シンプルな自由研究

 夏休みの自由研究。
 題「弥生式土器」
 説明「おじいちゃんちで掘ってきました。」

 今年は記録的な集中豪雨が多かったから、埋まっていた土器が転がり出てきたということもあるだろう。で、こんな小学生の自由研究ができたと。
 何か解説を加えたくなるかもしれないが、わたしはこれで十分だと思う。
 本物の圧倒的説得力の前には、余分な説明など不要である。
 しかし、そこで何か手を加えたがるのが普通の人間というもんだろう。

 嫌なのは、妙に説明をつけると、それが立派であればあるほど「どうせWebを検索して、コピペしたんだろう」と思われそうなことである。まあインターネット以前でも、百科事典を適当にまとめながら写して「研究」と称していたものである。その頃は、それをまあまあ評していたような気はするが、検索とコピー&ペーストが十分すぎるほど一般化した時代にあっては、下手すると何でもコピー&ペーストしたものと思われて全く評価されなくなったようだ。
 だったら本物の弥生式土器を置くことができれば、それだけで十分、という選択はありだと思う。

 まあ、おじいちゃんちの地形図を出してきて、弥生時代はこの辺まで海だったと無理やり推論し、川があったので弥生人はこの辺で暮らしていたのだろうとか結論付ける。それにしてもこの土器、色が白っぽいね、図鑑で見たのとずいぶん違うね、なぜだろう。そういえばこの辺の特産の焼物は白いから、それがこの土地の粘土の質なのかもしれない。ならば図鑑の色と違うのも無理はない。ここまで書くとコピペに見られないかもしれないが、多分そんなことまで考えるのは、多くて千人に一人というオーダーだろう。
 かわいそうなのはそれ以外の999人である。弥生式土器を見つけた、興味を持っていろいろ調べた。がんばってまとめた。でも、コピペとみなされた。一挙にやる気を失うだろう。
 ならば、そんな嫌な思いをさせないために、いろいろ考えさせるのは止めて
説明「おじいちゃんちで掘ってきました。」
だけで終わらせるというのは十分合理的な選択だと思う。
 これでも一箇所は添削しないとね。掘ったと書いたらだめよ、届出とか許可が要るからね。拾ったのなら問題ないからね。

 ちなみにうちの子は、自由研究と称してわらじをつくりました。これで「研究かあ」と正直思っております。これで「旅行は佐渡島がいい」と言って、わらじで歩き、ついた土に金が含まれているかを調べるようであれば、いかにも自分の子なのだがなあ。

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