「使命感」保存委員会

 首相の母、息子が金がないと言ってきたので、使途も知らず、贈与か貸与かも考えず、毎月1500万だか2500万だか出していたらしい。確かに政治献金ではないわな。自民党と民主党、双方にカネを出しているから。しかしなんというあまちゃん。振り込め詐欺対策を強化キャンペーンのときは彼女を旗印にするべきだろう。

 久しぶりに実家に戻ったが、うちの親は、振り込め詐欺に会うことはなさそうだ。だいたい貧乏なので振り込むだけの金がない。泣きつくような子どもを育てた覚えもないだろう。それにしてもエネルギー消費が少ない家だ。暖房はないし、明かりも暗い。風呂も沸かした形跡がない。
 戦前の遺物「物価統制令」が今だに対象としている、銭湯料金統制の対象に温泉を加えて利権の延命を図るというのはどうだろう。各家庭で風呂を沸かす代わりに一時期、掘りまくった温泉を有効活用して省エネを図るというのは十分口実になると思う。

 一方我が家はエネルギー使いまくりである。ウチのガキは「エコ」と言いながら部屋の電気はつけっぱなし。暖房は入れっぱなし。なんと犬用に暖房を入れていた。不本意ながら犬なんぞを飼うことにしたのである。これで名前を「エリザベス」などとすると、赤塚不二夫的センスがあふれて好きなのだが、平凡にも「メイプル」である。もちろん子どもは「シュガーメイプル」父親は「ブラックメイプル」を想定している。まあどちらもメイプルには違いない。というわけで枯渇が心配されているはずのメイプルが比較的安価なギターにも使える理由が推測できた。シュガーメイプルは樹液が取れなくなると植え替えるものだそうだから、結構安定供給が図れそうだ。もっとも栄養分を吸い取られ続けた木の質がどうなるかは残念ながら知らん。(なおブラックメープルからも樹液は取れるらしい。)

 まあ子どもが犬がほしいといい始めて、夏休み限定でレンタル犬を借りたところ、随分と成績が上がって、仕方なく購入を許可したのだが、よくあることだが結局世話をしない。休日の散歩は私の役目である。適当に飯を食わせ、前述のように暖房まで用意してやり、苦労してやっとるのだが、有限の地球資源を食いつぶしてまでこんなのを養う必要があるのかきわめて疑問である。犬に対して「おめーが存在しておる理由は、子どもの精神を安定させるためで、そのためにただ飯を食わせているわけであり、その役が果たせない場合はソーセージよ」と言い聞かせておるのだが、いくら我が家に住んでいるとはいえそこは犬コロ、理解できるわけがない。
 そうこうしているうちに、飯だけはガツガツ喰いまくり、およそトイプードルとは思えない重量にまで成長した。私のレスポール(約5キロ)といい勝負である。

 犬に使命感を期待するのは間違っているのだろうが、このドッグフードを作るために使った穀物の量で、最貧国の人間が何人食べていけるかを考えると実際良心が痛む。
 子どものときに先進国の人間1人が食べる食料をオリジナルカロリーに直すと、インド人の42人分になると聞いて朕深く心を痛めたんだわ。それだけのものを消費して、自分にはその価値があるかとね?とりあえず回答は探すことにした、探している間は刑の執行は猶予して、と言い訳しながら。
 なわけで、使命感のない人間を見ると腹が立つ、というか使命感のない人間が存在するということが理解できない。(ホントは理解したくないだけ。)
 で、本人の許可はもらったつもりなので書いておくと、前回書いた「ギタリスト身体論」の八幡さんがそういう人だったんだな。日本のギター教育史に無知なままギター教師をやっているだけならあきれれば済むのだが、どうやらこの人何らかの怒りは持っていたらしい。ギターの左手、小指まで使ったフィンガリングで無理を強いられ手を痛めた人が大勢いる。そういったフィンガリングを無批判的に指導してきた従来のギター教育に怒りを持っていたことは確からしい。
 しかし、なぜ皆がそう教えてきたかの理由は想像すらしようとしなかった。リッチー=ブラックモアに憧れた小林克己という人がおそらく日本初の体系的ロックギター教本を著したから、くらいの理由なんだろうがね。しかし、八幡さんと違って僕はこれを評価している。そういうフィンガリングを教わった中から、高度なテクニックを身につけたギタリストの世代がきっちり育っている。左手首への負担はネックを(上から見て)斜め前に突き出すことによって軽減している。こういうのを進歩という。(前回ちょこっと書いたが、高崎晃は無駄な力を抜くために左手親指をネックから外すことまでする。)

