後出ししないで、「ご理解とご協力」

 発達障害の人の態度を弁護しまくったうえで
「ご理解とご協力を」
で締めるという論調が嫌である。

 原因は発達障害側にあるのだから、一般社会という環境を変えるのではなく、発達障害側を変えるのが筋であろう。実際のところ私もアスベルガー症候群ではないかとニョーボに疑われている。言われてみれば目の前の女性のフラグをことごとく見逃していたので、そうかなと思う。今考えると滅茶苦茶残念。ということはニョーボは結婚前に相当イライラしたってのを言いたいわけか?書いていてやっと気が付いたところなど、私の鈍感さはなかなかのもののようだ。
 そういう私でも、気を遣いまくってそこそこ健全な社会生活を送っているのだから、発達障害の方は発達障害を言い訳にすることなく、通常の社会生活をキープすべく努力し、かつ「ご理解とご協力が足りない」などと他人に責任を押し付けることなく、悔い改めの日々を送っていただきたいものだ。

 私は何も間違ったことは言ってないと思うが、なぜか「人権」というのを振り回して障害の側に立つ(つもりの)人が多い。歴史的建造物に車いす用のスロープがつくことは仕方ないとするが、障害者に対応するストレスを押し付けて当然視するのは許しがたい。せめてこの「ストレス」を軽減することを考えてほしいわけだ。一方的にお願いするのではなく、妥協案を模索しようということだ。

 やたら態度の悪い店員がいる。あとで「あれ、アスベルガーの精神障害がありまして」と言われても不快感はぬぐえない。もう少し冷静に追い込めば傷害未遂くらいは起こしてくれそうだから、精神鑑定で無罪になるとしても経営者は店頭に出すわけにはいかなくなるだろう、と考えてしまったりする。その方がストレスを感じる人が減るのだから、社会的には望ましいことなのだ。いつの間にかこちらの発想が不健全になってきた。
 どうしてくれる。ご理解はいいから健全な発想を保てるよう、ご協力してほしいものだ。

 そこで健全を貫くために考えた。対応させられる側のストレスを軽減する方法。
 店員さんその他「ご理解とご協力」が必要な方の胸に分かりやすいプラカードを下げるのだ。「私は発達障害です。ご理解とご協力をお願いします。」
 変かな?何か問題を起こして都合が悪くなったところで「実は〜でして、ご理解とご協力をお願いします」と後出しの言い訳をするならば、最初からそれを開示しておけ、というわけだ。結局あとから言うのだから初めから表示しておいてもいいだろう。「発達障害者」マークにしてもいいな。
 マークなら抵抗感はすくなかろう。自動車の若葉マーク、紅葉マーク、障害者マーク(蝶々マーク、四つ葉マーク)と前例はある。車の運転がスムーズでないかもしれないからお手柔らかにね、とあらかじめ言っているわけだ。それを考えると、人間関係をスムーズに構築できないから勘弁してね、とあらかじめ表示することは当然と言えよう。
 これが電車の中の赤ん坊であれば、見ればわかるから、泣き出したところで素直に「ご理解とご協力」に移れる。普通に見てわからない場合は、予測できるように表示してね、ってことだ。

 当方の考え、論理的には正しいと思う。それでも感情的に反発する人もいそうな気はする。しかしながら少なくとも後出しで「ご理解とご協力を」でごまかそうという態度よりは健全ではなかろうか。

 2018年4月からは比較的理解可能な発達障害どころか、障害者手帳を持つ精神障害者の雇用が義務づけられている。当然、雇用主体にとって、内部外部へのストレス源となる。これが予測できる以上「それを和らげるための対策は不要である」とは誰も言えまい。「ご理解とご協力」は従来からさんざん言ってきているわけだから、何らかの新たな対策が必要になるだろうということだ。

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