つける薬 議論バージョン   
(大工事中!!!)    


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※ (くどいようですが、)本HomePageは、出来れば(本当に出来れば、)Microsoftインターネットエクスプローラ4.0以降で参照、印刷してください。ネスケでは見れないことに作成後に気付きました。(文字の大きさ、Form、印刷などが滅茶苦茶になります。)本当にスイマセン。決してMSの回し者ではありませんが、ただ、せっかく(素人ながらも)レイアウトを気にしながら作成したものですから...。急いで直します。m(_ _)m
※ “議論”と“自己判断”は、「対象が他人であるか?」の違いだけで、同じものとして読み進んでください。

 「認知心理学的錯誤」「確率推論の錯誤」「論理推論の錯誤」「データの信憑性」「正しい実験方法の難しさ」「悪意のマインドコントロール」、とザッとあげても人間とは、かくも過ちを犯しやすい動物です。しかし、見方を変えて、“これらを知った上で応用行動が行なえる”のは人間ダケということも忘れてはいけません。少々のトレーニングでより良い方向が見い出せるなら、やってみない手はないでしょう。しかし、「でも、どこに錯誤があるの?」と、気がつかない場合が実は殆どです。好例と思われるものをここでは4つだけ提出しておきます。

 まず、「スズメは空を飛ぶ」「カラスは空を飛ぶ」「ツバメは空を飛ぶ」「ハトは空を飛ぶ」
 更に、「スズメは鳥である」「カラスは鳥である」「ツバメは鳥である」「ハトは鳥である」
 ...という観察事例から推測すると、実に容易に「ゆえに、鳥は空を飛ぶ」と結論できてしまいそうな気がしますが、皆さんはいかがでしょうか?  簡単に、結論から言いますと、「アレッ? じゃあダチョウは?ニワトリは殆ど飛べないよね?ペンギンなんか絶対飛べないし...。」ということで、「ゆえに、鳥は空を飛ぶ」からは、かけ離れた例を簡単に列挙できてしまいました。あたかも正しい推論のように感じられたのですが、正確に言いかえるのであれば、「鳥の中には飛べるものもいる。」程度のことだったのです。

 血液型と性格の相関関係を否定するテレビ番組で、「植物にも血液型があるという。ならば、植物にも性格があるというのか? 植物に性格などあるわけがないから、血液型と性格の間には何の関係も無いのだ。」...という論法があったそうですが、話が飛んでしまっていることに皆さんは気がつけますか? 話を整理してみます。
 ★<主張者>は「血液型と性格の間には相関関係がある。」とダケ主張しているのに対し、<否定者>は、あたかも<主張者>が「血液型と性格の間には密接な関係がある。植物にも血液型があるなら、植物にも性格があるはずだ。」と主張しているかのように勝手に暴走し、“植物には性格が無いのは明白である。ゆえに、この主張は成り立たない。★
 ...という展開です。が、ここで冷静に、考えてみてください。<否定者>は、正確に言い直せば“性格は血液型によって形成されている。”という主張に対する否定であって、確かに<主張者>が必要条件ほどの“密接な関係”を主張しているのであればこれはこれで正解でしょう。しかし、<主張者>は(“相関関係がある”とは主張していますが、)決してそのような主張はしていません。すなわち、<主張者>を厳密に否定できるものでないことはお解かりいただけるはずです。よって、この<否定者>は<主張者>から「性格というものを有する生物、つまり人間の場合、血液型と性格に相関関係があるようだ。と言ってるんですけど!?」と、切り返されてしまうわけです。

