JCSは国語を決める組織か    


朝日新聞記事をめぐって  

 
 朝日新聞 1999.7.8(〜10) に、JIS漢字をめぐる記事が掲載された。
 JIS漢字をめぐる初歩的な知識が掲載されていて、それはそれでなかなか興味深い。(内容がJCSの言い分ばかりに偏っているが、まあ、記者も初心者なのだろうから、仕方あるまい。)

 さて、ここでは気になることが記されていたので、いくつか示す。


 (1) 肩書きについて

 記事には次のようにある。
   「芝野耕司教授(は)……JIS漢字の委員長になった。」
 しかし、これは誤記である。正しくは
    「JCSの委員長になった。」
 である。 あるいは、
    「次期のJIS漢字の原案を策定する委員会の委員長になった。」
 である。

 こんなことも間違うのだから、朝日のこの記事のレベルは、推して知るべしだろう。
  ※ 参考のために言っておくと、JCSは、「日本規格協会」という民間団体
    の一部門にすぎない。政府の組織ではない。(準・公的ではあるが。)
 

 (2) 康煕字典体について

 記事には次のようにある。
 「国語審議会は昨年六月、明治以来の伝統的な康煕字典体を、常用漢字以外の漢字(表外字)の印刷標準字体とする『試案』をまとめた」

 また、芝野氏の主張の一部として、記事には次のようにある。
 「康煕字典は主なものだけで数種類あって、細かく点検すると、同じ版でも木版の作り直しで刷りによって字体が違ったりする」

 この二つには矛盾がある。おわかりだろうか? 
 後者で言っているのは、康煕字典そのものである。つまり、中国に昔から伝わってきた字典である。
 前者で言っているのは、「明治以来の伝統的な」と述べているように、わが国でここ百年程度に使われてきたものである。これは「康煕字典の字体」そのものではない。「いわゆる康煕字典体」であって、通常は「正字」と呼ばれているものである。
   ※ 朝日の記事では、「康煕字典の字体そのもの」を「正字」として
     いるが、これは不正確。康煕字典にもところどころ問題点はある
     わけで、そうした変な文字を「正字」と呼ぶことはない。
 
 つまり、この二つ(康煕字典の文字そのもの/いわゆる康煕字典体)は、まったく別のものである。前者は中国、後者は日本。前者はかなり昔で、後者は近代・現代。時間的にも空間的にも、まったく違うものだ。
 ところが、くだんの委員長は、この点を混同しているようだ。国語審議会が「いわゆる康煕字典体にする」と主張したら、「康煕字典の文字は一定していない」と反論している。
 つまり、まったく別のことを持ち出して、批判しているわけだ。「日本ではいま晴れている」と言ったら、「それは違う、中国では先週雨だった」と批判するようなものだ。
 氏はどうやら、「いわゆる康煕字典体」というものと、「康煕字典そのもの」との区別ができていないようだ。
   ※ こういう人物だからこそ、「 さんずい + 戸 」 を 「 "濾" の略字だ」などと、
     得意そうに主張するのだろう。……実はこれは "瀘" の略字なのだが。)


 (3) 正字について

 朝日の記事には次のようにある。
  「新JIS漢字は……現代日本語を表現するのに十分な文字集合を目指し、……」
 これは正しくない。

 第一に、新JISは、略字が優先されて、対応する正字が多数排除される予定である。したがって、「森鴎外」は正しく書けるようになっても、それ以外のもの(国語審議会の述べた215字を含む約300字のうち、半分ぐらい)は、(現段階の)JCS案では使えない。 ……たとえば、「森鴎外」は大丈夫でも、「石川啄木」はダメかもしれない。というわけで、結局、普通に使われる文字がたくさん使えないのだから、「十分な文字集合」などとはとても言えない。
 第二に、常用漢字に対応する正字が採択される予定がない。このような正字が使えないのでは、現代日本語を表現するにはまったく不足する。たとえば、三島由紀夫、丸谷才一などの現代の作家は、初版本は正字で出版した。1999年現在でも、井上ひさしは「東京セブンローズ」を正字で出版した。このような正字が、JCS案では採択される予定に入っていない。
 第三に、誤字が修正される予定がない。たとえば「冤罪」の「冤」は、この誤字ではなくて正しい字形に直されるべきだが、その予定がない。したがって、既存の文書では、間違ったままの字形がそのまま残って、間違った字形が永遠に流通することになる。

