この前、友達の結婚の話が出たとき、ある友達が「結婚指輪って元々は主従関係の証として主から鎖を渡してた(繋いでた?)名残りやぞ、それ知っとったらなんか嬉しくないなぁ…」という内容のことを言ってた。「だから、指輪の交換ってお互いに相手を鎖でつなぐってことやろ?」とも。確かにその通りだと思う。
でも、僕はそれでいいと思っている。鎖って言葉のイメージは何かを縛り付けておくもの、罪人や奴隷、獣などが逃げないように繋いでおくものという、そういうあまりよくないイメージがあるけれど、一方で大事な物をしっかりと繋ぎとめておくって役目もあるわけだし、単に紐やロープの頑丈になったものと捉えれば、大分変わってくると思う。
それでも、「繋がれている」って聞くと不当に自由を束縛されているように感じるかもしれない。でも、何かにしっかりとつながっていると言うことは同時にしっかりと守られているということではないだろうか? 崖を降りるとき、普通は命綱を結わえつける。手を滑らしてもこの綱が身体を、命を繋ぎとめてくれる。そして、「万が一が起きても大丈夫」と、自分の不安な心を支えてもくれる。凧は、ひもでしっかり結わえられ、引っ張られるからこそ高くあがることができる。糸が切れて支えを失ってしまった凧は、一瞬風に乗って高く上がることもあるが、すぐにバランスを失って失速、そして落下してしまう。
人って生き物の多くは、この凧のようなものだと思う。しっかりと誰かに、何かに結ばれて繋ぎとめられているからこそ、支えられているからこそ、風を受けて舞い上がることができる。突風にあおられ、雨に濡れ、風向きが変わって、落下しそうになることも決して少なくないけれど、支えてくれる人いるから立ち直ってまた舞い上がることができる。ひもの長さよりはなかなか高くあがれないけれど、そのひもが支えてくれてなければ、その高さまで上がること自体難しい。中にはほんとに自力だけで高く高く舞い上がれる人間もいるのだろうけど、少なくとも僕はそうではない。
だから僕にとっては結婚指輪の交換は、鎖に繋がれて縛られるというよりは自分と相手の間に頑丈な命綱を結わえ付けるもの。ものすごく大事な約束。
「あんたのことしっかり俺が繋ぎとめて支えたるから、あんたも俺のことしっかり繋ぎとめて支えてな!」そういう気持ちを込めて、「同じ繋ぎとめるんなら糸みたいなやわなもんじゃなくて、しっかりと頑丈な鎖で繋ごうや!」そういう力強さを持って指輪を交換する。いつの日が、実現してみせる。