つける薬
不思議バージョン2 (心理学的アプローチ)
(大工事中!!!)
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完全に工事中
ですが、“不思議バージョン2”では、“心理学的アプローチ”と題して、
人間はいかに間違え易い動物なのか?
について言及します。具体的には、「認知心理学」「マインドコントロール」「統計学的錯誤」など、出来る限り広範囲に、かつ、解かり易い事例に絞って、ご紹介していくつもりです。皆さんの気持ちの中にしっかりとこれが定着していれば、“新しい事、不思議な事、今までの自分の考えを覆してしまうような事”にも興味が沸き、そして「どのように対処すべきかを適切に判断しよう!」という心構えが自然と生まれてくるものと考えています。 OKさん、MO様の改心のキッカケにでもつながればいいのですが...。思えば、この“心理学的アプローチ”が、このホームページで一番最初に訪れて欲しい場所かも知れません。是非とも“間違え易い自分”に気付き、より良い解決策を模索してはいかがでしょうか?
先日、あるテレビ番組での一幕です。あまり酷いので適切な引用にならないかもしれませんが、少なくとも傍らにいた私の友人はハマッていましたので一言。
「食べ物の味」を科学するような番組でした。例によって、数人のゲストによる“目隠しでの食べ比べ”実験なのですが...、1.白、ピンク、青の三種類の色の違ったシチューが並べられた。 2.味、臭いは全く同じである。 3.被験者は目隠しをして、どれがおいしかったか?を述べる。 ...というものでした。 「これは、いったい何の実験なのでしょうか? “色ダケ”を違えた三種類のシチュー。なのに、その“色”が判別できないような“目隠し”????」 被験者は、当然「どれも同じ味に感じた。」と述べていましたが、驚いたことに番組での結論は「“見た目”が如何に味覚に影響を与えているか。(青いシチューは美味しく感じられない。)」ということでした。
あえて説明をするまでも無い滅茶苦茶な実験ですネ。 頭を抱えていると、更に私の友人は、「へ〜。ヤッパリそういうもんなんだね〜。」などと感心しているではありませんか! 友人は決して頭の悪い人間ではありません。むしろ私は「かなり良い方だ。」と評価していましたが、これはいったいどういうことなのか? 私は、「彼は文系なのであまり実験というものに慣れていなかった。または、彼にとっては特に重要な話題ではなかった。もしくは、既に結論を知っていたため、実験方法には関心が無かった。...のいずれか? または複合か? で、よって、深く考えること無しに思考を停止させ、ただ結論のみを鵜呑みにした。」...と考えますが、皆さんはどんな印象を持たれるのでしょうか? たいした事件でもありませんが、積み重なってくると怖いものを感じてしまいます。
信州大学助教授の
菊池先生
の「不思議な現象を信じる人間の心理」を扱った最近の著作物は、本当に解かり易く、実に勉強になります。 中でも
「確証バイアス」
(仮説を正事例で確証しようという思考傾向)に関する部分は、“不思議バージョン2”としては、“まず記述しておかなければならない”でしょう。 「対人関係の認知や、知覚、記憶の面でも、基本的に確証バイアスと同じ傾向が幅広く見られる。」そうですから、“要注意!”ですね。 箇条書き程度の表現能力しかありませんので、是非とも
リンク
からご自分で検証なさってください。(購入しても決して損はしない良書ばかりです。) 議論、決断の前提として、“それ以前に理解しておかなければならない、人間の本質部分”という意味で、進化生物学、分子生物学、認知心理学などは、特に注目すべき分野なのではないでしょうか? 勿論、ビジネススクール的なトレーニングメニューは外せませんが、コム対からしてみれば、「ビジネス書の中には、一時代前の理論、主張が多すぎます。」 実験技術の最近の目覚しい進歩で、特に研究が進んでいる分野でもありますので、「ここらでチョッと、さらっておきたいところ。」でしょう。 スポーツ医学がこれだけ進んでいる中で、うさぎ跳びを信望するような事のないように!
