それぞれの事情

 この前、サークルで小さな騒動があった。新歓準備で忙しい3月のときのことである。 準備にいそしんでいる一人が、普段バイトが忙しくて来れないある人に「新歓準備の部会 に来い」という内容の電話をしたら、その人は「バイト妨害だ」と言い返してきたとのこ とである。

 後で知ったことなのだが、そのあまり来れなかった人は、この4月から下宿を始める ことになり、その生活費を稼ぐためにバイトに奔走し、部会に来れなかったとのことなの だった。それなのに、そんな事情も考えず(知らず)に「とにかく、新歓準備の部会に来 い!」という言い方をしてしまったため、その人も反論し、サークル内でもめたのである。

 来れない人に「とにかくこい!」と言う前に、来れない事情を聞きさえすれば、また、 その来れなかった人が、詳しく事情を説明していればもめずに済むはずの些細なことだっ たのに…。なぜそんな簡単なことができなかったのか…?

 新歓の準備に一生懸命の人にしてみたら、多少の無理はしてでも、新歓のためにがん ばるのが当たり前と思うのはごく自然なことで、いちいち来ない奴の来れない事情なんか きいてられないと思うのも自然なことである。また、生きるためにバイトに奔走してる人 にしてみれば、新歓準備に熱中してる人らの事を考える余裕などあるはずはない。こっち の事情を無視して「バイトを休んでこい!」などと言われたら、怒るのも無理はないこと。

 結局、お互い相手のことを考える余裕が無かったのが原因なんだろうね。自分がある ことに必死になっていたら、周りの人の事情など見えなくなる。そんなのよくあること。 必死になればなるほど、せっぱ詰まれば、せっぱ詰まるほど相手のことを考える余裕は無 くなっていく。そして些細なことでもかっとなって、相手の気持ちを考えることもできず に無茶なことをいったり、相手を怒鳴ったりして傷つけてしまう。

 だから、いつどんな時でも心に余裕を持って相手のことを考えれるようにするっての が理想だと思う。でも、それは単に理想でしかない。だって、せっぱ詰まってるときはど うしても余裕が無くなってくる。余裕を持てと言うのが無理というときもある。

 じゃあ、どうするのかって? 少しでも余裕があるときに、余裕の無かったときの自分 の姿を振り返ってみる。自分に余裕が無かったせいで、人を傷付けたりしなかったか、人 に迷惑をかけなかったか? もしあったら、その人に素直に詫びればいい。ちゃんと事情を 話し、相手の事情も聞いて話し合えば相手もきっと分かってくれる。だから、ちゃんとと 自分の行為を振り返ろうよ。特に必死になってた時の、余裕が無かった時の自分ほどしっ かりと。不必要に傷つけ合ったり、いがみ合わずに済むように。

 

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