阪神大震災から4年あまり…。大阪にいた僕でさえ、ほんとに怖かったあの揺れ。少々揺れても雷が鳴っても平気で熟睡する僕が、初期微動到達と同時に「ヤバイ!」と目が覚めるほどにすごかったあの震災。
家族が家の下敷きになっている…、引っ張りだそうとするがどうにも出来ない。助け出せないままに火の手が回ってくる…。そんな惨劇さえ生んだ天災。
自衛隊は、震災直後から出動体制は出来ていたという。被災地にある伊丹駐屯地などは、自衛官自ら震災に遭い、あたりの惨状を目の当たりにしていたであろう。「少しでも早く」「一人でも多く」助け出したいと思っていたであろう。ただ、総理大臣からの出動命令はなかなか来なかった。自衛隊反対派の県知事の出動要請も遅かった。そうしてる間にも犠牲者は増えていった…。
助けに行きたくても、総理の命令がなければ自衛隊は絶対に動けない。そして命令はなかなか来ない。自衛隊の行動の自由をそこまで拘束したのは、軍部の暴走から国を守るために作られた法律だった。国民を守るための法律が、国民の命を救う妨げになるなんて、『こんなばかげた話があるか!』。そうは思うものの、それが現実というもの。総理の命令がなければ、人ひとり助ける事も出来ない、目の前に助けたい人がいるのに何も出来ない、そんな現実。
その悔しさ、やりきれなさ、無力さ…。それは直面した人にしか分からない。だから、僕には語る事は出来ないし、語る資格もない。ただ、この震災があったという事実、そしてその震災の影に見え隠れする多くの事実を忘れてはいけない。そう思って、ここに稚拙ながらこれを記しておきます。