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◆◇◆ 予備知識 ◆◇◆
認知心理学
脳や神経系の生理的解明は行なわず、実証的な自然科学的手法により、人間の心の働きを研究する分野。 しかしながら、一般的な“心理テスト”や“カウンセリング”などの分野とも一線を隔している。
認知バイアス(偏り) 知覚には無意識的な推論が大きく関わっている!
我々人間においては、(例えば)目に入ってきた情報は、あたかもビデオ撮影するが如く記憶されているわけではない。 まず網膜にキャッチされた情報は、その特徴を抽出され、既に貯えられている知識や期待などによって推論され、初めて「何が見えたのか。」を“認知”できる。 このような抽象的処理では、推論上の一定の方向性を持ってエラーが発生しやすい。 これらは、“情報処理速度アップ、情報収容能力アップ”に貢献していると考えられている。
誤解の無いよう。「“偏り”は、正常な機能であり、決して病理的な知覚異常と混同してはいけない。」(不思議な体験の報告には、病理的な知覚異常によるもの、認知バイアスで説明できるもの、両者が混在するもの、が考えられる。)
不完全な視覚
“盲点の補完”...下図の×印を左目だけで見てください。画面から15cm前後の距離では●が消失したり、破線が連続した直線に見えてしまいませんか?
....つづく (作成中! 早く充実させます。スイマセン。)
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◆◇◆ 「見たんだから間違いない!」 (不正確な認知、認識) ◆◇◆
「××さんが言ってたんだけど...。」 (伝聞の変容)
伝言ゲーム。小さい頃よくやりましたね。“数人でも始めの情報とはかけ離れてしまう状況”は、今でも楽しく思い起こされます。 しかし、次のような場合では、冗談では済まないのではないでしょうか。 「交差点で白い人影を見て、オバケか?と思った。」→ ... →「あそこの交差点には幽霊が出る!」 「アメリカの好景気にはバブル的要素を感じる。」→ ... →「世界恐慌の危険が目前に迫っている!」 「HIV対策は現代の技術では困難を極めるだろう。」→ ... →「21世紀を迎えられる人類はほんの一握りでしかないのだ。」
人間の記憶力は完全ではありません。それに加えて、伝聞する各個人の様々な理解が真実の情報を歪めてしまいます。理解が難しい情報は簡略化、ときに、省略が起こり、また、使い慣れたものへの置き換え、個人的に思い入れのある分野では、誇張、付加も、決して故意ではなく起こってしまいます。
「そこに顔があったんだ。」 (ゲシュタルト心理学 等)
我々人類は、記号程度の単なる物体配列からでも、上手に“何か意味のあるもの”として認知することができます(認知してしまいます)。まるが二つと横棒一つでも人間の顔を連想してしまうことでしょう。 特に幼児期では“顔を見出す能力”は重要です。授乳を受けられなくなれば生命の維持も危うくなりますネ。 また、この言わば“記号からの連想”にも偏りが報告されています。
“文脈効果”
...例えば、A,B,C...と、アルファベットばかり眺めていると、“l3(十三)”が、“B”に見えてしまうような錯覚。人の顔ばかり見せていると、ねずみの絵が老人の顔に映る錯覚。(逆に、)動物の絵ばかり見せていると、老人の顔がねずみの絵に見える錯覚。
そういえば、「人間の高笑いのようなカラスの鳴き声って聞いたことありませんか? カァー、カァーというような、遅目のテンポのものではなく、カァッ、カァッ...というヤツなんですが。」 私の周りでは小さい頃から、「あ、また笑ってる。」などと良く話題になってましたが、いかがでしょうか? “もし、あの鳴き声を“深夜の墓地”ででも聞いてしまったら。”などと想像すると、「確かに聞いたんだ!」と力説してしまいそうです。...恐ろしい限りです。(^_^;)
