スクープ:超能力は実在する

 アニメ「絶対可憐チルドレン」のおかげでうちの子供たちは超能力にハマっている。
 上の子は自称レベル2の念動力者らしい。根拠は雨が降っても雨粒が当たらない。
 おばあちゃんはレベル3のサイコキノらしい。根拠は、額に手を当てると体温がぴたりと分かること。
 おばあちゃんの能力は勘と愛情だろうが、確かにうちのガキは運がいいというにはあまりにも雨に降られずに済む。かといって念力で鉛筆一本動かせるわけではない。本人が言うには「小さな雨粒に限る」のだそうだ。
 そんなわけで実験をした。ドライアイスを水につけて霧を発生させ、そこに手を入れて霧をはじくことができるか見てみたのだ。もちろん不可能。うちの子に念動力はないらしい。雨に当たらないのは単にものすごく運がいいだけ、ということらしい。

 だからといって超能力がないというのでは夢がない。なんとか成立させられないものだろうか。
 テレパシーならあるんじゃないだろうか。というのは、脳で考えるというのは要するに脳に電流を流すことである。多少電磁波として漏れていても不思議ではない。だったらそれを受信することができるかもしれない。
 受信できるとすればどういうときか。人が盛大に電波を漏らしているときだから、強い思いに囚われて、かつそれを隠そうとしていないときに違いない。例えば?話しているとき、同じことを頭で考えているはずだから、言葉によらずともに伝わってきているんじゃなかろうか。
 なんだ、そんなのテレパシーを使わなくても分かるじゃないか。そうだ、これでは洒落にもならない。で更に考えた。強く思って、かつ声に出さず、隠していないとき。そんなシチュエーション、ないわけではない。
 恐怖に囚われているとき。探し物をしているとき。こんなのどうだろう。

 恐怖を感じている人が何を考えているか?探し物をしている人が何を探しているか?なんとなく聞こえた経験はないだろうか。そういえばそうだなあ、と思った人、結構いるのではないだろうか。僕も年に一、二回だがあるんだなあ。頭の中に声が聞こえるような気がする。そうか、私はテレパスだったんだ。というわけで先日の件、あんたが考えていることが読めたから勘弁してあげますよ。(などと書くと、ぞっとする人が何人かいそうだ。)

 その他にも、演奏中に演奏者が考えていることが聞こえたことがある。一生懸命4小節先のメロディーを歌っているのだ。あ、いきなり暗譜で弾けといわれたから必死で思い出しているな。で、いきなりぐちゃっと、そりゃそうだ、ここは技術的に先のメロディーを考える余裕はない。終わりが近くなると次のフレーズが無いから、何考えたらいいか分からなくなっているようだ。えーと、えーとここはどんな風に弾くんだったっけ。。。あ、おじいちゃんの顔を思い出すんだった、おじい・・・あ、終わった。
 後で確認すると、まさにその通りのことを考えていたそうだ。自分の子が弾いているんだから、分かって当たり前か。

 きわめて怪しいが、これはテレパシーだと強弁することにした。
 しかしこの理屈付けも、次のような問題点がある。他者の考えていることが電波で飛んでくるとしても、自分が考えている時に生ずる電流に比べるときわめて微弱である。結局はノイズであり、はっきりと読み取れることは考えにくい。
 かくしてテレパシーは精神が弱い人、ないし精神が弱っている人に見られる現象ということになる。ようするにボーっとしている人だ。超能力者がぼーっとしているなんて、なんかイメージしにくいナア。
 しかし巷で出回っている脳理論にあるように、アルファ波が音楽を聴いている時に出ているのであれば、さらにアルファ波が出ているときに相手の思考が発する電波を受信することが容易になるとすると、音楽を聴いているときに、演奏家の考えが良く分かるというのはありそうなことである。(アルファ波ってディザ信号の役目をするのか?)

 というわけで、ボーっと音楽を聴いているとテレパシーが発現しやすい、ということになる。となると、まてよ、ひょっとして。。。
 サヴァン症候群ってテレパシーじゃないか?

 サヴァン症候群とは、精神薄弱(主に自閉症)なんだが、特定の分野にのみ驚くべき才能を示す、という奴である。有名どころでは、一度ピアノを聴いただけでその通り間違えずに弾ける、というのがいるが、さすがにテレビでピアノを聞いただけで、というのは伝説的過ぎる。それとも14歳までピアノ聴いたこと無かったの?(ある日付を出すと曜日をピタリと当てるというのは演算能力だから理解できるとして、ソナチネ程度の曲を聞いただけで弾けるというのは理解できるとして、チャイコフスキーのコンチェルトをいきなり覚えることができたとしても、指使いまで分かるというのは、いくらなんでも、である。なにしろ盲目だし。)
 さきほどのテレパシー説に基づいて解釈すると、これが解ける。さすがにテレビではなかったのだ。実演だろう。あるいはテレビだとしてもピアノが弾ける人が傍にいたんだろう。で、その思考を読んだ。無意識の筋肉の動かし方を含めてそれを覚えてしまったのだ。こんな風にサヴァン症候群の発現に、実際に可能な人の思考をテレパシーで読み取る、というプロセスを無理やり挿入すれば、あとは記憶力/演算能力の問題となる。そばにいる他人の能力を我が物とするのである。具体的な筋肉の動かし方を脳から脳へダイレクトに吸収する。仮説としては悪くなさそうだ。
 すると日付から曜日を算出する人についても彼の能力が発現したとき、となりでは誰かが日付の計算をしていたのではなかろうか。彼の能力の限界が西暦3200年になったということは、最初に発現したときに横にいた人が3200年に一度の例外処理を知らなかったと考えれば辻褄が合う。

 サヴァン症候群は、傍にいる人の能力を我が物とできるテレパス、としてみる。この言い回しなんかに似ているぞ。冒頭にあげた「絶対可憐チルドレン」に出てくるグリシャム大佐だ。この人、エスパーであるが傍にいるエスパーの能力を利用することができる。テレパスが何で?と突っ込みかけていたが、上述のサヴァン症候群と同じ原理で利用することができると説明可能だ。椎名高志(このマンガの作者です)やるじゃないか。もっともグリシャム大佐、記憶力は普通の人なので、エスパーが離れると学習した能力は消える。

 思考を電流の流れと見ると、植物と意思疎通するというのもうなずける。不思議な経験だがあったんだわ。目の前の屋久杉から伝わってくるイメージがニョーボに良く似ていたせいか、なぜか会話が成立した。「この杉は立派だけど名前が無いのでまんぼう杉と名づけよう」「なんだそれは」「ニョーボのことだ」「・・・(照れている)」。
 この杉は、予定より帰りが遅れた当方を心配しながら待っていてくれた。(星新一の植物がテレパシーを媒介するのでは?という仮説は間違いだとこのとき悟った。)
 そういえば、僕自身、サヴァン症候群らしきものが発現したことあったなあ。コンピュータとじゃんけんゲームをやっていて、催眠状態に陥った。何回も、何十回も勝ちが連続した(ホントは20回くらいです)。ただし実用性は全くない。これで相手がパチンコやスロットマシンだったらなあ。

 一月違いのエープリルフールじゃないよ。・・・ネタは作成済みです。

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