猪原の世界へようこそ
-これ本当。もう一人の猪原との遭遇-
史上初、いのはら氏のためのホームページ!猪原氏は一大コミュニティを形成するか!
インターネット上に存在する世にも奇妙な出会いとマイノリィの世界
「私も猪原です」
意外なEメールを受けました。私がこのメモリ空間にホームページを掲載してちょうど一ヶ月経ったころです。一ヶ月で約千人の方が私のホームページを訪れて下さいますが、Eメールは稀です。Eメールによりますとこの猪原さん(愛知県在住)はインターネット上で偶然私のホームページを発見し、自分の姓と同じなので驚き、関心をもってEメールしたそうです。確かに全国的に見ると珍しく、私の出身地以外では会ったことがありません。あ、もちろん、私の住むアナーバーにもいないです。イノシシのハラッパですからね。祖先はなにを考えたんだか・・・。で、さらにこの猪原さんは
年も私と同じ、子供の年も同じ・・・
伺えば、本籍地は広島県福山とのことでした。はーん。私の郷里の岡山県井原市は福山に隣接していますので、おそらく同源だな。で、祖先を伺えば17代前が福山に住んでいらっしゃり、その後お祖父さんの代で福岡に移り住んだとのことでした。私もこの変な姓に興味をもって小学校のころ調べたことがあります。我が家は井原市大江の本家より井原市井原に出て8代目です。大本家筋に近い井原市出部のおばあさんによると大江ではさらに8代ぐらい住んでいたらしいので、祖先が大江と福山に移ったのはほぼ同時期のようです。その前は猪原は井原市字猪原に住んでいたそうです。どちらも姓の素性の詳細がよくわかりませんが、どうせ大した家柄じゃないです。ただ、江戸時代初期には百姓をしていたはずなのにそのころの文献にもなぜか名字が許されて既に猪原なんです。謎です。だいたい、どうして百姓が文字を読み書きできるでしょう。
それにしてもインターネットとはおもしろいもので、まさか十数世代も後の子孫と思われる者がアナーバーと愛知県に住みながら出会うんですから。それも偶然。めずらしい姓をもっている貴方!ウェブの向こうには今までの考えられなかった出会いがあるですよ。それも簡単、ネットサーチで自分の名前を入れるだけでいいのです。あ、「でもだからなんなんだ」って言われればそれまでですけど。(^o^;)>
で、
数回Eメールでやりとしているうちに、文末に「それではお近くにお越しの際にはぜひお寄り下さい」としたためました。でも、まさかこの猪原さんと会うとは思っていませんでした。ところが、
「来週行きます」
え?
うち、アメリカなんですけど。
伺えば商用だとか。おいでになるところは我が家(緑通り)と道二筋違い(耳心通り)のトヨタのテクニカルセンターだとのことでした。今年春先にもおいでになったとのこと。おいおい。
Once I told about this funny story to Marry, my colaborator. She told me,
"Oh! Maybe, You have a SECRET twin brother. In your babyhoods, both you were devided to two families. Now you'll meet with the dramatic story and the great secrets will be revealed." (Laugh)
"Oh, my Godness! What shall I do if that's true."
