主旨 申し上げたい! − 科学的思考(行動)様式が世界を救う − (大工事中!!! 近日中文章校正予定!)それまでは、参考程度に流してください。日本語が変です。(^_^;) |
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承 転 結
変だっ!
皆さんは“説得力が全く無い、乱暴な意見で結論が導かれていってしまう”ような経験はありませんか? 例えば(極端では有りますが)... 「“超エネルギー水(のようなもの)”の販売に社運を賭ける。」などの判断についていけますか?
科学の定義
「どうも面白そうだナ...。」と思っていただけましたか? それでは、ここから本題に迫っていきますので、まず始めに、論点である“科学”という言葉の定義を共通化しておきましょう。定義の共通化。これも議論を進める上での最重要項だとも言えるのですが、皆さんは当然の如く処理していましたか? 特に“科学”という言葉は、実に多義的に用いられており、個人レベルでの印象も、正に千差万別なのではないでしょうか? 同様に、主義、思想も、人によって随分とその定義付けが違っており、議論終盤で、「な〜んだ、同じ事を主張し合っていたのか...。」などということも多く経験されているはずです。「どうも論点がヅレていそうだ。」と感じたら、すぐにでも定義を確認し合いましょう。 ...それでは、皆さんは“科学”という言葉で、どのような事柄が思い浮かぶでしょうか? “コム対”は、思考(行動)様式という、生き方にも通ずるようなシステム全体を連想します。が、少年のように夢を持った方なら、“スペースシャトル”。また、都会住まいにウンザリしている人なら、“煤煙を撒き散らす煙突”。“子供に悪影響があるファミコン”と答えるお母さんもいることでしょう。 一般的な国語辞典を開いてみると... 普遍的真理や法則の発見を目的とした体系的知識。その対象領域によって、自然科学と社会科学とに分類され、また、これに数学、論理学を含む形式科学や、哲学を含む人文科学を加えることもある。狭義には、自然科学をさす。(国語大辞典(新装版)小学館 1988) ...だそうです。が、この“体系的知識”というのが今回のミソだと言えます。あたかも、その最終目的が“真理の追及”のように表現されていますが、チョッと変ですネ。「実は“より良い生活”の為にある。」という事は、皆さんも気が付いているのではないでしょうか? “発見”ダケを目的としているはずも無く、その殆どが、“得られたものからの応用行動”が目的となっていますネ。ここで更に、“知識”を“知恵”と読み替えてみてください。“体系的な知恵”という言葉からなら“思考(行動)様式”という意味合いが容易に読み取れてきます。英語の“knowlage”という単語からも、決して強引な読み替えでないことを補足しておきます。ここまでくると、“コム対”の主張、“科学とは思考(行動)様式だ。”が理解しやすくなったものと思われます。よって、かなり強引な感がありますが、(こうなったら、(^_^;))以下のような定義付けまで飛ばさせていただきます。 −ある事象を観察したときに、仮説を立て、検証し、結論を導き、応用行動をする。− 様式で、あくまでも客観的に、出来れば再現性をともなうものが望ましい。 (王様、教祖様や経典などの“主観”によるものではなく、誰もが理解できる“客観”であることに留意しておいてください。) こう考えると“生き方”にまで通じ、宗教、哲学と同等に論ずることが可能となります。“コム対”が“重要だ”と主張するのはこのためです。 また、“コム対”が“科学”について主張する場合、“その方法”について論じる場合が殆どですから、これからは、人によっては、“科学的思考(行動)様式”と読み替えた方が理解しやすくなりますネ。 更に共通の認識を高めるために、定義付けをもう少し補足しておきましょう。身近な科学
まだ、「いや、こんなものは科学ではない!」とおっしゃるようでしたら、一般的にも“科学とは異なるシステム”と対比させて説明を付け加えます。
※ 結局、大きな流れは変えられない。 自由に生きればいいのでしょう。 ...でも、変えたい。 “ Let It Be ” BGM by The Beatles |
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