誤読への注釈


 「クラス進化論はトンデモだ」と批判する人が多い。これについて注釈しておこう。


基本


 「クラス進化論はトンデモだ」と批判する人が多い。その多くは、「ダーウィンの自然淘汰説は完全に正しいと実証された理論なのに、それを否定するクラス進化論は、正しい理論を否定するトンデモだ」というふうに思い込んでいる。
 しかし、このように主張する人は、その時点で「自分は素人だ」と告白しているのも同然である。自分の無知を自覚して、まずはネット上の進化論の議論を調べてみることをお勧めする。あるいは、図書館で、進化論の議論を調べてみることをお勧めする。他人を批判するなら、最低限の知識を仕入れておいてほしい。常識だろう。
 
 「クラス進化論はトンデモだ」と批判する人のほとんどは、高校生レベルの知識しかもっていない。そのせいで、大学生レベルの常識を知らない。高校生が大学生を「トンデモだ」と批判するようなものだ。
 まずはちゃんと知識を仕入れてもらいたいものだ。


進化論の常識


 進化論の常識を仕入れるべきだ。とはいえ、その手間を惜しむ人が多いだろうから、ここで簡単に説明しておこう。

 第一に、次のことは間違いである。
 「ダーウィンの自然淘汰説は、完全に正しいと実証された理論である」
 ダーウィンの自然淘汰説は、完全に正しいと実証された理論ではない。それどころか、ただの一度として、実証された試しはない。傍証ならば、たくさんある。たとえば、ダーウィンフィンチのさまざまな種(亜種)があることや、化石の変化など。……しかしながら、「自然淘汰によって進化が起こった」ということが実際に観測されたことは、有史以来、ただの一度もない。(有名なのは、イギリスの石炭の煤煙のある都市での蛾の生存競争という話があるが、これは、捏造のデータであったことが、今では判明している。)
 この意味で、ダーウィン説は、あくまで仮説であって、実証された正しい理論ではないのだ。ダーウィン説は、どこからどこまで、仮説であるにすぎないのだ。

 第二に、小進化と大進化の区別をする必要がある。
 「突然変異と自然淘汰によって小進化が起こる」
 ということだけなら、今日、これを否定する人はほとんどいない。クラス進化論もまた同様だ。これを否定しない。しかし、
  「突然変異と自然淘汰によって大進化が起こる」
 ということなら、今日、これを否定する人はたくさんいる。正確に言えば、次のシナリオが否定される。
 「小進化の蓄積によって大進化が起こる」
 これについては疑問を呈する人が非常にたくさんいる。クラス進化論もまた同様だ。
 では、どういうふうに、疑問を呈するか? そこがポイントとなる。そして、そのポイントは、別の文書で詳しく説明しているとおりだ。


誤読


 さて。ここで、私の基本的な態度を述べておこう。
 私としては、批判は批判として、謙虚に受け止めるつもりだ。頭ごなしに反発することはない。他人の批判を聞いて、自説の誤りがあれば正したい、と思う。
 しかしながら、多くの批判を聞くと、まったく議論が成立しないとわかる。なぜなら、批判者は誰もが、クラス進化論の話をまったく読んでいないからだ。
 
 彼らが「クラス進化論はトンデモだ」と主張するとき、彼らはクラス進化論そのものを批判するかわりに、勝手に「クラス進化論はこうだ」と思う虚像を批判しているだけだ。いわば蜃気楼を批判しているのである。これでは議論にならない。
 具体的に言おう。彼らの批判は、こうだ。
 「クラス進化論は、ダーウィンの自然淘汰説を批判する。しかし、突然変異と自然淘汰で進化が起こるということは、実証されている。このような進化を批判するクラス進化論は、トンデモである」……(*
 この批判は、まったくの勘違いである。相手の話を読まないで批判する、という典型だ。(全体を読まないで、ところどころを虫食いで読んで、誤解している。)


進化と小進化


 すぐ上の (*) には、こうある。
 「突然変異と自然淘汰で進化が起こるということは、実証されている」
 これについては、私はまったく批判しない。それどころか全面的に肯定する。したがって、これを否定している、と見なす論者は、いずれも勘違いしているのだ。
 では、ここには、どういう勘違いがあるのか? それは、「進化」と「小進化」という概念の混同から生じた勘違いだ。

  「突然変異と自然淘汰で進化が起こるということは、実証されている」
 という主張は、次のように読み替えれば全面的に正しい。
  「突然変異と自然淘汰で小進化が起こるということは、実証されている」
 つまり、小進化という進化については正しい。
 小進化については、ダーウィン説も、クラス進化論も、どちらも同じである。その意味で、クラス進化論は、ダーウィン説を否定していない。(小進化については。)

