疎外される貢献感

 100円ショップとプレミアム価格の高級ブランド品には共通点がある。
 技術の発達に貢献しない。

 どうやら格差社会という奴になると、技術進歩が阻害されそうだと言うことに気が付いた。広義の「開発」なら進むと思うが、応用範囲が様々に広がるtake-offにつながるような技術革新を促進するとは期待薄なのである。(この僕がロストウの用語を使っているのだ。よほどのことだと思ってくれ。)

 何か必要になったら100円ショップを探す癖がついた当方のような貧乏層が増えてきたと思う。100円ショップは生き残りのために「商品開発」を続けてきており、それはそれでハードなモノであるらしいが、極論すれば既存のものを100円で売れるように焼き直せないか、という努力であり、新しいものを生み出そうということにはつながりそうもない。
 一方、お金持ちは、高いものを盛大に買うという噂だが、何しろ数が少ない。また、お金持ちが限定1個、数百万円するダイヤ製キティちゃんのブローチを買っても、それは特に新しい技術をもたらすモノではない。ごく一部の人にスポットで大きな利益をもたらすかもしれないが、また100円ショップと逆に、既存のものをいかに高価に、かつアピールするモノに仕上げるかという努力を呼ぶかもしれないが。

 中間層というかプチブルが多いと、適度に高価で、それなりに数が出て、それゆえに新技術を投入するに値する商品、というものが出てくる。これが日本の製造業ないし国際競争力を支えてきたような気がする。「典型的にはサザエさん一家」であるプチブル中間層の厚みだ。彼らが国内市場を形成してきたが故に、日本の製造業は世界のトップに立てたのだ。
 なにしろサザエさん一家は、家電の新製品が出るとすぐに買う。車を買い換えているかどうかは分からないが、ようするにそのあたりのすそ野の広い商品を購入する層、であることには間違いない。
 で、この層が没落すると、日本の真っ当な製造業が没落する羽目に陥るわけである。これが格差社会が招くであろう問題点。だから資源の少ない日本としては、海外から燃料や食料を買うために、新しい産業を興さなければならない。国内総生産だけでもサービス業に頼って経済成長を続けたいところだが、これまた中間層が没落すると散髪は1000円になった。

 散髪代が1000円になったことに言及したついでに。高校時代に友人が「散髪代=レコード代」という説を出していた。LPが2000円の頃、散髪代は一般に2000円。2500円になっても2800円になってもこの等式は続いた。CDが出て3000円に乗った。更には、クラシックCD旧譜の廉価版シリーズの価格が1000円まで下がったと前後して、1000円のバーバーが目立ってきている。発見したのは加藤君だったっけ?おまえスゲーナー、と一言いっておきたい。

 産業構造の高度化を見据えて、日本政府はサービス業にテコ入れしたが、しょせんサービス業は国内市場をターゲットとしたもの。海外から収益を上げることができずに、どうやって燃料、食料を買えというのだ。海外から収益を上げやすいサービス業の分野であるコンピュータソフトウェアは合衆国に握られ、アジアの金融センターは東京から離れて、どこかに行ってしまったみたいだ。アニメもディズニーに遅れること20〜30年。新キャラクタが細ってきた。
 先日ディズニーランドに行ったけど、ディズニープリンセス大集合の特集だったんだよね。白雪姫(1937)、シンデレラ(1950)、オーロラ(1959)、ベル(1991)。人気が落ち目になってコンビを組んだ芸人さんのようだ。(最近はコラボというのか?)

 というわけで、結論は「労働分配率が低いと、モノが売れない」という当たり前の事実になるのだが、で、皆さん忘れていることなので、改めて指摘するのは悪くないのだが、これで終わっても面白くない。
 なんで労働分配率が下がったか。

 とにかく結論を出すのを主義としている私は仮説がひらめいた「企業が労働者を雇用していることを既得権と思っているからだ」。雇用されていることを既得権と捉えて仕事をさぼっているように見えるおまえが何を言う、と言われると辛いが(なんにもないって凄いことだよ)、雇用関係を既得権と思っている点では同類である。私はともかくウチのニョーボに匹敵する人間を今から労働市場で調達しようとしてみなさい。もしいたとして(いないと思うが)いくらかかる?年俸1億じゃきかないよ。でもウン百万で雇っているでしょ。将来の給料はいいよ、と釣っておいて「昨今の情勢に鑑み」で給与を下げる。釣った魚にエサをやらないおまえが何を言うと言われると、、、いかん、自分のことは棚に上げよう。
 あ、検索していたらそれっぽいのがあった。「社員が歯を食いしばって」いるそうだが給料は下げるのね。国有化された銀行だから仕方ないとはいえ、これって、給料下げてもきちんと働く社員を雇っていることを既得権と捉えているのではないかな?それとも逃がさないように何か具体的にやってますか?

