組織力低下のシナリオ

 戦車から軽自動車まで、の車両総合メーカー三菱自動車がクレーム隠し、ハブ脱落の欠陥隠しで叩かれている。しかし隠蔽工作の一糸乱れぬ統制ぶりを見ると、さすがは「組織の三菱」と感心させてくれる。(良いとは言えないことであるが、これも組織力の現れには違いない。)しかし、一方では三菱重工業長崎で建造中のフェリーが燃えたんだって、そういえば2002年に建造中の豪華客船も燃えたし、、、とここにくると「組織の三菱」が仇になる。「三菱は組織として駄目になっているんじゃないか?」
 三菱の内部については全く分からないので(その辺の情報を漏洩させないのも組織力と言えば組織力だ)、実際のところはどうなのか何とも言えないのだが、ちょーっと組織について以前から気になっていることを思い出してしまった。
 私は、組織でなければ作れない技術もある、と言ったりして組織力に重きを置いているつもりである。ところが、じゃあ組織力って何だと改めて問われると答えられない。実は底が浅かった。まずい。ものすごくまずい。ともかくもまとめておこう。

 実に単純に言うと、個人の力ではできないことがあっても集団ならできるから組織を作るんだよな。で、組織力とは個人ができないレベルのことを実現する力の度合いのことだよな。従って組織力とは、個人の力をいかに束ねて有効に発揮できるかで評価されるんだよな。
 おお、結論が出てしまった。おしまい。といいたいところだが、どうやって組織力を高めるかという問題は残る。というのは、組織の力が個人に勝るというのは必ずしも自明ではないからだ。たとえばテスト用紙の回答を埋めるという作業なら、みんなでよってたかって行うよりも、一番成績のいい奴に解いてもらった方が、はるかに早く、かつ正確であろう。
 極端な例に聞こえるかもしれないが、そうでもない。例えばプログラミングや単体テストを考えてみてくれ。テスト用紙を埋める作業とそんなに隔たっていないと感じられるだろう。

 組織の各構成員が、このように独立にテスト用紙に向かっているようなものだとすると、それは個人の集まりであって組織という形態をとる必然性は無いかのように見える。もし組織のメリットがあるとすれば、それはメンバーの「教育」と、メンバーが営業や年金保険料未納などといった事に悩まないための「サポート」にあるということになる。確かに人材派遣会社などこのパターンだ。
 そして「教育」や「サポート」が不要な人間の集まりであれば、実際「組織」の形態をとらずとも、良い生産物が生まれることが実証されている。オープンソースによるソフトウェアがそれだ。確かに開発者の集まりというものはある。しかしこれは組織ではなかろう。それともバザールに集う人々を組織と呼ぶようになったのだろうか?

 うん。組織力というものが今の私に分からなくなっているのは、(一応)コンピュータ関連の仕事をここんとこずっとしているからなのだな。プログラムを書いている時には、組織であることのメリットが、教育とサポートくらいしか実感として湧いてこない。もちろん既存のモジュールを使わせてもらったり、多くの人にレビューしてもらったりしているんだが、それでも基本的に一人でやっているかのような感覚が捨てきれない。少なくとも週2〜3日は在宅勤務でも何とかなるんじゃないか、というくらいの感覚で仕事をしている。

 まあ、これがコンピュータ業界にいる人間だけの感覚であればとりたてて悩むことはあるまいが、この感覚は世間に伝染しているはずだ。というのは「グループウェア」なんてものが普及してきたから。「グループウェア」を考案した人は、言うまでもなくコンピュータ業界の人間である。「グループウェア」は、まずコンピュータ業界の人間をユーザーとして想定しているはずである。だって考案した本人がプログラマだもん。従って、一般企業でも「グループウェア」を導入すると同時に、このコンピュータ業界人の仕事感覚をも導入してしまうことになる。
 グループウェアは、電子メールというコミュニケーションを提供し、会議室の予約を簡便にする。また掲示板という知識の共有の場を提供し(さっき言った「教育」だ)、面倒な事務をワークフローで「サポート」してくれる。
 コミュニケーションの拡大や会議室予約状況の把握というのも思考を拡大ないし合理化してくれそうな気はするし「教育」「サポート」もしかり。でも、これって本当に組織力の強化なの?個人を強化しているだけじゃないの?知識の点ではもっとも優秀な人を超えるのは難しいよ。人の集まりだからということで議論は生まれるかもしれないけど。一つの組織である必要はあるの?少なくとも直接に組織力の強化につながるものではないんじゃないかなあ。

 ただし教育機関である学校で、テスト用紙の回答を時間内に埋めて良い点を取る、という課題であっても、場合によっては組織で動いた方がよいこともある。
 多分小学校の小テストレベルなら、先ほど書いたように一番成績のいい人間が解いて、まあ次に成績のいい奴がチェックするというのが課題をもっともよく達成するやりかたであろう。
 これが中学校の定期テストとなると、科目ごとの得意/不得意の差が大きくなるので、科目ごとに担当を分ける必要がある。高校の実力テストとなると、同一科目でも分野別に得意/不得意が出てくるので、同じ化学でも暗記物はこいつ、計算はあいつと担当を分けなければならない。大学のレポートとなってくると、何人かをピックアップして討議をした上でまとめるというプロセスがあった方がよかろう。
 ここで問題レベルに併せたプロセスの選択と人員の選択が必要になる。いずれにせよ強力なリーダーシップを持つ学級委員が必要なことは言うまでもない。そしてその場合のリーダーシップは学校が上がるにつれて難しくなる。
 それでもこれができると、組織としての優位性ができてくる。