 ゆえに、「クラス進化論は小進化を否定している」(突然変異と自然淘汰による小進化を否定している)という論者は、いずれも勘違いしているのだ。ただの誤読である。

 これは、あまりにもひどい誤読である。通常、こういう誤読は、ありえない。日本語の読解力をもつ人であれば、書いてあることと正反対のことを読み取る、というようなことは、ありえない。
 なのに、どうして、彼らは誤読するのか? 実は、彼らは、まともに話を読んでいないのだ。ところどころ虫食いで読んで、都合のいいところだけつまみ食いして、勝手に、話の内容を正反対に受け取る。── そういう誤読があるのだ。
( ※ 仮に、誤読ではないのだとしたら、彼らは頭が発狂していることになる。私が「これは白い」と主張したときに、「あいつはこれを黒いと主張しているからトンデモだ」というふうに批判する人は、誤読しているのでなければ、発狂しているのだ。)


大進化と小進化


 クラス進化論は、ダーウィン説の何を否定しているか? 小進化ではなくて、大進化を否定しているのだ。つまり、「小進化の蓄積で大進化が起こる」という説を否定している。
 かわりに、次のことを主張する。
 「大進化は、小進化の蓄積によって起こるのではなくて、独自の原理によって起こる」

 では、これは、ダーウィン説の何を否定しているか? 次のことだ。
 「突然変異と自然淘汰だけで大進化が起こる」
  ここで否定されているのは、「だけ」という箇所である。「突然変異」を否定するわけでもないし、自然淘汰を否定するわけでもない。「だけ」を否定する。かわりに、何を主張するか? 「クラス交差」という概念を追加するべきだ、と主張する。

 対比的に示せば、次のようになる。
   ・ ダーウィン説 …… 進化をもたらすのは、「突然変異 & 自然淘汰」である。
   ・ クラス進化論 …… 進化をもたらすのは、「突然変異 & 自然淘汰 & クラス交差」である。
  
 したがって、「ダーウィン説が正しくて、クラス進化論が間違っている」というふうに主張したいのであれば、「突然変異 & 自然淘汰だけで(つまりクラス交差なしで)大進化が起こる」というふうに主張しなくてはならない。
 
 ところが、多くの批判者は、そうは批判しない。「クラス進化論は、突然変異と自然淘汰によって小進化が起こるということを、否定している」というふうに批判する。これは、とんでもない誤読だ。


まとめ


 まったく、反論する気も焦るほど、ひどい誤読が出回っている。読解力があまりにも低すぎる、としか、言いようがない。

 比喩的に言おう。パソコンの画面には、「赤、緑、青」という三原色がある。この三原色がそろって、フルカラーが発色される。これについて、次の二つの意見がある。
  ・ 三原色派 …… 「フルカラーには、赤・緑・青の三色が必要だ」   ・ 二原色派 …… 「フルカラーには、赤・緑の二色だけで十分だ」
 現状では、二原色派が優勢である。「赤と緑(突然変異と自然淘汰)だけで十分だ」と主張するわけだ。
 そこで、新たに、三原色派が出現する。「赤と緑(突然変異と自然淘汰)だけでは不十分だ。さらに、青(クラス交差)も必要だ」と主張する。
 すると、それを聞いた二原色派が、こう批判する。
 「三原色派は、トンデモだ。カラー表示のためには、赤と緑(突然変異と自然淘汰)が必要だということは実証されている。なのに、赤と緑(突然変異と自然淘汰)の必要性を否定する三原色派は、トンデモだ」
 「赤と緑(突然変異と自然淘汰)だけでも、疑似カラー(小進化)が可能であることは判明している。これを否定する三原色派は、トンデモだ」
 「赤と緑(突然変異と自然淘汰)だけでも、疑似カラー(小進化)は可能である。とすれば、疑似カラー(小進化)を非常にたくさん集めることで、フルカラー(大進化)が起こるはずだ。フルカラーを発色させるためには、疑似カラーの画素数を増やせばいいのだ。第三の色などは必要ない」

 以上では、比喩を述べた。この比喩がわかりにくいかもしれないので、あらためて普通の表現で述べよう。
 「小進化の蓄積で大進化が起こる。小進化を莫大に集めれば、大進化になる」
 この発想の是非が問われているのだ。
 
