ムダ・ムリ・ムラのなくしかた

 高校生の時だったか「勉強法」の本と言うのを読むと
「ムダ・ムリ・ムラを無くそう」というのが書いてあった。
 たとえとして、一度に3つの荷物を運べると仮定した場合のことが書いてあった。
・1つしか運ばなければ効率が悪い:ムダがあるからです。
・4つ運ぼうとすると運べません:ムリがあるからです。
・初めに3つ次に2つ運ぶとよくありません。:ムラがあるからです。
 これを読んであなたの言う「ムラ」って「ムダ」のことじゃないの?と突っ込んだ。
 結局、その本で記憶に残ったのはそれだけだったということは、多分大したことを書いていなかったのだろう。
 ムダ・ムリ・ムラを無くせという感覚的な衝動があったようだが、じゃあそれってなあに?というのはどうやら答えを出さないまま本を書いたらしい。
 ムダ・ムリ・ムラは生産管理の現場から言い回しを借りてきたのだろう。確かに生産管理ならそこそこ理解できる。

 ムダというと、無駄な作業(分かりやすいのが書類作り)、無駄な移動というもの、無駄な在庫もそうかな。ようするに「プロセスに関するもの」と総括できる。
 ムリというと能力以上のことをやるということ。よーするに「計画に関するもの」である。
 ムラというと「偏在」。ある避難所では支援物資があふれているが、まるで足りないところもある、という感じ。資源や仕事の配分の問題だから「運営に関するもの」と言えそうだ。  この観点からとらえなおすと在庫の問題を「ムラ」に持ってきたいが、運営がいい加減で在庫量が増えたり減ったりするので多めに在庫を抱えておかねばならないのは「ムラ」。恒常的に過剰在庫を抱えているのは「ムダ」と分けてみたい。(おい、大問題をあっさりと分かりやすくまとめてないか>自分。)

 これをお勉強に当てはめてもあまりうまくハマらない。確かに「あれどこ置いたっけ」と探す時間は無駄、だが、そんなもん。強いて言えば、復習は早めにやった方が効果的なのだが、ついつい後に伸ばしてしまう。これは追加的な勉強時間を必要とするので「ムダを発生させるプロセスの問題」とはいえそうだね。
 ところが、無駄はもっと別のところに出る。大学入試直前になって、受験科目以外の勉強をするのは多分「ムダ」である。志望校以外の過去問をやるのも恐らく「ムダ」である。マークシートの試験なのにせっせと記述式をやるのも「ムダ」である。
 そういうことであれば、勉強の場合の「ムダ」の原因が分かる。無駄はなぜ生ずるか。「対象が分からない」からである。

 ムリはかなり生産管理とリニアになる。一日30時間勉強するとなるとこれはムリだろう。英文法知識が不十分のまま長文読解をしてもこれはムリ。単語を辞書で引いて、訳本に当たって、となると解けなくはないが効率は悪くなる。確かに能力以上のことをやっているからね。
 しかし一日30時間勉強は地球の自転速度が変わらない限り、永遠に無理であるが、長文読解はそのうちできるようになる。(できないと困る。)途中で生産計画の前提が変わってしまうようなものだ。となると「能力以上のことをやる」というより「違った順序でものを進めようとする」の方が原因を説明するものとしては適当かもしれないな。やはり「計画に関するもの」と総括していいだろうが、ここは「ムダ」と同じようにまとめてみたい。無理はなぜ生ずるか。「順序がわからない」からである。

 ムラ、これは生産計画と勉強では異なりそうだ。生産はたいていの場合複数人にまたがる作業で、場合によっては複数個所で行う。対象が複数だから資源を分配するやり方が不適当な場合やムラが生ずるのだが、勉強の場合、学ぶのは一人である。資源の分配が偏るというのはなさそうだ。しかし、生産計画でも好意を持った女性のいるセクションについつい優先的に資源を流す人がいるように、得意科目に時間をより多く配分してしまうというのはあるだろうね。あるいは同じ科目でもついつい不得意分野を後回しに、ということはありそうだ。
 んでもって悪いことに後回しにした科目は「時間切れ」で結局勉強が足りなかった、ということになりかねない。トータルの得点を上げるにはむしろ不得意科目、不得意分野に重点を置いた方がよいというのは自明だろうに。というわけで、ムラはなぜ生ずるか。「楽に流れてしまう」からである。

 というわけで受験勉強に即して言うと
「対象が分かり」(出題範囲と傾向、問題の型)
「順序が分かり」(問題が解けるようになるまでの知識と技術を重ねる)
「楽に流れなければ」(自分の得意不得意を克服するよう勉強する)
ってことをやればいいとなる。

 んでもって、志望校を決めればこれらを考慮に入れた、生産管理ならぬ勉強管理ができるのが質の良い「進路指導」という奴なんだろう。(志望校に手が届かないことが分かっていても「第一志望はゆずれない」とするのが「ムダ」かどうかは議論の余地があるが。)
 入試の難易度とパターンを把握して、それで合格点を取るように、勉強計画を立てる。
 これは独学では難しいな。やはり予備校なり進学校にたまっている(ハズの)ノウハウがいる。あなたのがっこー、ありますかー。

 受験勉強だと「言われりゃその通りだ」になるが、企業教育だとゴールがあいまいなので「あとは各自に任せる」でポイっかもしれない。前回とは逆に学校教育が使い物になる(例えば一流大学に合格する)人間を育て、企業教育が「使えるかもしれない人間ができるのを待つ」になっているのかもしれない。ようするに教育の結果生まれることを期待する人間のレベルが企業の方が低いということ。これに対して学校は無理してでも一流大に滑り込ませたい。企業はそこそこ能力があれば、そこそこ仕事は振れるし、いざとなれば、いびり出すなり給料おさえるなり選択肢があるのでこうなるのだろう。

 なんで最後「独学」が出てきたかというと、もともとが「ギターを弾けるようになりたい」人がどうするか、を考えたからなのです。独学でやる時の問題点は、というところで「ムダ・ムリ・ムラ」の三拍子に思い至ったのですね。指の間が開くようにとテニスボールを入れてストレッチするのは多分ムダだし、弦一本をきれいにはじけないままコードをジャカジャカを始めるのにはムリがあるし、スケールを一つのポジションでだけ練習しているのは多分ムラがある事だと思うぞ。この辺ちゃんと体系化しないとな、と思ったところで
「そーいや、高校生の時に読んだ勉強法の本にあったムダ・ムリ・ムラ、突っ込みっぱなしで解決してないぞ」
ということに思い至った次第。

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