 なんとなく組織力の萌芽は見えてきた。(ちなみに製造業をモデルにして組織のメリットを考えると思考はものすごく楽になるのだが、製造業をモデルにしたプロセス管理の論法に飽き飽きしているので、無理してでも知的生産の分野に限って話を進める。なお、この例で行くとクラス内に遊休人員が生じ、利益社会の組織にあてはめるときすんなりいかないことになるが、それをどうするかについては今回は省略。貿易論の比較優位を持ち込めばなんとかなりそうだが。)

 さっき学級委員必要であると述べたが、強引に取り去ろう。すると次のような仕組みが必要になる。

 これで高校の実力テストまではうまくいきそうな気がする。ただし大学のレポートでもきちんと機能するかは疑問である。新しい発想はなかなかでてきそうもない。もちろんさらに複雑なことが要求される社会人のホワイトカラーの組織でうまくいくはずがない。さきほどの「判断基準」をつくるとあまりに複雑になるし、「検索システム」もありとあらゆる切り口に耐えられるデータ入力が必要になる(不可能である。だいたい全員の必要な全能力を一般的に計るというテストが行われていない)。だから仕組み作りはあきらめて中間管理職にまかせよう、という発想になる。で、あきらめた状態のままリストラ何ぞを行うと・・・結果は火を見るよりも明らかである。(悪いことにグループウェアはリストラのツールとして導入されたりする。)

 仕方がないから考える。よし、国語の現代文専門の人間を作ろう、地理の南アメリカ大陸の暗記項目専門の人間を作ろう。ようするに組織改革をやって専門化を図ろうというわけである。ところが、そのような担当分けがすんなり機能するかは別問題となる。俺は地理が好きだったのに、同じ社会科ということで歴史に回された、という不満もあるだろうし。生物の遺伝については俺のほうが詳しい、というのもあるだろう。担当でないところは勉強する気が失せるだろう。分担分けが今ひとつしっかりしていなくて「細かいところは各部署で調整して」と言われるところもあるだろう。なこと言われたって、中間管理職がいないのに誰の権限と責任で部署間で調整するの?また組織が実情にあわなくなったとき、誰が声を上げるの?それも専門に考える人がいるからいいってか?

 こうやって部門を作って専門を割り当てていると、組織構造を考える経営陣(ないし上級管理職)としては仕事をしている気になれる。これで業績が上がらなければ「オレがこれだけやっているのに、みんな仕事をしない」と不満に思うかもしれない。でも考えてみてくれ。みんながそれぞれの分担に喜んで従っているか?うまく回らないときのフォローアップはできているか?

 例えば会社が登録した特許が少ないことが問題となったりする。経営陣は対策を練る。「よし、特許室という部門を作ってそこを中心に推進しよう」。ところがそんなことを言われても特許室は「とりあえず何もできない」。まあ、特許マインドの向上を、とか言ってグループウェア上の掲示板に何か書くかもしれないがな。
 ところで特許申請費用は特許室が負担するの?類似特許がないかは調べてくれますか?せめて弁理士くらいは紹介してよね。と、アイディアを出した人間はここで気がつくのだ。部門を作ったはいいがこの部署全然フォローアップしてくれない。なのに特許の報告だけはくれとしゃあしゃあという、いいとこどりする気らしい。めんどくさい。特許とってもまとまった金をくれるという制度もないし、特許出願するのやめよう。
 かくして特許室を作ると特許出願数は減るという事態を招く。極端な例かもしれないがあり得ることだろう。誤解を招かないように申しておきますと、私の勤務している会社に「特許室」という部署はございません。

 特許室の動きが当初このようになるのは仕方ないことかもしれない。いきなり予算がついてます、というのはありそうもない。だからといってそのまま変な方向に行ってしまうのではいけないだろう。ここで組織改革後のフォローアップが必要なのだ。部門を作るのではなく、部門内を改善するのだ。中間管理職を取り去ってしまうと、これが極めて困難になる。特許室内部の改善にとりかかるリーダーシップを持ったものが、それこそ組織上、いないし、外部からクレームを述べ改善依頼をするものが、これまた組織上、いない。
 中間管理職を削減したのであれば、フォローアップや改善も経営陣(上級管理職)の仕事になる。ところが上級管理職の意識が「組織目標の決定」に留まっていると、組織改善の力がなくなったままということになる。いや、なお悪くなっているかもしれない。それまでは中間管理職をフォローアップするという職務が上級管理職にあったはずだが、それすらも無くなっていたとすれば。(はっきりいって組織目標の決定ならコンサルタントにだってできる。グループウェアをリストラのツールにするなら、各人および各案件を上級管理者が直接フォローすることをサポートする機能がないと。)

 中間管理職を省くための組織分担の明確化が、同時に組織上必要な改善への力を取り去ってしまったというのが、バブル崩壊後の組織の問題点ではないだろうか。だから這い上がれないのかもしれない。

 かくして結論が出た。組織とは力を合わせて単独では不可能な仕事をするための機関である。組織力とは、そのレベルの仕事を実現する力である。実現するやり方を改善する能力によって評価される。
 つまり、冒頭の「組織の三菱」は仕事を効率的にこなす力としては評価できるのだろう。起こったのは純粋に事故であると仮定してだが。ただし、生じた問題を解決せずもみ消そうとしたり、類似の事故を連発したのが問題となる。つまり改善する能力を失っていると判断されても仕方がないわけだ。だから組織として駄目になっていると評価してしまったのだ。自分では納得。

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