「木の実が教えてくれたこと」

 今日大学へ来るとき、ちょっと顔を上げて歩いてみた。

 いつも見慣れているはずの風景、街路樹…。いつも、枯れているとしか思ってなかった木にたくさんの小さな実がなっていた。「僕はまだ生きているよ!」と目の前で叫んでいた。

 毎日毎日、その木の下を通っていたのに、その木の実達の声が聞こえそうなところを歩いていたのに、今日この時まで、顔を上げて歩いてみるまで、まったく気が付かなかった。

 「こいつ、がんばって生きてるんだな」

 いつも、前か下しか見て歩いてなかった。ただ大学まで黙々と歩く、毎日その繰り返しだった。見慣れた風景、すれ違う人、いつもの街路樹。いつもと同じ、何も変わらない、よく知っているはずの景色。なのに、今まで木の実達の声は聞こえてなかった。その木が生きてることさえ分からなかった。ただ顔を上げさえすればすぐに気付いたはずなのに…。

 友達との間でも同じなんだろうな。いつものように、いつもの友達としゃべってる、遊んでる。いつも一緒にいるから、その友達のことはよく知っている。いや、知ったつもりになっているだけで、本当はよく分かってないんだろうな。

 毎日繰り返してる、よく知っているはずの自分の日常、あんまり変わり映えが無くて、時々物足りなく感じる日常。でも、知っているつもりになってるだけで、よく見ることもせず、勝手に「飽きた、面白くない」とかわめいてる日常。

 「変わり映え」が無いんじゃなくて、自分がそれを見つけられてないだけなんだ。「日常」に「変化」を求める前に、自分の身の回りをよく見ることから始めないといけないんだ。そう気付かされた冬の朝でした。

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