み出される情報通信技術の利用環境や活用能力の差が経済や生活の格差を生み出す「デジタル社会の階層分化」、となっており、さらに詳細にはUNDP(国連開発計画)が発表した1999年版「人間開発報告」において提起された、インターネットへのアクセス格差等の情報リテラシーの格差が個人の所得格差を生むとする「デジタル社会の階層分化(デジタル・デバイド)」と表記している。
 毎日コミュニケーションPCWebコラムでは、インターネットの普及によって情報入手が容易になる一方で、パソコンを持たないことで情報格差が広がり、生活そのものにも影響を及ぼし始めたこと、と無難にまとめてくれている。

 ところがこれが高知銀行では、インターネット(デジタル)を使いこなせるかどうかで生ずる企業格差(デバイド)という言い方をしており、うちの銀行からお金を借りてIT投資をやりましょう、でないとバスに乗り遅れますよ、というニュアンスが見て取れる。
 更には森首相、仏大統領会談では、ITを持つ国と持たざる国の格差、となり政治的意図を感じるのに超越的なイマジネーションを必要とはしないだろう。それともこの二人は本当にデジタルデバイドをこう思っていたのかもしれない。確かに、では途上国へのIT技術支援を、といったところで喜ぶのはむしろ合衆国だし。それとも2バイト文字圏では日本のアドバンテージを感じたか?

 ただし、この後半2つの事例はデジタルデバイド問題という言葉が直接示してはいない問題点を感づかせてくれる。デジタルデバイドでいう「格差」が、何と何の間の格差かという問題である。これをどう認識するかによって、その解決策も変わってくるわけだ。
 格差というのは「何と何の間」か、というのを問題にしなければならないということは案外理解されておらず、たとえば日本を代表するシンクタンクである三菱総合研究所は(野村総研は野村コンピューターサービスの名前が変わったものです)「デジタルデバイド(digital divide)とは、所得、年齢、居住地域、心身の障害など、様々な差異から生じる情報格差のことである。」などと書いている。波風の立ちそうなことを書くまいと思う気持ちからであろうか、問題意識は忘れてしまっているようだ。

 差があるのはあたりまえで、単純にそれが問題だといわれると不愉快ですらある。苦労して(金をかけて)情報技術を身に付けた我々(多分このページを見てくださっている読者の方も)の努力は問題を生み出した原因である悪いもののように言われているみたいではないか。
 差があるのは当たり前で、それならば今までにもBaseball Divideという問題があって、野球の下手な人間でもプロ野球選手として活躍できるようにというプログラムがあったかね。
 まあ、運動神経が鈍いといじめに会うという問題があるなら、そういう子どもたちをなんとかしようとする学校教師の努力はあるかもしれんな。
 そんなわけで、デジタル技術の習得の差により、何と何との間の格差が問題とされるのかという問題をもう少し掘り下げようという気になった。これが高知銀行の主張するように企業と企業の格差になるのであれば、企業としては競争力をつけるべくIT投資に邁進すればよいのだし、国と国の格差になるのであれば、国家プロジェクトの立ち上げが必要であろう。で、お金がない国にパソコンを送って、そこでFreeのOSを使って情報化を進めるという解決策も出てくる。

 ここで興味深かったのは、所得間格差がコンピュータの普及率の差に反映し、それが更なる所得格差につながるという議論。なるほど、格差を拡大再生産するからいけないのね。
 でも例えばどこかの情報化に力を入れている企業が「うちの会社はインターネットを使える人しか採りません」と言っても、それだけならむしろ当たり前のことだろう。
 単純に格差を再生産するというのは、従来の社会でも認められてきたはず。だって金持ちの子どもは金持ちでしょ。マタイの法則を引用するまでもなく、持てるものはますます与えられて豊かになるが、貧しいものは持っているものまでも奪われる、というのも自然なこと。ならば格差を再生産するだけなら許されても、これがなぜ問題になるのか。

 合衆国の議論を見ているうちに気が付いたのが「情報技術の人種間格差」という問題。例えば、韓国系住民は例え所得が低くともその中からやりくりしてパソコンを買うけれども、ヒスパニック系はそうではない、という調査結果(どの程度信頼できる調査かは又聞きなので知らないが)。なるほど、これで合点が行った。合衆国社会の大問題「人種問題」と結びつくのがポイントなのね。
 となれば、その解決策は典型的には「すべての人にパソコンを」で、なんとかなる。

 情報格差がそれだけでは、英語が話せるかどうかの格差、程度に収まるのだろうが、これが他の格差を助長するから問題になるということを本質としよう。
 では、これを日本語に訳すとどうなる。高齢化社会に伴う世代間の情報格差が問題となりはすまいか。社会参加の可能性の問題である。典型的にはアリゾナ州知事選挙でインターネットでの投票を可能としたことに付随する問題である。である。これによって投票率は上がったものの、これはインターネットにアクセスできる階層にとってのみのサービス向上であり、逆にアクセスできないものにとっては不利となるというように投票機会の階層別不平等をもたらす結果になったのでは、という指摘がなされている。このように世代間で社会参加可能性の格差ができるというのが、日本においてのデジタルデバイドの中心的問題となるのではなかろうか。
 ただし、経済的問題はたいした比重を占めない。経済的側面から世代間格差を見てみると年金の負担額と受取額の比率が物語っているように高齢者のほうが、圧倒的に有利であるから経済格差を助長するわけではない、とちくりと言っておこう。

 そうだとしたら、合衆国のデジタルデバイド対策をそのまま持ち込んでも有効とはいえないだろう。キーボードコンプレックスのある国とない国の差だけでも受け入れ地盤に相当の違いがある。従って、日本では安く、使いやすい機器を新たに作らねば解決策とならないかもしれない。初めから2バイト文字が通るようにするといいなあ。それとも超漢字を組み込み用の安価なプロセッサに移植しますか?パーソナルメディアではもうやってるかもね。

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