 要するに、新JISは、「現代日本語を表現する文字集合」としては明らかに不足であって、とても「十分」とは言えない。  ただし、誤字はたくさん入っているので、「間違った日本語を表現する文字集合」としては十分である。

   ※ 私としては、このような誤字はすべてコードポイントから削除するべきだと思う。
     「すでに使われているかもしれないから」といる理由で、排除を拒んでいるが、
     「誤用があるから」という理由で残すのは、まったく納得できない。「誤用がある
     から」という理由で残すのなら、学校の生徒の書いたたくさんの誤字を入れる
     べきだろう。 (削除するのでなく、正すのでもいい。)
      参考資料は、下記。
         ftp://ftp.tiu.ac.jp/pub/jis/jisx0208/rat-txt.lzh


 (4) バイアスについて

 朝日の記事には次のようにある。
 「芝野さんは『国語審議会が表外字の根拠とした使用頻度調査は、凸版印刷など大手印刷会社だけに限られ、バイアスがかっていた』と批判する。」
    [※ 南堂注] 「バイアス」とは「偏り」「偏向」のこと。

 ここには勘違いがある。
 使用頻度調査が「大手印刷会社に限られ」るのは、バイアスなんかのせいではない。そもそも、使用文字の頻度調査(統計調査)なんてことは、中小印刷会社ではやっていないだろう。自社で使われる数億字をいちいち数えるのは、人手では無理なので、専用の仕組みが必要だが、この不況時に、中小の印刷会社がそんな手間をかけるはずがない。つまり、調査対象が「大手印刷会社に限られ」るのは、単純に技術的な問題にすぎない。中小の印刷会社の方で、「データを提供します」という申し出があれば、国語審議会は喜んで調査対象に追加するはずだ。
 なのに、「バイアスがかかっている」などと批判するとしたら、自分の目にバイアスがかかっているのではなかろうか? 

 なお、書籍に関する限り、国語審議会の調査結果は信頼できる。たとえば、私が個人的に百冊近くを調べたところでは、「森鴎外」を略字で書いている書籍は、ひとつも見出されなかった。例外としては、朝日新聞社などの新聞と、安物の広報誌だけである。(後者は、小さな印刷所で印刷するので、電算写植システムの都合による。「正字を使わない」というより、「使いたくても使えない」だけ。)
   ※ PCについては調査対象から除く。なぜなら、「PCの文字をどう
     するか」ということを検討するための調査なのだから、そこにPC
     の現状が含まれていてはおかしい。

 つまり、書籍に関する限り、ほとんどすべてが略字でなく正字を使っている。これが現状である。なのに、こうした現状を「バイアスがかかっている」と批判する。あまりにもおかしな話だ。
   ※ このことについては、表紙ページにある「略字 侃侃諤諤」の
     「Q25」で論述した。そちらを参照のこと。


 結局、前述の「バイアス」(偏り)というのは、間違いである。自分が偏向していると、世の中全体が偏向して見えるものだ。
 そもそも、朝日新聞でさえ、自社の単行本を刊行する際は、凸版印刷を利用しているのである。なぜなら、朝日も、単行本では略字を使いたくないのだが、朝日の社内には正字を印刷するシステムがないので、凸版印刷などに外注するしかないからである。そして、「略字と正字のうち、略字でなく、正字にする」と凸版印刷に指定するのだ。このように、朝日だって、単行本を出すときは略字なんか使わないのだ。
 略字派の最先鋒である朝日だって正字を使う。にもかかわらず、「バイアスがかかっている」などと批判するのだから、氏の批判は、理解できない。
  「世の中全体が間違っている! おれたちだけが正しいんだ!」
 とでも言いたいのだろうか? 