「ふわふわと飛んでいたんだ。」 (錯覚)
“誘導運動”
...フレームと対象の相対的な動きによって、その対象物の運動が認知できる。 実際には雲が移動しているのに、月が移動している錯覚。
“自動運動”
...もし、フレームである雲が存在しないよう場合では、月があちこちに飛びまわりだす錯覚。 毎秒20度程度まで。振幅30度にも達する場合がある。
“運動残像”
...動体を見続けた直後に、静止しているはずの物体が動いて見える錯覚。
“仮現運動”
...幾つかの静止した光源が順番に点滅を繰り返すと、一つの動いている光源に見える錯覚。
「ハッキリと覚えている。」 (記憶の限界)
(菊地先生の本では、)「100円玉を思い出して、正確に書けますか?」で、始まっています。 いかがでしょうか? あまりに曖昧な自分の記憶力に驚かれたことでしょう。...が、ここで重要なのは、記憶の欠損ではなく、むしろ“記憶の創作”です。 上記の“伝聞の変容”にもあるように、“(理解困難は、)省略、(使い慣れたものへの)置き換え、”が頻繁に起こっています。
裁判でも、目撃証言の取り扱いに関しては、極めて慎重です。
− − 引用 ここから − −
1987年、皇居に向けて迫撃弾が発射され、目撃証言から、ある過激派所属の男性が逮捕されました。目撃者は、活動家32人の写真を見せられ、この男性を指摘しました。 裁判の争点は“目撃証言の信憑性”です。 被疑者弁護側は、日大の巌島助教授に依頼し、大学のキャンパスに目撃現場を再現して大規模な実験を行ないました。事件とほぼ同じ条件下で、大学生に犯人役の人物を目撃させ、事件と同様に4週間後に写真帳をみせたのです。 結果、32人の写真の中から正確に犯人を特定できたのは、25人中の僅か2人でした。 一審二審とも、目撃証言は信頼できないとして、無罪が言い渡されています。
− − 朝日新聞からの孫引きの要約 (自爆) − −
“情報の起源”情報の失われ易さ
・「いつ誰から聞いたのか? はたまた、自分の体験なのか?」
・複数人で同じ現象を目撃し“異なった認知”をした場合でも、後の情報交換によって“同様な目撃報告”となってしまう。
・“スリーパー効果”...
“命名効果”、“誘導的質問”、“既視現象(デジャヴュ)” 等、等
....つづく (作成中! 早く充実させます。スイマセン。)
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◆◇◆ 「だって、そうじゃない?」 (実験方法の難しさ) ◆◇◆
「やってみたら効果テキ面!」 (原因の追求)
“早朝の太極拳で宇宙の気(エネルギー)を貰おう!”...で、もし、「効果があった!」と感じられたのであれば、次の事項をもう一度考えて見てください。 ・ラジオ体操、散歩でも同じ効果が得られるのではないか? ・やらなかった場合の体調はどうか? ・健康状態が“どん底”で始めたのなら、放っておいても快方に向かったのではないか? ・他の人々は? ・“体調が良くなる”ということを知らずにやった人でも同じ効果が得られるのか? ・更に、“疲労が蓄積するはずだ”と告げてやらせた場合はどうか? ...
「科学者も認めているんだ。」 (ユング? フロイト? シンクロニシティー? 集合的無意識?)
共時性とは、ユングが言うように「意味のある偶然の一致が生じる現象」ではなく、「偶然の一致に人間が意味をつけてしまう現象」として興味深いものであると評価すべきものです。証明された科学的事実と呼ぷには、あまりにも客観性、実証性に欠けています。ただし、臨床心理学の現場では、まさにこの「体験に意味をつける」点が、治療に有効であると考えられるため、現代でもユング派は有力な学派たりえているのです。 (講談社「超常現象をなぜ信じるのか」より)
「科学者も認めているんだ。2」 (ユリゲラー VS マジシャン)
...。
丑の刻参り!?
