どうてい(道程)病

 前回、高村光太郎の詩「道程(どうてい)」を手がかりとして、日本人が広く共感する気構えを、あからさまに表現した。つまり

 自分は誰から何も教わっていない。ただ環境があるのみである。
 だから自分がこれからやることは、今まで誰もやったことがない。
 これから自分は大変なことをするのだから、安全はそちらで保証してほしい。
 やる気をなくなったとしても、それはそちらの責務である。

 人生なめとんのか!なのだが大学入試の小論文でテーマに「道」があったら引用必須といわれているほどのモノなのでこれがジャパンスタンダードな態度なのだろう。

 これが日本独特のスタンスだということを言いたくてイギリスの例を多少強引に引いてきたが、同じイギリスで、もっとわかりやすい例があった。
 王立議会の議員としては「暑いので窓を開けてください」しか発言しなかったが、シャイだったからかな、手紙ではいいことを書いている。
「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです。」

 ニュートンがロバート=フックに書いたことらしい。
 先人の切り開いた道を(すなおに)たどって、そこから見えた風景のことを言っているのだろう。高村光太郎、およびそのフォロワーは自分が今いる地点を今の人類の到達点とみているわけだからこんなことはできはしない。

 さて、この程度の内容であれば前回の文書の補足としてもよかったのだが、確認のためにこのニュートンの言葉を検索すると「ちょっとみなさん、意味取れてないよ」ということがあったのでそちらのことを書く。
 オリジナルはシャトル学派のベルナールという人らしい。確かに彼はニュートンと同じ言い回しをしている、が、時代を考えてみてよ。全てが教会の権威で動いていた時代。異教徒の自然科学の成果を収集し、保存するのは大変なことであっただろうし、その結果分かったことも多かったろう。
 だからベルナールの心中はこうだったのかもしれない。「自然の仕組みが異教徒の先人のおかげで分かった。しかしそれを口にすることは許されていない。だからぎりぎり許される表現を使ってみた。巨人の型の上に乗っている。」彼は見えていたとしても前に踏み出すことを許されていなかった。前に踏み出すという発想すらなかったかもしれない。
 ニュートンは踏み出した。

 実は巨人の肩の上に乗ることは簡単である。かの子ども環境活動家グレタちゃんでさえできている。つまり電灯のスイッチをひねるとき、どれくらいの巨人の型の上に乗っているか想像する必要はないということだ。白熱電球を発明したエジソンはもちろん。交流送電を作り上げたテスラ。電磁誘導というとファラデーだね。導線を作り上げたのは誰だろう。チリの銅山から鉱石を運んでくる船のバラストを誰が考案したの?醜いものとして嫌がられる柱上トランスだってすごいものだよ。変換効率99%。
 しかしそこから先を見渡すことは、ちょっとしたことだけど、なかなかできることではない。まず巨人の型の上に乗っているという自覚すらないのが普通だから。なのでしれっと言ってしまう。
「僕の前に道はない」
(グレタちゃんに至っては、肩の上に乗っていることを自覚すらしていない。せめて先人に感謝してほしいものだ。感謝したうえで「でもこのままでは行き詰まる」という主張なら耳を貸す。いや貸さないな。誰でも気が付いていることを改めて騒いでいるだけだ。)

 自分の周りにある道すら見えない人間に、どうして前を見通すことができようか。
 きちんと批判するために、この傲慢で鈍感な精神に私は名前を付けようと思う。高村光太郎の有名な詩を用いてその存在とその精神への多くの共感を証明したのだからネーミングは当然これになる。

 道程(どうてい)病

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