○○へのこだわり

 フランス語には、子供語と大人語の間に差があまりないそうな。
 なわけで、英語で言うとIt is impossible.なんて3つの子供が言うらしい。
「それは不可能である」ってね。
 まあ日本語に差がありすぎるのかも試練。欧米の学術用語をせっせと漢字に翻訳したからな。ついに漢字の本家中国にも輸出され、中華「人民」「共和国」と国名に日本語を採用してくれるまでになった。喜ばしいことである。
 あ、脱線した。ではフランスの幼児がどういうときに「それは不可能である」と言うかというと、単に「やだよー」という意志を表示するときらしい。フムフム。この話をおフランスの中華料理屋(さっきの脱線はこれの伏線だったのだ)で聞いて数年。日本語で「ありえない」が流行的女学生常套句となった際に、思い出した。そうか。日本語の乱れと思っていた「ありえない」はフランス語の「やだよー」の影響だったのだ。さすがはグローバル時代。お隣の国が日本語を国名に採用するくらいだ。彼女らの日常語がフランスの影響を受けるのはある意味当たり前といえよう。

 といいながらも、伝統的日本語に心惹かれるのも事実。「ありえない」と同じ頃流行った「こだわり」というフレーズ。伝統的には非難の言い回しだったらしい。金田一先生が上手い例を出していた「器にこだわる、と言ったら、料理で重要なのは味なのに器のほうを重視するとは何事だ!と怒られるのが普通だった」とか。たしかに「こだわり」は元来美徳とはいえない。が、本当にそうだろうか。ふと思い出したことがあったのだ。え?こだわりをテーマとしたマンガのネタになったとか?それもあるけど、最近、美徳といっても良かったある種のこだわりが急速に薄れているのが気になるのだ。

 町工場回りの営業をしていたとき、汚い工場の中、磨き上げられた機械で巨大な円筒が削られていた。「精度はどのくらい出るんですか?」「タバコのパラフィン1枚」。
 埃っぽいなか糸鋸を操っている人。穴をあけているらしい。「ドリルじゃできないんですか?」「ドリルではどうしても中心がずれる」。なんと小さな穴をあけて穴の周囲を糸鋸で切って広げていたのだ。目指す直径は3ミリ。つまり1ミリ程度の穴をあけて、そこに糸鋸の刃を通しケガキ線に沿って切ってゆく。当然、糸鋸の刃は穴の周囲にあわせて切ることが出来るように削って湾曲させている。もちろんそんな刃が売っているわけではない。自分の手作業で削るのだ。
 これは聞いた話だが大工さんは柱の平面を出すのに鉋をかけるのものだが、当然刃が平らでなくてはならない。刃が平らであるために研ぐのだが、その前段階として砥石を研ぐそうだ。それでも曲がっているだろうと尋ねたところ「地球と同じくらい曲がっている」と答えたそうな。しびれるじゃないか。

 「海外に発注すると誤差0.1mmと言ったところはほんとに0.1mmずれている、しかし日本人は0.01mmまで詰めて持ってくる。」そうな。注文を満たしているから、で終わりにせず、道具がないからとドリルで穴をあけて済ませない。これは「無駄」であるがすごいと思わないか?枝葉末節への「こだわり」であるが、このこだわりに共感しないか?
 これが美徳としての「こだわり」なのだ。

 ただし、この「こだわり」は急速に薄まってきた。多分世代交代の結果である。「こだわり」が金にならないと分かって、「こだわり」言い換えれば「職人芸」を志向する人間が減ったってことである。たまたま鉄を削る仕事くらいしか選択肢がなくて、そこで働き始めた人が「極める」というこだわりを持って名人芸を身につけた。次の世代は選択肢が広い。3Kはやりたくないってことかもしれない。まあ、職人芸でビールを造っていたのが大量生産に流れたようなものだ。ただし職人が残っていた間はうまいビールが修道院に行けば飲めた。行く手段は世代交代の前に整っていた。したがってひと世代にあたるおよそ30年。堅気の職人と自由な消費者が共存する時間があって、その間、うまいビールが飲み歩けた、と。あーウエストマーレ・トリプルが現地で飲みたかった。

 「こだわり=職人気質」が薄れ始めたといえど、こだわりへのあこがれは国民性として持っているから、職人気質の末期に「こだわり」という言葉が美意識を伴って流行したのであろう。言葉が流行するというときはこんな要因もあるということだ。今まで当たり前だったことが、でも尊重していたことが失われてゆくとき、それを示す言葉をあえて使いたくなるってことだ。
 もっとも町工場すべてがそうだったというわけではない。20年以上前ちょっとした原発事故があったとき、とある工場のおっさんが怒っていた。「図面ではこうパイプがついているはずなのに、実際にはこっちについていた。」後日、配管の作成ミスについて報道がされたとき・・・青くなったことだけは記してもよかろう。

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