 が、確かに無理に左手を小指まで酷使した結果、ギターが弾けなくなった知り合いが何人かいれば、怒りを感じるのは無理もない。が、この程度ならただの愚痴だ。本当に怒りを感じているならば「そういう悲劇を繰り返さないために、身体に負担をかけない演奏法を体系化して、きっちりと世間に発表してやる」という使命感に燃えるはずなのだ。4本指で弾けば高度なテクニック獲得に結びつく、という先人の教えを否定するつもりであれば、単に貶すのではなく、説得力をもって馬鹿にすべきだ。僕ならこう書く。
《クラシックギターを真似て小指まで均等に使ったフィンガリングを推奨しながら、クラシックギターを謙虚に学んだ形跡が提唱者たちには見られない。もし、きちんとクラシックギターのレッスンを受けているのであれば、ジェフ=ベックのように場合によってはピックではなく指で弾くスタイルを採用した人が何人もいるのが当然であろう。》
 さらに使命感に燃えているのであれば、ぼくがチラッと触れた古武術について意識的に無視するはずはない。後で知ったのだがリンク先の甲野善紀氏の動きを参考に身体に無理のない演奏法を作ろうという動きが確かにあり、12/11の日経新聞夕刊でも紹介されていた。フルートの息が続くようになったとか、翌週は同じ動作で太鼓のダイナミクスを広げることが出来たとか、きちんと研究している人がいる。ちょっと安心。世の中にはマトモな人もいる。今は亜流かもしれないがそのうち人を感動させる演奏をすることによって正しさを証明することもできるだろう。

 まあ人間とはいえ他人に気を回すよりウチの犬に使命感を与えるのが先である。せめて二本足で立って歩くとか、演奏の良し悪しを評価するとか(ニョーボのインコや先のレンタル犬はできた)、なんか特技はないものかね。
 ウチのガキには、犬の世話をしないと、という使命感すらない。自分が飼うといっておいてこれである。それは、人を音楽で感動させてみせなければ、という使命感がないのは仕方ない。うっとりするほど柔らかい手首と、完璧な肩の線と、数セントを聞き分ける耳と、超自然現象一歩手前の勘を持ち合わせているのだが、本人それが普通と思っているから。(ヨーロピアンタイプのアゴ当をつけると肩当なしでバイオリンが微動だにしないという肩の形をしている。つまり裏板の響きが鎖骨にそのまま伝わり、少なくとも上半身で共鳴する。本人は歯がびりびりと震えて気分が悪いらしいが。)
 僕としては親の知り合いが多いためか医者に見離されてもよみがえった体力体調のせいか、小さいときから特別扱いしてもらえたのは感謝している。ついでに特別扱いしてもらったのを自覚していたのは大きかった。だから自分を普通と思わずに済んだ。生かされているという使命感はあたりまえのようにあった。でも医学の常識に従えば、とっくに死んでいてその分の生活質料でインド人が42人生きていける筈だったというのは、きついぞお。
 残念ながらウチのガキはルックス以外それほど目立ったところはない。確かにこれでは自覚もなにもあったもんじゃないなあ。ニョーボは庄屋の娘(とでもいいましょうか)という使命感にあふれておるが。

 だからエリート教育って必要なんだな。実はそう思っている。自らスピットファイアーを駆って、優勢なメッサーシュミット群に突っ込んでゆく自己犠牲を培う教育である。能力のある人間に人のために尽くす、という使命感を教え込まないと、合衆国のようにハゲタカが育つ。日本にはきちんとしたエリート教育があったんだ。坂の上の雲の時代だけじゃないぞ。たとえば「薄給にかける青春」国家公務員上級だ。だから天下りには賛同しないとしても、僕は連中を尊敬している。少なくとも若いとき、努力と自己犠牲をやっているぞ。
 だから彼らを叩くにしても、まずは尊敬しなくてはいけないと思っている。人気が落ちて転進したグラビアアイドルに素人丸出し質問を偉そうに出され、ひたすら答えるだけの立場に追い込むというのは問題が多すぎる。彼らへの報酬「誇り」と「尊敬」を奪ってはいけない。奪うと本気で私利私欲に走るぞ。連中頭は普通よりいいんだ。日本を食いつぶす気になればいくらでもやってしまえるんだ。分かっているのかおめーら。
 敬意を持って接しよう。日本をよくする権限と能力を一番持っているのは、とりあえ ず彼らなんだから。

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