 (5) JCSと国語審議会

 JCSは新JIS原案を策定する予定のようだ。そこでは、国語審議会の方針を無視して、略字を優先して、正字についてはなるべく採択しない方針のようだ。(215字を使いたい、という国語審議会の方針を無視する)
 しかし、これはおかしな話だ。
 JCSはいつから、国語の方針を策定する権限をもったのか。JCSは国語の方針を決める権限などがあるのか。
 仮に、芝野氏が国語審議会の方針に反対であるなら、芝野氏が個人的な立場で国語審議会に出席して、そこで自己流の意見を開陳すればよい。
 そして、その自己流の意見が採択されようと、採択されまいと、とにかく、JCSとしては、その結論に従うべきである。国語審議会に反対されたら、自己の意見が通らなくても、それに従うべきである。それが組織としての節度であろう。
 ところが、現状は、異なる。国語を策定する権限がないのもかかわらず、JCSが組織として、(電子機器における)日本語の方針を策定しようとする。国語審議会の方針を無視する。これはどういうことか。
  「国語審議会なんかより、おれたちの方が偉いんだ。国語問題はおれたちが決める!」
 ということであろうか。

 しかし、問う。
 「JCSは、国語を決める組織なのか?」
 「JCSは、国語審議会よりも上位の組織なのか?」
 と。この点、はっきりと見解を出してもらいたいものだ。そして、もし「そうではない」と答えるのなら、国語問題については、国語審議会の方針を尊重してもらいたいものだ。
 世間の知らないところで文字を策定して、それですぐに制定する、というのでは、あまりにも姑息である。
    [ 注 ] 朝日の記事によれば、JCSの新JIS案は1999年秋に策定・公表。
         また、仄聞したところでは、2000年の早い時期に制定の予定らしい。


 また、先の 「バイアス」 に関連して、付言しておく。
 「国語審議会はバイアスがかかっている(偏向している)」
   と批判するのは、個人の資格として(ひっそりと)言うのなら、特に問題はない。それは個人の勝手である。
 しかし、JCSの委員長という立場を示して、新聞という公の場で発言するとしたら、それは、非常に重大である。それは「JCSが国語審議会を批判している」ということであり、「JCSが国語審議会の方針を否定して、独自の国語観を国語審議会の上位に置こうとする」ということになる。
 それだけではない。国語審議会は、その方針をひろく世間に問うているが、JCSは独自の国語観を世間に問うこともなく、(正字を排除した新JISを)こっそりと策定して、いきなりそれを世間に押しつけようとする。
 こんなことでいいのだろうか? 

 そして、このようなひどい新JISを制定しようとしているにもかかわらず、朝日は、
   「新JIS漢字は……現代日本語を表現するのに十分な文字集合を目指し、……」
 などと甘い嘘を並べて、世間をだまそうとしている。こんな記事にだまされてはいけない。 甘い言葉でだまして、気づいたときには毒が回っている、というのは、悪魔がたぶらかすときの手口である。


 (6) 字体について

 以上の (1) 〜 (5) に述べたことは、7月8日の記事についてのものだ。
 7月9日・10日の記事については、特に大きく注目すべきことはないが、少しだけ気になることがある。それは(表外字について述べた)次の一文である。

  「手書きは略字体で、活字になったら旧字体、という常識が崩れてしまった。」

 この一文は、趣旨としては、おおむね正しい。ただ、記述に不正確な点がいくつかある。以下の諸点がそうである。

 (a) 「活字になったら旧字体」
 これは明白な間違いである。「旧字体」というのは、「新字体」に対するもので、当用漢字・常用漢字における字体である。つまり、一般的には「正字・略字」と呼ばれるもののうち、当用漢字・常用漢字に該当するものが、「旧字・新字」(旧字体・新字体)と呼ばれる。
 当用漢字・常用漢字については、「活字になったら旧字体」という常識などはない。むしろ逆であり、「活字になっても新字体」というのが常識である。
 ここでは、用語に誤りが見られる。見逃すことはできないような誤りであり、修正すべきである。正しくは、
   「活字になったら正字体
 である。しかもそれは、「表外字については」という限定がつく。この限定は必須である。

