正信と涼子の章 〜再会〜
第一部『告白』

  僕は今、文学部の屋上から神代町の景色を眺めている。晴れているので遠く

まで見渡せて結構いい眺めなのだが、太陽が僕を真上から照らしていて、ちょ

っと暑い…。ふと左手の時計に目をやると時計の針はちょうど1時を指してい

た。そろそろ来るかな…?

「樟葉君、お待たせ。なんか久しぶりやね。」

  声のした左の方を向くと、目の前に淡い青のワンピースを着て、こっちを見

て微笑んでいる涼子先輩の姿があった。

「あ、涼子先輩! ほんと久しぶりですね。それよりすいません、呼び出しち

ゃって…」

「ううん、いいんよ、全然。それより、この前は大変やったみやたいやね。本

当に怪我とか無かった?」

  気遣うようなやさしい表情を浮かべて、僕の顔をちょっと覗き込む。

「うん、辛うじて大丈夫でした。心配かけてごめんなさい」

「無事だったんなら、それで十分…。それより、大丈夫? なんかこの前より

やせた感じがするけど…? 心労たまってるんじゃ…」

  微笑んでいた涼子先輩は、急に心配そうな、そしてちょっと悲しそうな表情

になった。

「大丈夫ですよ。確かに少し前までは結構しんどかったけど…。最近ちょっと

落ち着いてきましたから」

  と、めいっぱいの笑顔で答えた。これは嘘でも気休めでもなかった。実際涼

子先輩やみんなのおかげで、ちょっとずつ元気が出て落ち着いて来たのだから

…。

「そうなんだ…、良かった」

  僕の表情を見て安心したのか、涼子先輩の顔から不安の色が消え、いつもの

優しい天使のような微笑みが顔に浮かぶ。それを見て、僕もなんだか嬉しくな

って何とも言えない気分になりつつあった。

「あの、涼子先輩…、ちょっと聞いて欲しいことがあるんですけど…」

「え、何? 私でよければ言ってみて」

「実は、僕のあの化け物じみた力の理由が…、分かったんです。」

「……」

  涼子先輩はちょっと驚いたようだが、すぐにまた優しい目でじっと僕を見て

いる。その目は「どんなことでも聞いてあげるから、言ってごらん」と僕に告

げていた。







「実は…、僕…、20年ほど前まで……、  あ、悪魔だったんです」

  やっとのことで、僕はその言葉を口に出せた。でも、顔は完全に下を向き、

涼子先輩からは目をそらしてしまっていて、しばらく顔を上げれなかった。



第二部『先輩』



「樟葉くん…」

  しばらくの静寂の後、涼子先輩の穏やかで、どこかあったかい声が僕の鼓膜

を優しく叩く…。

  その声に誘われるように、そーっと、恐る恐る顔を上げてみた。涼子先輩の

顔が少しずつ視界に入って来る。しかし、その表情には予想していたような驚

きや、戸惑い、不安などは全く現れていなかった。ただ、いつもの優しい笑顔

があった…。

「涼子先輩、僕が悪魔だと知って、平気なんですか?」

「えっ、どうしてって…」

「だって、天使と悪魔は天敵同士。悪魔から見たら天使は獲物なんですよ」

「昔は…でしょ? 昔悪魔だったとしても、天敵だったとしても、今ここにい

る樟葉君は樟葉君でしょ? 何も変わらないじゃない」

  全然大した事じゃないみたいに、ごく当たり前のことかのように涼子先輩は

答えた…。

「(グッ)…」

  グッ…、グスッ ゥッ…

  口から言葉が出なくなってしまって、代わりに涙だけがどんどん流れ出て来

た。何とかこらえようと思うけど、止められない。こらえようとすると余計に

取り乱して、自分で自分がどうなってるか、立っているのかどうかすら分から

なくなって来た。

  ふと、僕の頭を柔らかく暖かい何かが触れた気がした。気がつくと、涼子先

輩は僕の頭から肩をそっと包み込むように抱き寄せて、後頭部を優しくなでて

くれていた。泣いて帰って来た子供を抱き寄せる母親みたいに…。

「あっ、すいません涼子先輩…」

  僕は、涼子先輩に半ばもたれかかっていた体をゆっくりと起こし、ゆっくり

と顔を上げる。涼子先輩の顔が目の前にあった。涙でぼやけてはっきり見えな

いが、優しく気遣うような表情で僕を見てる事だけははっきりと感じた。

「大丈夫?? 辛かったんやね、本当に」

  収まりかけた感情がまた溢れそうになる。

「うん…。でも、別に黙ってたわけじゃないんです。昔の記憶を完全に失って

て、それが、昔の仲間にに再会して、そいつのおかげで記憶が戻ってきて……」

  僕は、昔の記憶を失っていたこと、旧友の悪魔に会って記憶を取り戻したこ

と、そして、20年前の戦でこっちに飛ばされてきて、生き延びるために人間

に融合して今に至ること…。一連のことをかいつまんで話した。もっとも、自