 そうでなくとも社員の発明に対する見返りが薄い、と言われている現在。見返りの薄い理由は結局「発明できる社員をやとっていた既得権」になってないか?
 というわけで給与を「再調達コスト」と考えれば労働分配率はいやでもあがるぞ。。。とまあそういう適当なことを言っておく。

 でも「たまごっち」の発案者(当時20代OLだそうだ)への分配をどうするか?という各論にゆくとこれは難しい。大ヒット商品の発案者としてもっと厚遇しよう、と言いたいが実は第1次たまごっちブーム、最終的に赤字だったらしい。増産したところであきられて、在庫の山。さあ、この損失の責任を発案者の20代OLにとらせるかどうか。
 発案で厚遇したなら、最終責任も取らせるべき。しかし失敗はマーケティングだろう、と言われればその通り。でもマーケティング部門だけに責任を取らせていいのか?責任を取らせるとするならば、マーケティング部門は常日頃からそれなりの厚遇をすべき。すると「マーケティング部門に雇用されている」ことが既得権になってくる。まずいことに「通常何も生み出さない既得権」だ。
 つまり結論が出ない理由は「企業の成功(失敗)に関わる人間はとても多い」という当たり前のこと。たまごっちOL一人では何もできない。マーケティングだけでもできない。たまごっちのプログラムを作った人間だけでも何もできない。でも、彼らの目から見ると「自分がいなければ、あの大ヒット商品は生まれていなかった」だろう。各自が自覚している貢献度の合計は、大ヒット商品が企業に対してなした貢献度よりも大きい。だから不満がどうしても残るのだ。
 そして別の種類の「自分では貢献している」と思っている人が最近増えてきた。「たまごっちを作ったバンダイの株を持っている自分が唯一の貢献者である」。まちがいじゃない。ただし今まで「応援者」だったのが「貢献者」になっただけだ。それは貢献者には違いない。
 「貢献度」が金銭に換算できるとして、換算額は企業規模と密接な関係を持つ。貢献が大きいとすれば、それは大きな企業規模を実現した「株式会社」という制度と、株を買った資本家のおかげには違いない。ニョーボは同業他社比、年間人件費を○億円減らしたが、これが小さな会社ならコンピュータ投資との差額はせいぜい数十万、といったところかもしれない。僕もアウトソーシング費を○億円減らしたが、それは元々そんだけ払っていたからのこと。僕らの貢献額が膨らんだのは、出資者のおかげなのだ。
 しかし創業に加わったならともかく、既存の株を市場から買い入れたというだけで、貢献者として最大の既得権を得ることができるというのは納得しがたい。既存の企業規模から利益を得ているという点で僕らと同じだから、梃子ではあっても(だから応援ではあっても)貢献ではない。特にそれがハゲタカファンドの場合は。

 というわけで労働分配率が下がった。モチベーションが下がるのも時間の問題だ。(会社が損しても、自分の待遇は十分下がっている、今後損するのは株主だ。会社が潰れない限りべつにかまわないんじゃないか?という発想が必ず出てくる。経営者の危機感が末端まで伝わらないという話はよく聞くが、待遇を恒常的に下げてしまうと末端の危機感は「自分が会社から与えられる待遇の低下」が最大のものになってしまう。、経営的観点の危機感なんが伝わるわけがない。だから待遇を下げるのは条件を付けて一時的に、でないとダメだ。そんな風に「会社にいる既得権」を守らないとモチベーションは低下する。既得権は悪いものと思われがちだが、属していることに既得権を感じないような会社に誰が忠誠を誓うだろうか。)産業の空洞化はこれからだ。

 でも、それなりに満足した水準で分配しあえないほど、人件費支出前の利益って低いのか?高度成長期はインフレがあったとはいえ、これが高かった。バブルの時代は資産インフレ分がそれなりに配分されていた。現在、中国製の安価な製品と競争しているとはいえ、空前の利益を上げている企業も多い。そいつらはどこへ行った?
 一応ここで「適当に利益率の高い製品」を買うのが中産階級で、これが没落すると利益率は減り、分配も下がるということで、冒頭の説とつなげているつもり。

 生産者と消費者を分離させることで利益が短期的にでも極大化できるなら、そうするのが資本。かくして生産者と消費者の利益の方向が狂い、全体最適がとれなくなった。参考にできるものがあるとすれば、大英帝国の植民地支配。大英帝国と日本の場合は旧植民地が随分経済発展しているんだよなあ。

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