It' a small world

 うちの下のガキ(4歳)が「せーかいはひとつ」と歌っているのを聞いて上の娘(9歳)「世界って一つなの?」
 「いや、たくさんあるよ」と答えると、「やっぱり?」。
 「でも地球は一つだよ」。「それはわかってる」。
 深い意味を持つ会話は実にあっさりと終わってしまった。

 下のガキの歌っていた歌のタイトルは「It's a small world」。保育園で習ったらしい。パパは間違いなく「世間は狭い」と歌えと教えたのだが「世界は狭い」と歌っている。
 この訳は最適ではない!ということで主張。合衆国で、たとえば初対面の二人が話していて、共通の友人がいる!とか分かったときに
It's a small world!
と叫ぶそうだ。だから日本語に訳すと「世間は狭い」になるはずだ。

 というわけで世間がどれくらい狭いか実験した人がいて「知り合い6人を経由すると、全米のすべての人とつながりを持てる」というsmall world現象というのを発見した人がいるらしい。日本でも追試が行われたそうだが、やっぱり6人というのがあやしい。いろいろ調べてゆくと実は都市伝説?みたいなところもある。
 でも旅先で知り合った人と、4人を挟めば知り合いつながりだったりしたのを発見したのは、ちょっと感心(なんと内閣を経由する)。同様に4人を経由すると、大指揮者チェリビダッケに行き着くと知ったときはちょっと感動。後にそれが2人になったときは感銘。(前者は友人のホームステイ先の娘が、ピアニスト、ミケランジェリの孫弟子だった。後者は知り合ったファゴット奏者の師匠がミュンヘンフィルの団員だった。)

 でも、It's a small worldという展示物ができた時勢を考えると、「世界は狭い」という意味もこめていたんだとは思う。
 これは1964年ニューヨーク世界博でお目見えしたらしい。世界中が航空網で結ばれつつあり、どんどん世界が狭く感じられるようになった時代。ならば「世間は」ではなく「世界は」狭い、小さい、そういう意味もこめていたのでは、と想像できる。で、世界中の子供に囲まれた世界で一番幸せな旅、というコンセプトを考えると、今で言うと(今というには若干古めですが)「世界がもし100人の村だったら」というイメージでしょうか。

 だから今、It's a small worldを再創造すると「地球環境の問題」というメッセージが込められることになるかなあ。

 うちの娘とのあっさりとした会話に込められた意味は、長くいうとこういうこと。
 世界はたくさんある。今までの世界は互いに独立した文明圏であって、世界がたくさんあったとも言える。昔は別の文明があるなんて知らずに別々の世界で暮らしてきたわけだ。絶海の孤島に住み着いた人、鎖国時代の日本なんかが典型的。でも、交通の発達によってそれらはひとつの地球という上に乗っているものだということが判明した。そして、地球環境の限界/資源の限界がわかるようになって独立には存在し得ないらしいこともわかってきた。
 見ようによっては、ひとつの国の中にも世界は複数ある。古くは典型的にはカースト制。現在は発展途上国の貧富のどうしようもない格差。先進国でも合衆国のWASP資本家とマイノリティの貧乏人は別の世界に住んでいる。
 しかし世界がたくさんあるからといって地球がひとつであることを忘れているのは問題だし、地球がひとつだからといって世界はひとつと主張するのも誤り。

 でも、地球環境/資源の限界を考えると、別々の世界であっても地球の上にある以上、運命共同体であるという価値観をすべての世界が共有していかないと持たないことは明白になってきた。
 そしてさらには複数の世界と一つの地球という価値観の差異を認めずに互いに押し付けあうのが現在の(環境保護を優先するにせよ、利益を優先するにせよ)政治運動の問題点だ、ということ。

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