終戦の日に

 毎年8月になると、新聞にもテレビにも戦争の話題がかなり出てきます。また、この時期になると靖国参拝の話も必ず出てきます。そして、靖国神社に、総理が公式参拝するだのしないだのと、もめている話を聞きます。僕としては、なぜ亡くなった人を弔うことに躊躇するのか、母国を守るため、つまりは、自分の家族、大切な人、友人、仲間を守るため、命を懸けて戦って死んでいった人たちに感謝することに、弔うことに何をためらう必要があるのか分かりません。

  戦争に関わった人たちだから、戦争は悪いことだから、諸外国の反応に配慮して…。色々理由は聞きます。確かに戦争ほど、愚かなことはないと思います。はっきり言って無益な殺し合いです。でも、一旦そうなったら戦うしかないんです。自分が死にたくなかったら、自分の大切な人、大切なものを守りたかったら、戦うしかないんです、相手を殺して勝つしかないんです。簡単に和平協定を結べるようならそもそも戦争になんかなりません。

 先の大戦では、結局日本は負けましたが、今僕たちがこうしていられるのは、不条理な戦争に巻き込まれながらも、日本を守るため、大切な人、大切なものを守るために命を懸けて戦った人たちがいたおかげだと信じています。そして、感謝しています。

 なんだか、最近は戦争中に日本が行った侵略行為と戦争に参加した人に対する非難と相手国への謝罪ばかりを耳にするような気がします。実際、戦争という極限状態とはいえ他の国の人々を殺したり苦しめたことは事実で、謝罪は必要なことと思います。でも、戦争に参加して、いえ、いえ、引きずり込まれたにも関わらず、僕たちを守るために戦ってくれた人たちには、感謝する事が必要なのではないでしょうか? 大切な人を守るため、大切なものを守るため、そのために燃料や資源が必要だったから、拠点が必要だったから占領がどうしても必要だったわけで…。「それでも許せない」という思いも、分からないでもないですが、せめて「僕たちを守るために戦った」ということは事実なんですから、そのことに感謝する事が出来ないものでしょうか。

 恩人に感謝すること、それは至極当然のことのはずなんですけれど…。

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