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ゲームをプレイしない理由
非プレーヤーにとって、ゲームは望ましい能動性発露の対象になり得ない。その理由としては、以下が考えられる。1)ゲームによって実現される空間に意味を見いだせない、2)ゲームをプレイすることによって得られる技能の優劣に意味を見いだせない、3)多くのゲームで表現される空間、及びその価値観が好ましくない。4)ゲームにおける一般的相互規約が理解できない。
ゲームが望ましい能動性発露の対象になり得ない理由を導く非プレーヤーの価値観に対して、意義を申し立てるわけではない。しかしながら、プレーヤーは、非プレーヤーの価値観を理解し、ゲームが望ましい能動性発露の対象であることを説明する意見を持つべきであろう。
ここでは、嗜好の問題である3)と、知識量の問題となる4)を除く1)及び2)について考察する。
1)ゲームによって実現される空間に意味を見いだせない、という考え方について考える。ゲームは「仮想的である」が故に現実的ではなく、無意味だという考え方がある。しかしながら、ゲームの意義というものは仮想的であるか、現実的であるかは必要条件ではない。仮想的な空間においても優劣を定義できるが故に、ゲームはコンピュータ上で展開されるのである。
2)ゲームをプレイすることによって得られる技能の優劣に意味を見いだせない、という考え方について考える。一般的な「ゲームをプレイしない理由」は、ゲームの文化を相互規約として解しない為である。ゲームは、構成的規則の範疇を越える、すなわち単なる行為が了解される場合(低位異文化理解)において比較的理解のしづらい行為によって構成されている。
スポーツ技能の優劣は、プレーヤーの肉体の優劣を意味する、という認識があるため、スポーツは理解されやすい。商売の優劣は、経営者のリーダーシップ、人格、知力、運など総合的な人格の優劣を意味する、という認識がある。しかしながら、ゲームの優劣は理解されがたい。
ゲームの優劣は反応速度と判断、知力の優劣である。これらは通常の社会生活においてはさほど意味を有しない。同様の概念においては自動車、特にモータースポーツがゲームに近い概念を要求する。しかしながら、自動車を趣味とする、ということは自動車のドレスアップや改造を含んだ意識であって、純粋に反応速度などの優劣の比較のみ、を意味しない。すなわち、ゲームの技能の優劣の意味を、非プレーヤーに理解させるのは困難であるといわざるを得ない。
ゲームは能動性発露の対象である。しかしながら、ゲームが能動性発露の対象となるためには、ゲームがプレーヤーに望ましくある必要がある。非プレーヤーにとって、ゲームという文化そのものが望ましいものでない場合には、ゲームによる能動性の発露はあり得ない。
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