トンネル効果の本質 





 量子力学のトンネル効果について説明しよう。

 通常、次のように言われる。
 「量子の世界では、電子が壁を通り抜ける
 それは本当だろうか? いや、嘘である。正しくは、次の通りだ。
 「量子の世界では、電子が壁を通り抜けるように見える
 
 これはいわば、手品である。
 


 たとえば、左手でピンポン玉が消えて、右手にピンポン玉が現れた。ピンポン玉が空中を通り抜けたように見えた。
 しかし、それは、そう見えただけのことだ。現実には、一つのピンポン玉が移動したのではない。なぜなら、左手で消えたピンポン玉と、右手で現れたピンポン玉とは、同一のピンポン玉ではないからだ。
 こうやって、手品師は、「ピンポン玉が空中を通り抜けた」と見せかける。

 トンネル効果もまた、同様である。壁の片側で電子が消えて、壁の反対側で電子が現れる。すると人々は、「電子が壁を通り抜けた」と勘違いする。

 基本原理は、次のページで。
  → 玉突きモデル

 これに基づいて、トンネル効果は、次のページで簡単に説明される。
  → 簡単な解説(トンネル効果)

 さらに詳しい説明は、次のページで。
  → 詳しい解説(細々とした周辺的な話題「トンネル効果」)

 なお、上の二つのページでは、次の図で説明する。(解説はそれぞれの文書を参照。)






  【 余談 】

 余談だが、上記のことから、面白いことがわかる。すなわち、次の発想について評価ができる。
 「トンネル効果を使って、人間が壁を通り抜けることができるか?」

 この話の馬鹿らしさは、本サイトの説明を読めば、すぐにわかるだろう。
 一つの電子さえも通り抜けることはないのだから、人間が通り抜けることなどはあり得ない。
 一つの電子が「通り抜ける」と見えるのは、壁の左側の電子と壁の右側の電子が同じであるからだ。
 電子ならば、たがいに区別がつかないので、「一つの電子が通り抜けた」というふうに見える。
 しかし、人間ならば、壁の左側と壁の右側とで、分子集合の構造が同じになるということはあり得ない。その確率は、「真空から人間が誕生する」という確率と同様で、完全なゼロ同然だと見なせる。

 なるほど、「真空から電子が出現する」ということはある。しかし、「真空から人間が出現する」ということはありえない。それゆえ、人間が「壁を通り抜ける」と言うことは、とうていあり得ないのだ。

   *   *   *   *   *   *   *   *


 もう少し正確に言おう。
 通常の量子論では、「人間が通り抜ける確率」というのを計算して、「10の何乗分の1」というような値を出す。しかし、そこで得られる値は、実は、「人間の分子が通り抜ける確率」であるにすぎない。
 なるほど、その確率で、山田太郎の分子構造は通り抜けるだろう。しかし、通り抜けて現れた山田太郎は、もはや元の山田太郎ではない。元の山田太郎は壁にぶつかって消滅し、かわりに別の山田太郎もどきが出現するにすぎない。……そういう確率を計算して、「山田太郎が通り抜ける確率」なんていうものを計算する物理学者は、ほとんど殺人犯に近い。
 「私はあの人を殺しました。しかしかわりに、女を孕ませて、子供を一人増やしました。差し引きして、トントンです。ゆえに私は、殺人をしたことになりません」
 これは「人間のトンネル効果」の主張をするのと同様である。   (^^);

  ※ なお、上記のような変な屁理屈を唱える人たちは、けっこうたくさんいる。
      → Google 検索
    豆腐に頭をぶつけて死んでしまえ、という類。頭が豆腐を通り抜けるかも。





 【 参考 】

 「通り抜ける」のかわりに「越える」という用語を使う人もいる。
 つまり、粒子であれ人間であれ、「通り抜ける」というのは不自然だから、「越える」というふうに考えればいい、というわけだ。

 越えるということは、エネルギーの図で示される。


   ┌┐
   ││
  ●││● 
 ──┘└─

 壁の左側の位置にある ● が、壁の右側の ● の位置に移動したい。そのとき、壁を通り抜けることはできないので、壁の上を越える、というわけだ。

 しかし、このような解釈は、間違いである。それは比喩を比喩として理解しない、という間違いだ。(比喩を字面通りに読み取る、という間違い。読解力不足。)その理由は、次の通り。

 (1) この図で「越える」というのは、「エネルギーの壁を越える」という意味である。それは、抽象的に「越える」という意味であり、一種の比喩である。どうせ比喩であるならば、「越える」と言おうが「通り抜ける」と言おうが、何でも構わない。「泳ぎ抜ける」でもいいし、「壁を破る」でもいいし、「ワープする」でもいい。どうせ比喩なのだから、どんな比喩を使おうがかってである。そして、実質的には、「エネルギーの壁を間に挟んで、最初と最後で位置が変わる」ということだけを意味する。それだけが事実であり、「越える」という言葉を使うかどうかは無意味だ。
 (2) 「越える」という本来の意味(比喩でない意味)は、「空間的に別の経路をたどる」ということだ。では、そういうことは、トンネル効果において、起こるか? もちろん、起こらない。「別の経路」なんてものはない。つまり、「そこをふさぐとトンネル電流が流れなくなる別の経路」(迂回経路)というものはない。だから、字義通りの意味では、「越える」ということは成立しない。
 (3) 仮に「越える」ということが字義通りに成立するとしたら、それはただの「サイホン」であるにすぎない。つまり、「エネルギーの壁を越えて、物が移動する」というのは、「サイホン」であって、「トンネル効果」ではないのだ。上記の「越える」論者は、「サイホン」と「トンネル効果」とを混同している。(サイホンならば、特に珍しくもない、当り前のことである。どの家にもサイホンはある。便器の管に。便器の管では、汚水はエネルギーの壁を越えるが、別にトンネル効果を使っているわけではない。)

 まとめて言おう。
 「通り抜ける」という概念は、たしかに間違っている。「粒子が壁を通り抜ける」ということは、ありえない。
 しかし、それが間違っているからといって、「越える」という概念をもってきても、真実に達したことにはならない。間違いに対抗して、別の間違いをもってきても、真実は得られない。
 真実は、「通り抜けること」でもなく、「越えること」でもなく、むしろ、「消滅と発生」である。
 そして、「消滅と発生」の根源にある基盤は、「それぞれの量子はたがいに区別不可能である」ということだ。たがいに区別不可能だからこそ、 「一つのものが移動した」というふうに錯覚するわけだ。(本当は、ある場所で が消滅して、別の場所で A’ が誕生しただけだが。)
 ここでは、錯覚こそが重要である。この錯覚を理解するということが、量子の真実を知るということだ。




 題 名   トンネル効果の本質
 著者名   南堂久史
 URL    http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/quantum.htm  (表紙)

[ END. ]