こうして二人の猪原は会ったのでした。
猪原No.1:「はじめまして、猪原です。」
猪原No.2:「いや、もう一人の自分に会うような気がして。ひょっとしたら会った瞬間、宇宙が崩壊するのではないかと」(笑)
かくて宇宙が崩壊することなく二人は会えました。長身でがっちりした方で、私のコテコテでっぷりとした体格と対照的でした。
「いや、来る途中でスカンク踏んじゃって、車臭くてすいません」
「あれ、臭いですよね」
他の車に跳ねられてアライグマの死体のよくたわる道を走らせながら、いろいろ伺いました。というより、日頃新しい日本人と話す機会が少ないので、思わず自分の安月給のことなどベラベラと私自身しゃべりまくったのが現実でした。
これといって観光地も娯楽もないアナーバーでもてなすすべを知らない私は研究室で遺伝子操作と培養細胞を取り扱っているところをお見せした後、我が家で粗食を召し上がってもらいました。
こうして猪原さんからEメールを受けて以来、全国の猪原さんから連絡を受けることとなりました。
3人目の猪原さんは先日売り出されたCD−ROMの中に自分と同じ名字の私を見つけられてお声をかけていただきました。私の泥臭いテキスト中心のホームページと違い画像たっぷりの美的センスにあふれたホームページです。しかも読み込みが重くありません。
4人目・5人目の猪原さん親子(広島在住)からは「江戸初期の井原の代官に猪原がおり、私はその子孫だ」という貴重な情報をいただきました。互いの家系を突き合わせてみましたが、少なくとも8世代の間にはクロスは見つかりませんでした。屋号姫路屋さんです。私の小学時代の同級生の「猪原」君の親戚に当たられる方であることはわかりました。ちなみに井原市の小学校にはクラスに一人以上猪原君がいます。
しかも今度は本家本元の井原市の方だあーー!屋号どて幸さんです。ついにコンピュータ文明と猪原ネットワークは井原の地まで延びた。全国の猪原さん、話が進んだらまた報告します。
ネットで見つけたその他の猪原さん
猪原恵里子 | ちょっと有名な女優だと思われる。 |
猪原 大華 | 画家だと思われる。イノハラかどうか未確認 |
猪原商会 | 画像転送装置なんか売っているみたいである |
私の故郷の井原市には猪原という地があります。猪原は「いのはら」「井の原」であり、河原の意味です。その証拠に下流の山が川に迫っているところを井口(いのくち)、さらに下流の森のあったところを井森(いのもり)と呼びます。関東八党で有名な猪俣党も本来「井の又」つまり川の合流点を意味する地名です。私の解釈では井原市の由来の井原村も我が家の姓と同様のネーミングと考えています。古文書に出てくる「えばら」は今の井原市西江原と東荏原を指すと考えています。何はともあれ、前述のおばあさんによると猪原が猪原氏の発祥の地なんだそうです。戦国時代に流れ着いた弱小戦国武将がその地に住んで地名をそのまま氏にしたとも、江戸初期に名前を変えたとも言われています。
やがて、分家が大江に移り、猪原にあった本家筋はその後数の上では衰えて専ら大江を中心に猪原は増えます。私の直接の祖先の大江国吉の猪原氏はその分家の分家の子孫にあたります。その後、さらに分家して井原本町(当時井原村)へ移りました。その子孫は明治の初期に自転車屋をしたので、この家は今では自転車屋の屋号で呼ばれています。その後、私の祖先を含めて4支流が井原市各地に散り、今や井原市は猪原だらけ。この4支流の子孫のいくつかは大都市へと移り住み、現在に至っています。大多数の猪原の住む大江でも井原の過疎化に伴って大都市に大量に流出していることでしょう。猪原はこの奇妙な名字を変えなかったのでゴキブリのように着実に増えています。なお、少子の進んだ今でも、最近の追跡調査でも猪原の子孫には一家に一人は必ず男子がおり、これからも確実に増えることが期待されます。ほら、もしかして貴方の後ろにも猪原がいるのでは・・・。
かつてパソコンが普及しはじめたころは、パソコンは人の交流を阻害すると言われました。これはちょうど、鉄道が初めてできたときに人体は列車の高速に堪えないという論文が報告されたり、パソコンのモニターから人体に有害な光線が出ているといった報告と同様で、初期のパソコン機能の不備を突いたものです。今や電子ネットワークは新たな人の交流を生み、経済を動かし、科学に創造力を与えています。これからは超国家的な存在となった情報交流が政治をも動かし、国家の概念をも変えていくでしょう。とりあげたような同系家族社会は一次産業の成熟とともに発展し、二次産業の興隆とともに衰退しました。家族、血縁のもつ意味合いはその後も薄れ続けて単なる話題にすぎません。
一方、情報伝達および交通の発達によって情報交換が遠距離でも可能になると、地域内でのきずなのもつ意味合いも薄れてきています。産業の流動化は人の移動を伴いますのでこれをさらに促進しました。今度新しく施行された小選挙区の中だけで暮らしている人がどれだけいるか疑問です。寝床の場所の台帳に基づいた選挙で本当に国を動かすまともな議員が選べるのでしょうか。
さらに交換される情報量は加速される傾向にあります。人は今まで知らなかったことを勉強できます。また、現在では情報全体を把握するのが困難になっています。それに伴って、個人の価値観と思想は多様化しました。こうした多様性をも受け止めることのできるインターネットが私は好きです。この素晴らしい環境に規制されないことを心より願っています。インターネットに限らず、血縁、地域、価値観、人種、言語を越えた社会が形成されることを願っています。
とりあえず、おしまい。
全国の猪原さん、あなたのメールをお待ちしています。
世界に広げよう、猪原の輪(ちょっと標語が古いか...)