〇(漢数字のゼロ)について
まえがき
俗字の字典で、「〇:漢数字のゼロ」について触れました。しかし他の用事で資料をあさっているうちに、いろいろ面白いネタが集まってしまいました。もったいないので、本稿にまとめておきます(貧乏性ですな)。
歴史的な考察
基本的なトコだけ押さえておきます。
数字の「0」自体も、インドで7世紀ごろに成立したもの。それ以前には存在しない文字。
漢字の「零」は、『玉篇』・『説文解字』にもある古い字で、7世紀以前から存在する。意味としては「しずかに降る雨」とか。これを、いつから数字の「レイ、ゼロ」に当てたのかについては未調査。『諸橋大漢和』は「邦訓」とするが、中国でも例えば『漢語大字典』に新しい用例ではあるが数字のゼロの意で載っている。『大漢林』は「現代の用法」として数字のゼロの意をあげる。
和算など東洋の数学史関係を調べれば多分わかるのだろうけど、パラパラ立ち読みした限りでは見出せなかった。
日本の辞典・論文・書籍での扱い
Jack Halpernの『新漢英字典』1)が「「〇」は「マル」と「レイ」という「音読み」と「訓読み」があるから「漢字」だ」と言っています。そりゃ、ムチャですがな(^^; この字典では、同一親字で、「伏せ字の○」(用例がfour letter words…トホホ)や、「マルバツ」の「マル」も一緒にあげています。
『現代漢語例解辞典』2)(小学館)では、「○(まる)」と「〇(漢数字のゼロ)」を同一のものとして、「非漢字」というページで収録しています。
『漢字典』3)が「〇」を漢字として収録しているそうです。「漢字典(All Kanji Catalog)」の思想によると、
我々が「〇」(漢字のゼロ)も漢字として採録したのは同様の理由による
とあります。この本は¥15万(!)もするのと、収蔵する図書館も少ないのとで、実物は未見ですが…
天明7(1787)年ころに書かれた「たとへづくし」4)という本には
零 算法に一ッ 間置(あひをく)ことをいふ 又○(まる)を代(かは)りとす
とあります。すくなくとも、この時期には漢数字の「ゼロ」があったと判断してよいでしょう。
中国での用例ですが、笹原宏之先生の論文5)で、
(○を)「零」に当てることは元代以来のこととされる
との記述があります。つまり中国での用法として、13世紀までさかのぼることができるわけです。
中国の辞典・論文での扱い
さすがに漢字の本場は「濃さ」が違います(笑)『辞書研究』という雑誌で、いくつかの論文が発表されています6-9)。
蒋永星は『説“〇”』6)で、《説文解字》、《爾雅》、《康煕字典》にはなく、《現代漢語詞典》にあると書いています。
また、干光遠の『建議増加一個漢語方塊字“〇”』7)では、《現代漢語詞典》の他に《新華字典》にもあることが書かれています。
また、干光遠の論文を受けて、高謐は『“〇”巳収入漢語辞書』8)で、かなり詳細な調査結果を公表しました。漢数字のゼロを収録するものとして、下記の辞書をあげています。
- 《現代漢語詞典》(商務印書館)1965年・1975年試用本、1978年第1版1983年第2版
- 《四角号碼新詞典》(商務印書館)1977年第8次修訂本、1982年第9次修訂本
- 《新華詞典》(商務印書館)1980年第1版
- 《新華字典》(商務印書館)1979年修訂重排本、1987年重排本
- 《簡明漢語字典》(上海教育出版)1981年第1版
- 《三角号碼字典》(寧遼人民出版)1983年第1版
上記の緒字書が、ほとんどすべて《現代漢語詞典》の釈文を引いていると書かれています。また、この文字の「部首」・「画数」・「四角号碼」をどうするのかという楽しい話題も提起しました。
さらに、舒宝璋は『説“〇”』9)で、これらの論文をreviewしています。この論文でフセ字の「○」、即天文字の「星」についても触れられています。
でも、中国での明確な起源について述べられた資料は見出せませんでした。
計算機上のフォントとしての実装について
