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Internet.
1961年・USAユタ州で三つの電話中継基地が爆破され、同時にアメリカの国防回線も一時的に完全停止。アメリカ国防総省は従来の電話網では役に立たない事を危惧し、アメリカ空軍創設RAND戦略研究所は核戦争にも耐えうる通信システムの研究を開始。
1964年、ポール・バラン氏は電信システムをヒントに、さらに情報をパケット(小包)化し、中継所が遮断されても情報を迂回させて目的地まで伝達させるシステムの研究報告書「分散型通信について」を提出。
1969年9月、UCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス校)にルーターの元祖IMP(Interface Message Processor)一号機を設置。スタンフォード大学、カリフォルニア大学サンタバーバラ校にIMPをそれぞれ設置し同年12月にユタ大学が回線に接続された。 ここに24時間回線を繋げっぱなしのcomputer・Networkが誕生。ARPA(国防総省高等研究計画局)のラリー・ロバーツ指揮のプロジェクトはARPANETと名づけられインターネットの祖となる。
1970〜1980、ARPANETに参加できない大学や研究所を結ぶUSENET・ CSNET・ BITNETなど、ARPANETに類似するさまざまなNetworkが誕生。1984年にはNSFNET(アメリカ科学財団のNetwork)がARPANETとも相互に接続され、1990年頃にはアメリカ中のNetworkが相互接続されインターネットの通信網が形成される。
1992年、スイスでティム・バーナーズ・リー氏がインターネットに繋がるすべてのサーバーのディスクにある文書が簡単に相互に閲覧、転送のリンクが可能になる様にURL(共通の文書名の表記)とHTML(共通の書式)とHTTP(転送する為のプロトコル)を考案。自作プログラム「WWW」を開発、そしてこの構想(仕組み)自体をWWW(World Wide Web)と名づける。 また、自分のコンピューターに作り上げる文書をホームページと呼び。これらを異なるプラットホームのコンピューターに普及させる為に、その仕様書とメッセージをインターネットへ流し全世界へその情報を公開した。
(補足)▼ティムズ・バーナーズ・リー氏は最初「世界に広がる情報網」という意味で「ワールド・ワイド・メッシュ(網の目)」と命名。しかし「メッシュ」が「メス」とも聞こえると、口の悪い友に指摘された。メスだと「世界規模の混乱」という意味になってしまうので、必死に考えた末「ウェッブ(クモの巣)」にしたという。
1993年WWWに共感したアメリカ・イリノイ大学に在籍するNCSA(国立スーパーコンピューター応用センター)の学生等が、WWW閲覧プログラム「モザイク」を開発。画像も表示可能に。 Windows・Macintosh・UNIXワークステーションなどで動く各Versionのモザイクとサーバー用のソフトウェアをNCSAが無料で公開しインターネット人口が爆発的に増加。マスコミにも「インターネット」という言葉が登場し始め、存在が一般にも知られる。
1994年、ジム・クラークはモザイクを開発したイリノイ大学の学生を勧誘しモザイク・コミュニケーションズ社を設立。WWWブラウザー「モジラ」を開発しインターネットで無料配布。イリノイ大学のクレームでネットスケープ・コミュニケーションズ社に変更、WWWブラウザーもNetscape Navigatorへ変更し年間で2000万人のユーザーを獲得。
1995年Microsoft社もモザイクのライセンスを受け「インターネット・エクスプローラー」を開発しWindows95と共に無料配布。インターネット人口は急激に増え、日本でもブームとなる。
1997年、日本のインターネット人口572万人。ドメイン名に.jpの付く日本国籍ホストはネットワークウイザーズ社の調べによると97年1月にアメリカに次いで第二位(約73万台)となり、ドイツ・イギリス・カナダを抜く。国内プロパイダも一年間で1200社を超える新たなプロパイダが誕生し、郵政省のカウントでは総数1,645社。
1998年、インターネット白書の調査で、日本のインターネット人口が1,000万人を突破。年末には1,385万人に達すると予想。
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