全ての人間は、牛丼を背負って生きている

「全ての人間は、牛丼を背負って生きている」--その普遍的真理を私に教えてくれたのは、吉野朔美さんでした。(GOMES 95年1月号 )天国には、人の寿命を定めたロウソクがあるという話は、多くの人が聞いたことがあると思います。そして、そのロウソクの火が消えたとき、その人の生命もなくなる。知っていますよね。ですが、その隣には、牛丼のドンブリが積まれているという事まで知っている人は、そう多くはないと思います。人がひとつ、牛丼を食べるたびに、そのドンブリもひとつ減り、そして天国のドンブリが全て食べ尽くされたとき、その人はもう、二度と牛丼を食べられなくなってしまうのです。そう、人がその一生の中で食べられる牛丼の数は、初めから決められているのです。人はこれを運命といいます。牛丼をたくさん食べられる星の下に生まれた人もいますし、そうでない人もいます。そして人はそれを知る術はありません。この先、私はいくつの牛丼を食べれるのか、それはまさに神のみぞ知ることです。もし、この牛丼が私にとって最期の牛丼かと考えますと、とても軽々しく食べることは出来ません。茶道でいう「一期一会」の精神も、これと同じものだと言えるでしょう。

牛殺しで有名な人が創設した某牛丼団体には、百杯組み手という荒行があるそうです。(劇画「牛丼バカ一代」より)その名のとおり、たて続けて百杯の牛丼を食べるというのです。こういうものは悪戯に寿命を縮めるだけです。もっと一杯一杯を味わって食べるべきだと、私は思います。ところで私が学生時代の5年間で食べた牛丼は、おそらく1,000を超えるでしょう。この5年間、私は少し、急ぎすぎたようです。毎日、毎日、牛丼を食べていると、そのうち、牛丼を見るのも嫌になってしまいます。これはこの運命論を立証する、よい証拠と言えるでしょう。ハイペースで食べていると、「このままのペースで食べていると、あとXX日で牛丼を食べ尽くしてしまう」という防御本能がはたらき、一時的に牛丼に対して嫌悪感を抱かせるようになるのです。私は昔、3日間牛丼だけで過ごした事がありますが、そのあとはしばらく食べられなくなってしまいました。もし、あの時、そのままのペースで食べていたら、今頃どうなっていたかと考えますと、とても恐ろしくなってしまいます。

 (続く)

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(1995年)