 ある有名人が、たまたま母の形見のお守りをつけているときに交通事故を起こしたそうです。一週間も意識不明でしたが、死ななかったのはこのお守りのおかげだ。..ということを力説し、数人の聴衆も納得していました。が、「お守りを持っていたのに重傷を負った。」ということが問題にならないのは変ですネ。誰かに、「そのお守りこそが、事故という不幸を呼び込んだのだ。」と言われても反論は難しいでしょう。 ...(認知心理学的にも、)人間という動物は“知らず知らずのうちに自分の主張に有利なように解釈してしまう”傾向があるようです。
 (関連して、)例えば...「奥さん、○○病院はいいわヨ! うちの子なんか38度も熱を出してたのに1週間もしないうちにケロッと治っちゃったんだから。 前にかかってた××医院とは大違い!」などという主張によく出くわします。が、もうチョッと思慮深く発言した方が良いのではないかと...(^_^;)。 「タダの風邪なら放っておいても一週間で治った可能性もあるのではないかと...(^_^;)。」「以前に罹った風邪とは種類が違っていた可能性もあるのではないかと...(^_^;)。」「今だかつて、そこの病院で、誤診によって酷い目にあった人っていないんですか? ヤブだって言う人もいるのではないかと...(^_^;)。」「処方や治療が他の病院と大きく異なるんなら話は解かり易いのではないかと...(^_^;)。」「単にやさしい先生だったのではないかと...(^_^;)。」 ...この場合、その主張は→“うちの子は○○病院で治った。”→“その治療は他の病院に比べ良かった。”→“だから私は○○病院を勧めるのだ。”という構造のようです。が、問題は「果して本当に“他の病院に比べ”治療方法が良かったのか?どうか?」です。 対照実験も行なっていない、または、行なえないのに、(安直にも)原因をそこに見い出し、(驚いた事に)結論まで出してしまう論法です。 w(゚o゚)w,,OH!  井戸端会議なら別に問題ではありませんが、こんな論法で他人を説得してしまった経験は皆さんが持っていることでしょう。 現実的に我々が直面する問題は“複合因子”による結果が殆どで、実にその切り分けが難しくなっています。主張の根拠に出来るような因果関係は、かなり厳密な実験を積み重ねなければその姿を現してはくれないのです。

 以下のグラフを見てください。 ...実は全く同じデータを表現を変えてグラフ化したものです。馬鹿げたトリックですが、注意していると色々な媒体でこのような手法が用いられています。 勿論、悪意でこのような表現をしているのではないでしょうが、ウッカリしていると事実とかけ離れた印象を植え付けられることになります。
 思わぬ落とし穴があなたを取り巻いていますネ。

 また、説得力というテーマで一例。これは、“チョッとした根拠(統計データなど)の提示で随分と自分の主張に対する印象を変えることができる。”という主張ですが、好例かどうかは少々疑問です。(^_^;)

 皆さんはテレビショッピングなどでよく販売されている、腹筋トレーニング器具などの“自称、素晴らしい商品”に対してどのような印象を持っているでしょうか? 過去の“ブラ下がり...”や“調理器具”などの経験から、「どうせ今までの商品とそう変わり映えするはずが無い。」という方も少なくないものと思われます。私もそのようなクチなのですが、最近、深夜のテレビショッピングで「おや!?」という説得を目にしました。アメリカの通信販売製品を番組ごと輸入するというごくありふれた番組で、やけにオーバーな司会者やユーザーのリアクションが面白い、例の“アレ”です。その日もその能天気さに苦笑いしながら楽しんでいたのですが、番組の合間に日本側の番組主催者と思われるコメントが入り、そのコメントが実に新鮮な説得力を持っていたのです。一分程度のものでしたが、主旨は...
 ★「アメリカではこういった商品が、年間600程度、その専用の番組と共に世に出ている。しかし、ヒット商品として残る商品は10%にも満たない。アメリカの消費者も馬鹿ではない。この数%の優良商品の中から、更に厳選したものダケを我々は日本で販売しているのです。」★
...いかがでしょうか? 生活の便を目的とした発明品が次々と世に出ているのは事実です。が、本当に便利で商品価値があるものなのか?は、実に疑問と言わざるを得ません。ところが、解かりやすい数字を提示して“その商品評価を既に済ませてある。”というのはなかなか論理的に見えます。取扱商品の利点ばかりを押すよりは、実に明解に聞こえました。役者まがいのユーザーの個々の意見では疑惑は深まるばかり。厳密ではなくとも大衆の統計を提示されることで、商品に対するイメージが変わったのは私だけでしょうか? (悪例である。という意見が多いようでしたら削除します。)

 それでは、以下の“用法、用量”を守って正しくお使いください。

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◆◇◆ 用途 ◆◇◆

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◆◇◆ 用量 ◆◇◆

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◆◇◆ 注意 ◆◇◆

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◆◇◆ 用法 ◆◇◆

以上に留意すれば、時間を経るごとに真理に近づいていく議論(確信)に、喜びさえ感じられるはずです。
さあ、それでは会議、会議...。

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◆◇◆ 大人用 つける薬(科学的思考様式) ◆◇◆







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◆◇◆ 小児用 つける薬(議論、思考の方法) ◆◇◆


一般的な議論のルール


議論(評価)の落とし穴