JIS X0208:1997の規格表の字形(平成明朝)やMS明朝などのフォントでは「〇(漢数字のゼロ)」は「真円」になっています。一方、PC-9801の16ドット漢字ROMや、JIS X9052(ドットプリンタ用24ドット字形)では、やや縦方向につぶれた字形になっています。さて、何ででしょ?一つには、「記号のマル」と画面上で区別するためだと思われます。しかし、これまでの活字/写植文字では必ずしも「記号のマル」と「漢数字のゼロ」は区別されていなかったように思います。誰がこの区別を計算機上で始めたのでしょうか。まぁ、昔の英文タイプでは1とIが兼用だったくらいなので不思議ではないのかもしれませんが…
また、直接は関係ないですが、Microsoft Accessでのソートの際には「漢数字のゼロは合成用マルと同じ扱いで、すべて無視される」という、すばらしい仕様が、益山氏のMS ACCESS 95/97の美しいソート順という解析結果で報告されています。
そして混沌へ…
さて、いわゆる「ISO-2022-JP」の枠内で、「漢数字のゼロ」に似た字というのがどれだけあるか見てみましょう。
- 0 (30:1byte文字の数字のゼロ)
- O (4F:1byte文字のアルファベット大文字オー)
- o (6F:1byte文字のアルファベット小文字オー)
- 。(01-03:日本語の読点)
- ゜(01-12:半濁点)
- °(01-75:度記号)
- 〇(01-27:漢数字のゼロ)
- ○(01-91:記号のマル)
- ◯(02-94:合成用マル)
- 0(03-16:2byte文字の数字のゼロ)
- O(03-47:2byte文字のアルファベット大文字オー)
- o(03-79:2byte文字のアルファベット小文字オー)
- Ο(06-15:ギリシャ文字のオミクロン大文字)
- ο(06-47:ギリシャ文字のオミクロン小文字)
- О(07-16:キリール文字のOの大文字)
- о(07-64:キリール文字のOの小文字)
少々ムリがありますが、こーゆーのを見て「あははっ^_^」って思うのは私だけでしょうか。
さらに「則天文字」の「星」という文字があります。字形は「○」です。「圀」も則天文字で漢字なら、「○」が漢字でないと誰が言えようか、いや言えまい(反語)。則天文字については文献10,12)に詳しいです。「○」は689年に公布された文字です。
また、江守の『解説字体辞典』13)の644-645pに「輪」の代用とする2画で書く「○」が示されています。「ひらがな」の「わ」の草体に由来しているようですが、これなども、「〇」と同一の字形と言えないこともない。
あまり「まとまり」のない文章になってしまいましたが、とにかく、「〇」が文字史の中で「変」な感じがあるというのを伝えられれば、当初の目的は達成できたと思います。
引用文献
参考として学術情報センターのWebcat書誌データへのリンクを加えた。
1)『新漢英字典』,Jack Halpern,研究社
2)『現代漢語例解辞典』,,小学館
3)『漢字典』,勝村哲也・丹羽正之,京都漢字研究会
4)『譬喩尽』,同朋舎,213p,1979年11月20日初版第1刷発行
5)『<喜喜>に見る符号・紋様の文字化』,笹原 宏之,1990,中国語學研究 開篇,vol 7,104-107p
6)『説“〇”』,蒋永星,1982,辞書研究,第2期,141p
7)『建議増加一個漢語方塊字“〇”』,干光遠,1988,辞書研究,第6期,100p
8)『“〇”巳収入漢語辞書』,高謐,1989,辞書研究,第5期,133-134p
9)『説“〇”』,舒宝璋,1991,辞書研究,第6期,91-93p
10)『則天造字と日本における「則天文字」の受容』,王 維坤,(『古代の日本と渡来の文化』81-94p所収)
11)『古代の日本と渡来の文化』,上田 正昭編,学生社,1997年4月29日初刷発行
12)『則天文字の周圏論的性質について』,笹原宏之, 1987, 中国語学研究 開篇, 4, 29-36p
13)『解説字体辞典』,江守賢治,三省堂,1998年6月1日(普及版)第1刷発行
付:漢字表記について
中国の簡体字については、適宜、日本での通用字体に改めました。
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