「外面(そとづら)…」

 僕の普段のモットー(?)は、「笑顔でいられるときは、笑顔でいよう(いたい)」

 なんでかっていうと、笑顔でいると自分自身、気分がいいし、友達と一緒にいたりするとき、ムスっとしたり、憂鬱そうな顔してるより笑顔のほうが、友達も落ち着いていられるし、自分もその方がいいし。他のことでちょっとむかつくことがあっても、友達に当たるわけにはいかないし…(だからって、無理に笑顔作ろうとはしてないつもりだけど)。それに、友達と笑いながら話してると、そんな事くらいどうでもいいやって思えることもあるだろうしね。そりゃ、どうしようもなく、何かを抱えている(悩んでいる、怒っている)ときなんかは、笑顔なんて無理だけどね。友達の前とはいっても、無理に笑顔作る(作り笑いする)のはいやだから。

 でも、そんな僕って、周りから見たらどう見えるんだろうなあ。単にのんきな人間に見えるのか、いつもニコニコしている、(中身はともかく)外面(そとづら)だけはいい人間に見えてるんだろうか? 確かに、のんきといえばのんきだし、外面だけっていえば、それもそうかもしれない。別に無理に作り笑いしてるわけじゃないけど、内心を隠そうとしてるわけじゃないけど、ちょっとイラついてるからって、友達に不機嫌な態度とったり、いちいち愚痴ったりするのは、相手に迷惑かけそうで、自分自身もいい気がしない。だから、確かに、内心を表にあまり出さないといえば、出さないのかもしれない。

 イラついても、悩んでも、本当に些細なことなら、ほっといても何とでもなる。でも、そうでないとき、そんな時こそ、素直に友達に頼ればいいんだけどね、どっかで遠慮だったり、迷惑かけたくないと思ったり、いつも人前ではのんきに構えてるせいか、それとも強がってるのか、そういう話を切り出すタイミングを見つけられなかったり、切り出すのが怖かったり…。

 「笑顔でいたいから笑顔でいる」ってことの裏側で、ひょっとしたら自分自身怖がってるのかもね。普段笑顔でいることで、悩んだり、落ち込んだりしている、いつもぐらついてる自分の感情の弱いところを、自分自身見ないように、そして、人に見られないように覆い隠してるのかもしれない。そう考えると、自分のニコニコした態度もほんとに単なる「そ・と・づ・ら」なのかもしれない。もちろん作り笑いなんかしてるわけじゃなくて、自然にそうなってるんだけど、無意識のうちに、笑うことで逃げてるのかもしれない。

 でも、この最初に書いたことは、本心だ。逃げるための口実ではないつもりだ。友達と笑いながらいられるのは気分がいいし、そうしていたい。でも外面だけになるのはいやだ。だから、悩んだり、いろいろしてる感情を、怖がらず、考えすぎず、笑いながら、話せるようにすればいいんだ! と今気付いた。いろんなことをもっと気楽に、いろいろ話せるようにすれば「笑顔でいられる」し、取り繕う必要もない。

 でも、すぐにはできないだろうから、気長に少しずつやっていくようにするか。きっと時間はかかると思うけど、ボチボチやっていこうかな。

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