 (b) 「略字体」
 略字体略体(簡略体)とは同じではない。
 略字体というのは、普通、83JIS改訂時のような、字形の簡略化によるものを言う。
 略体というのは、手書きの際の「運筆の簡略化」である。字形の簡略化をともなうこともあるが、行書や草書に準じる簡略化のことであることが多い。たとえば「前」の「則」を「の」にする。このような文字は、略体ではあるが、いわゆる略字体ではない。
 ま、ここでは、用語に不正確な点が見られるが、あまり目くじらを立てなければ、見逃せる範囲内ではある。

 (c) 「手書きは略字体で」
 「手書きでは略字体で書く」という常識はない。正字で書く人もいっぱいいる。
 だから、正しくは、「手書きでは略体で書くこともある」である。(正字で書くことも多いので。)
 したがって、
    「手書きは略字体で、活字になったら正字体」
 というのは十分には正しくなく、むしろ、
    「手書きは略字体である場合でも、活字になったら正字体」
 というのが正しい。
 重ねて言うが、「手書きでは略字体で書く」という常識はない。(正字で書くことも多いので。)
 この点で、「手書きは略字体で」という記事の断定は誤りである。

 (d) 「崩れてしまった」
 記事では「……という常識が崩れてしまった」と記してある。
 ここには二つ、問題がある。
 第一に、「崩れてしまった」というほどではない。世間一般では、「活字になったら正字」という常識は、ちゃんと立派に生きている。朝日新聞社もそのことを理解しているから、単行本の出版では略字でなく正字を使っている。(自社の新聞では風変わりな略字を使ったとしても。)
 第二に、たしかに一部では「崩れている」と見える状況があるが、それは、一部の新聞などに限られている。「活字で正字」という常識に反しているのは、世間で目立つ範囲では、朝日新聞しかない。(他にも少々、略字を使っているところもあるが、あまり目立たない。)
 つまり、「崩れてしまった」などと、いかにも自然現象か他人事のようにそらとぼけているが、実は、そうしているのは当の朝日新聞である。これはまるで、人をおのれの手で殺しておきながら、「この人は死んでしまった」と述べるようなものだ。ひどい話だ。
   ※ ただし、「殺人現場では第一発見者を疑え」という原則があるから、とぼけて
     いる奴が一番怪しい、とは言える。
 結局、常識は崩れているのではない。朝日があえて常識を崩そうとしているのだ。正字は死んでいくのではない。朝日が正字を殺そうとしているのだ。 (正字殺人事件?)
 ま、誰であれ、自分のことを陳述すれば、言葉が甘くなるのは仕方ないかもしれない。とはいえ、読者としては、そうした報道を鵜呑みにするべきではなかろう。どんな裁判であろうと、被告または犯人の弁論をそのまま信用するようでは、真実を知ることはできない。「新聞は公正だ」などとは、ゆめ思うべきではない。



 【 総評 】

 今回の朝日の記事をまとめて言えば、どうなるか? ひとことで言えば、
    「文字コード問題の核心をものの見事にはずしている」
 と言えよう。

 そもそも、「文字コード問題」とは、何だったか?
 「難しい漢字が出せない」ということか? いや、字数の制限がある以上、それは仕方ない。だから、「漢字が足りない」ということで批判する人はあまりいない。せいぜい「もっと多くの文字を収録できるようにしてくれ」と要望するだけだ。要望は批判ではない。
 一方、「当然 出せるべきなのに出せない」文字がある。それが「鴎」などの正字である。これが最大の問題点となっていたのだ。

 さて、今回のJCSの新JIS案の特徴は何か? それは次の二点だ。

 ・ コードポイントをすべて埋める。(これ以上の拡張の余地をなくす)
 ・ 「鴎」などの正字は、いくらかは取り上げるが、それ以外の正字は排除する。
   (国語審議会試案の文字の大半と、常用漢字に対応する正字の大半。)


 このような案に決定すれば、もはや、大半の正字は使えなくなる。
 となると、古典を表記することはできなくなる。「枕草子」も「方丈記」も「小倉百人一首」もコンピュータで表示できなくなる。
 しかも、それは、一時的な不備ではなくて、永遠にそのように固定される。(コードポイントに拡張の余地がなくなるので。)