 ここで、この発想を問題視して、「そうではない」と考えるのが、クラス進化論である。ここでは、「大進化には小進化とは別の原理があるはずだ」という発想を取る。
 ただし、そういう発想は、クラス進化論に特有の発想ではない。そういう発想は、もともと進化論の世界では、古くからあった。「大進化には、小進化とは別の原理があるのだろう」と。
 ただし、そういう発想はあっても、そういう発想を裏付けるための具体的な原理が、提唱されていなかった。そこで、具体的な原理を提唱したのが、クラス進化論である。(クラス交差という原理を提唱した。)

 クラス進化論は、「自然淘汰」と「突然変異」に加えて、第三の原理を追加した。二つの原理に加えて、第三の原理を追加した。(赤と緑に加えて、第三の色である青を加えるように。)
 ところが、批判者は、それを勘違いした。「クラス進化論は、二原色の理論を否定する。とすれば、赤と緑を否定していることになる。ゆえに、トンデモだ」と。

 繰り返す。クラス進化論は、赤と緑を否定しているのではなく、青を追加すると主張しているのだ。「自然淘汰」と「突然変異」を否定しているのではなく、第三の原理を追加すると主張しているのだ。
 なのに、批判者は、ここを誤読する。「自然淘汰と突然変異だけではない」というふうに「だけ」を否定すると、「自然淘汰と突然変異を否定する」というふうに誤読する。

 要するに、批判者たちの批判は、まともな論議にはならず、ただの誤読にすぎないのだ。

( ※ ついでだが、クラス進化論の趣旨は「ダーウィン説は間違っている」というふうにダーウィン説を否定することではない。「ダーウィン説では未解決の問題を解決する」という形で、学問を発展させることだ。学問を否定するのではなくて、学問を発展させること。── それが目的である。なのに、「クラス進化論は学問を否定するトンデモだ」と主張する人々は、一種の被害妄想なのであろう。比喩的に言うと、「小学生の子供を中学生に育てよう」という親に対して、「こいつは子供を否定しているから、子供を虐待するトンデモだ」と主張するようなものだ。あくまで現状維持を狙う。成長や発展というものを拒否する。一種の幼児癖。)


核心


 前項では、「二つの原理」および「三つの原理」という、二通りの立場を紹介した。
 では、二つの立場は、どこがどう違うのか? ……その話は、詳しくは、別の文書にいろいろと詳しく書いてあるから、そちらを見るといいだろう。
 ただし、図示的に言うなら、次のように書けるだろう。

 (1) 斜面状の進化(連続的)


      /
     /
    /
   /
  ──────────→ 時間

( ※ ダーウィン説では、進化は連続的に生じる。時間につれて、小進化が蓄積し、それに正比例する形で、進化が生じる。なぜなら、大進化は、小進化がたくさん蓄積したものだからだ。)


 (2) 階段状の進化 (不連続的)


        ┏
       ┏┛
      ┏┛
     ┏┛
    ┏┛
   ┏┛
   ┛
  ──────────→ 時間

( ※ クラス進化論では、進化は階段状に(不連続的に)生じる。時間のなかで、ときどき突発的に「クラス草による大進化」が起こる。大進化と大進化の間では、小進化が多大に蓄積するが、小進化がいくら多大に蓄積しても、それは大進化にはならない。つまり、亜種の変化がどんなにたくさん蓄積しても、種を変えるような進化にはならない。)


結論


 要するに、進化論には、いくつもの学説がある。そのなかには、「小進化の蓄積による大進化」という説(主流派の説)もあるが、「突発的に大進化が生じるという説(非主流派の説)もある。
 そして、非主流派の説のいくつかのうち、原理を与える一つの学説が、クラス進化論だ。

 世の中には、学説というものは、何種類もある。特に、解決が付いた分野についてはともかく、未解決の分野については、いろいろと学説がある。
 にもかかわらず、主流派の学説しか知らないと、「主流派の学説だけが全面的に正しく、非主流派の学説は正しくない(トンデモだ)」と思い込む。素人にありがちの誤解だ。
 こういう素人は、文書をろくに読みもしないで、「これはトンデモだ」と決めてかかって、誤読する。ありがちなことである。
 一般に、「自分は何でも知っている」と思い込む素人ほど、専門分野については多くの学説を知らないので、勘違いして、誤読するものなのだ。

( ※ こういうことは、どの分野でも、ありがちなことだ。あなたが何らかの分野で専門家であるならば、素人の思い込みには、さんざん悩まされてきたはずだ。たいていの素人は、たった一つの主流派の公式見解だけを知っていて、それが万能だと思い込む。例外的なことを説明する異説もあるのだ、ということを理解しない。さまざまな説を理解しないで、たった一つの説ですべてを片付けようとする。……そういう素人は、どの分野にも、必ず現れて、専門家を辟易させるものだ。)



 表紙ページ   http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/

[ END. ]