レミオロメンの日に北御堂を初体験
最新更新日 2008年05月17日金曜日
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山田少年の命日に津村別院でビルマで修行した人の話を聞きました
2008年03月09日に浄土真宗本願寺派の津村別院で仏教の国ミャンマーと題した講演会が
あったので聞きに行きました。講師は池田正隆氏で、氏は社団法人 日本ミャンマー友好協会の会長代行を務められた。
主催は津村別院仏教青年会。敏郎が津村別院に入るのは初めて。ビルマの仏教は
中国・朝鮮・日本の大乗仏教とは違い、かつては小乗仏教と言われたが、これは大乗側の蔑称で
今は使われず南方仏教とかテーラヴァーダ(長老のお言葉との意)とか上座部仏教とか言われる。ビルマではお坊さんと一般の人が近くてしかもお坊さんになること還俗(げんぞく)することが日常茶飯事に行われている。
ビルマのお坊さんは自分で料理して食べることが許されず、お布施で得た食べ物か、招待された
食事しか許されない。しかも食べていいのは午前中だけ。それに比べて日本のお坊さんは
なんと気楽なことか。ビルマのお坊さんは一般の人から尊敬されないと文字通り食べることが
できなくて生きていけないのだ。
池田氏は着の身着のままでビルマからインドの仏教の聖地をめぐって痩せこけた話をなさった。
氏を支えたのは南無阿弥陀仏の大乗の教えで南国に来ても上座仏教に完全に染まらなかったこと
だとお見受けした。
なお3月9日は1922年とその翌年の3月3日京都岡崎公会堂での少年弁士山田孝野次郎の命日でもあります。
時間が大幅に超過したので賑橋(にぎわいばし:前日朝
NHKFMの世界の快適音楽セレクション冒頭でゴンザレス三上さんの母上の出生地として話題に)から生野区に向かう最終バスに間に合わなくなり
北上して歩いて十分の淀屋橋から最終の上本町六丁目行きバスに乗りました。暗くて見えませんが、
石山本願寺あとに建てられた大坂城のそばを通ります。バスを終点で降りて少し南に下ルと
大阪国際交流センター。昔し大阪外国語大学があったところで、今日の池田氏の話でも西日本で
大阪外国語大学にだけ
ビルマ語学科があったとふれられていたが、池田氏の若かりし頃は
上本町八丁目にあったわけだ。敏郎は十九年前の夏、大阪外大あと地にできたばかりの大阪国際交流センター大ホールに遊佐未森&空耳楽団のコンサートに来て「山行きのバス」などを聞き、帰りは
ユサぼうぽい駅名「桃谷」を初めて利用しました。まさか十数年後に
このあたりに越してこようとは
夢にも思わなかったが。
(2008年03月10日月曜記 05月17日に加筆訂正)
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