 これが、JCS案の骨子である。つまり、かいつまんで言えば、

  「略字を固定しよう、正字を排除しよう」
  「古典を無視しよう、一方、現代の誤字は優先して収録しよう」

 というわけだ。ここに、今回の新JIS案の、最大の特徴ないし問題があるのだ。
 にもかかわらず、朝日の記事は、ここをすっぽり見落としている。これが、この記事の難点である。

   ※ 「見落としている」と書いたが、失礼かもしれない。朝日の記者は、
     数人で担当したのだし、そのくらいのことは知らないはずがない
     とも思える。だから、わざと書き落とした、という可能性も高い。ま、
     自社が略字派の牙城である以上、それもやむを得ないが。……
     つまりは、今回の記事は、特定の色のついた記事であるわけだ。
     読者は、注意されたい。





 余談 (朝日新聞について)

 朝日新聞について、ひとこと付言しておく。
 「朝日は読者を特定の方向に導こうとするので、けしからん」
 という意味のことを書いた。実は、このことは、必ずしも悪いわけではない。
 権力というものは、横暴になりがちだし、それをチェックするものがあるとしたら、マスコミぐらいしかないだろう。その意味で、権力のチェック機関としての報道は、許容される。読者に警鐘を鳴らし、目を覚まさせようとするわけだ。バカ騒ぎのバラエティー番組ばかりやっていて、国民を白痴化させる民放に比べれば、朝日はよっぽどマシだろう。(NHKよりははるかに劣るが。)
 ただ、権力への批判者としての報道ならば、中和作用として許容されるが、権力が何も言っていないときに、または、世論が割れているときに、「こっちの方向へ導こう」なんてのは、論外である。
 文字コードの議論では、どうか。「JCS(という権力)の暴走を食い止める」ために報道するなら、称賛されるだろう。 しかし事実は、逆だ。 JCS案には問題点があるのに、それらの問題点をすべて隠蔽し、事実を糊塗し、権力の提灯持ちになっている。
 こういう「御用新聞」みたいなのは、私は、好きじゃないですね。ま、それでも、「自分は御用新聞だ」とわきまえているのならともかく、自分を「反権力で民主的だ」なんて錯覚して、自己陶酔してもらいたくないものだ。 






 [ 後 記 ]

  ※  以上の批判を、個人ないし組織に対する「ひどい攻撃だ!」と思われるかも
    しれない。しかし、ま、これはただの一般人の個人的感想であり、野村監督の
    ぼやきのようなものである。せいぜい、無力な個人が、大きな権力に向かって、
    遠吠えしているにすぎない。風車に向かって突き進む、ドン・キホーテのような
    ものである。 (私には何の権力もない、という点に注意されたい。)

  ※ このホームページへの批判があれば、同じように、どこかのホームページか
    掲示板にでも書いてほしい。甘んじて、それを受ける。たとえば、次のように
    書くとよい。

    「南堂って野郎は何を思い上がっているんだ。自分を何様だと思っているんだ。
     自分は何の権力も持たないどころか、ちっとも持てないだけの、ヒキガエル
     ではないか。そんな野郎は「ゲコゲコ」言って引っ込んでいればいいんだ。
     偉そうなことは言わずに、黙っていろ! わが身を省みて、ものを言え!」

    …… 済みません。ゲコゲコ。 





  参考資料

  (a) JCSのページ
       ここでは、「正字・旧字をどこまで採択するか」は公開されていない。
       部分的にチラホラと情報が漏れてくるだけである。

  (b) 南堂私案
       ここでは、新JISの試案を私案として提示している。
       「正字・旧字をどこまで採択するか」の基準は明確に公開されている。

  ※ 上の (a) , (b) は、いずれも表紙ページにも示してある。

  ※ 表紙ページには「ほら貝」のページも示してある。ここを見ると、国語問題
    とJCSに関する話( bunka.htm )などもあって、なかなか面白い。






  著者名の表示


     氏 名  南堂久史

     メール  nando@js2.so-net.ne.jp

   URL 文字コードをめぐって (文字講堂)  (表紙ページ)

[END]