分自身取り乱していたので、ちゃんとしゃべれたのかどうか、順序良く話せた

かどうか、全く分からない。ともかく、僕の中で溜まっていた物をすべて吐き

出した。

  ハァハァハァ…

「そうやったん…。色々あったんね、本当に…。 話しにくい事なのに、わざ

わざ打ち明けてくれて、ありがとう」

  涼子先輩は、うつむき加減の僕の顔を覗き込むと、ハンカチと優しい微笑み

で涙をそっと拭ってくれた。

「ううん、礼を言うのは、 僕の方ですよ。ちゃんと聞いてくれて、いつも気

遣ってくれて、本当にありがとう…」

  僕もやっと落ち着いて、顔を上げて答えた。涼子先輩の笑顔に応えるべく、

今できるめいっぱいの笑顔で…。



第三部『再会』



「ね、樟葉君。さっき樟葉君が昔悪魔だったって聞いた時に確信した事がある

んだけど…」

  ふと、涼子先輩が何か期待と少しの不安が混じったような表情で、話を切り

出した。

「20年前に…、樟葉君とあったことあるよね?」

「えっ、20年前!?」

  20年前といったら、まだ僕は悪魔エルンストだった頃で、あの戦があった

年…。そんな時に涼子先輩、というかその前身の天使と会った?? そんな…

「そう、20年前。岩の下の小さな穴で…」

「岩の下…。あっ!! じゃあ、あの時右足の怪我を治してくれたあの…」

「…うん」

  涼子先輩はちょっとはにかんだような顔で、しかし大きく肯いた。

「ずっと探してたんよ。私を助けてくれたあの悪魔の方(人?)、生きてるのか

なぁ? 無事なのかなあ? って、ずっと気にかかってた。もし会えたら、絶対

あの時のお礼を言おうと思ってたんよ。敵のはずの私を見逃してくれて、危な

くなったら連れて逃げてくれて、しかも爆発に巻き込まれた時は、怪我をして

る体なのに私をかばってくれた…。」

  涼子先輩の頬を一つの雫が流れ落ちていく。

「そして、あの爆発の後、気がついたらこっちの世界で倒れてたの。すぐにあ

たりを捜したんだけどいなかった。私をかばったせいで死んじゃったのかな…

とも思った。もし、無事に生きてたのなら、会ってせめてお礼だけでも言いた

いと思ってた。そうしたら…今、目の前にいるんだもんね…。 ありがとう、

本当にありがとう。なんとか生きてたんだね…、本当に良かった」

  少し下を向いていた顔を上げて、頬をぬらしたままの顔で、泣きそうになる

のを何とかこらえて微笑んでくれた。そして、もう一度「ありがとう」って…。

「涼子先輩…。そっか、あの時何とか無事だったんですね。でも、お礼を言う

のは僕の方かもしれない…。だって、あの時足の毛が治してもらえなかった、

歩くことすらできなかったんだから…。ありがとう、涼子先輩」

「ううん、そんなの大した事じゃないよ。 それにしても、奇妙なもんだよね。

こんな形で再会できるなんて…」

「そうですよね。これも何かの縁かな? それにしても、あの時の子がこんな

に大人になって、今は優しい先輩ですもんね」

「そうよね、私なんかが樟葉君の先輩だもんね。おかしなもんよね」

「でもこれで良かったんだと思いますよ、ほんとに…」

「うん、私も、そう思う」

  涼子先輩は笑いながらそういった。僕もなんかておかしくて、笑いをこらえ

られなかった。でも、これで良かったのだと、涼子先輩が先輩で本当によかっ

たと、それだけは自分の中で確信していた。



  ふと涼子先輩が、何かを思い出したように腕時計に目をやった。

「あっ、もうこんな時間…。そろそろ行かないと、友達が待ってるから。ごめ

んね、ゆっくりできなくて… 今日はほんとにありがとう。 それから、良かっ

たらまたサークルの方にもおいでよ。私もできることなら協力するからね」

「いえ、こっちこそありがとう…」

「うん。それじゃあ、またね」

  涼子先輩は軽く頭を下げて階段の方へと身を翻す。

「あっ、そのままの顔で行くんですか?」

「えっ?」

  階段に向かう涼子先輩が一瞬立ち止まって振り返った。

「あっ、これね…。途中で顔洗っていくから、多分大丈夫よ。樟葉君こそちゃ

んとしなさいよ」

  そう言って笑うと、再び階段へかけていった。

  確かに人の事言えるような顔じゃないよなあ…。今のうちに良く乾かしとか

ないとなあ…。しかし、それにしても、あの時のちょっとのほほんとした、そ

れでいてお人好しの天使が、今はあんなに大人になっていい先輩になったんだ

よなあ…。そんなことを思ってみたり、20年前のことを思い返したりながら、

再び神代町の景色を眺めていた。



  「正信と涼子の章」  完


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