“願いが叶うまでは、決して他人に知られてはいけません。”...ということは、“成功ばかりが強調されて、失敗は知られない。”...ウ〜ム、なかなか良いシステムですネ。
....つづく (作成中! 早く充実させます。スイマセン。)
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◆◇◆ 「奇跡としか考えられない!」 (推論の難しさ) ◆◇◆
「10万分の3の確立である?」 (確率推論の錯誤)
カリフ才ルニア大学の物理学者ルイス・アルバレスは、一九六五年の五月一六日に不思議な体験をしました。この日、彼はエジプト考古学関連の新間記事を読んでいました。そこに出てくる考古学者と同じ名前であることから、学生時代に知っていたカールトン・クーンというバンドマンのことをふと思い出しました。ざらに、そのバンドマンの相棒だったジョ−・サンダースのことも三十年ぶりに思い出し、なつかしい学生時代に思いをはせました。その直後、新間のぺ−ジをめくった彼は愕然としました。まさにそのサンダース本人の死亡記事が載っていたのです。このできごとはシンクロニシティとも、テレパシーとも、心霊体験とも解釈することができます。しかしアルバレスは冷静に、偶然でこのような体験がどのくらい起こるのかを考えてみることにしました。
そのために、まずふつうの人には三十年間で何人くらいの知り合いがいるのか、という推定からはじめて、数多くの要素の計算をしなくてはなりません。アルバレスはこれらをかなり控えめに見積もって最終的な推定値を出しました。彼によると、ある特定の人のことを考えた五分以内にその人が死亡したことを初めて知る、ということが一年間に起こる確率は、わずか十万分の三にしかすぎません。あなたが十万年生きていたとしても、三回くらいしか出くわさないほどにまれなできごとです。
先にも指摘したとおり、このようにほとんどありえないことが起こったとすれば、それは偶然ではなく、別の要因が働いていると考えること自体には問題はありません。しかし、この確率がごく低いこととは別に、もう一つ考慮しなければならない点があります。たしかに、あなたが一年間にそんな体験をする確率はわずか十万分の三にしか過ぎません。しかし、日本の人口を考えれば、毎年三千件以上もこんなできごとがおこっていることになるのです。その偶然が的中した人にとっては、それは不思議現象と解釈され、さまざまな形で人々の間で話題になったり、マスコミで取り上げられることになるでしょう。
このような偶然が起こる確率はたしかに低いのですが、実際にそれがどれくらい観察されるかは、その集団の大きさによって異なってくるのです。私たちは偶然の一致の確率がとても低いことには気がついても、その確率を適用できる人々が自分以外にも膨大な数にのぼり、実際には数多く観察されることには気がつきにくいのです。 (講談社「超常現象をなぜ信じるのか」より)
確率推論の錯誤2
「ある学校のクラスには40人の生徒がいます。その中に誕生日が同じ人の組み合わせが、少なくとも一組以上存在する可能性は、何%程度だと思いますか?」
...なんと(解答は)“9割方のクラスが該当する。”んです。 菊地先生の調査では9割以上の大学生が“10%以下”と答えたそうですから、間違えたとしても、ある意味で“正常”です。 ご安心下さい。 ちなみに解法は以下の通り。
誕生日が全く一致しない確率は...
・まず、40人のうちの最初の一人は、365日のうち、何日に生まれていても構わないので...365/365
・二人目は、365日のうち、最初の一人とは違う日に生まれていなければならないので...364/365
・三人目は、365日のうち、前出の二人とは違う日に生まれていなければならないので...363/365
...と、40人分計算すると、...(365/365)×(364/365)×(363/365)× ...×(326/365)= 10.9
これを、全体の100%から減じて、...
89.1%
(講談社「超常現象をなぜ信じるのか」より)
「...ゆえに、××である!」 (帰納法と演繹法)
まず、「スズメは空を飛ぶ」「カラスは空を飛ぶ」「ツバメは空を飛ぶ」「ハトは空を飛ぶ」
更に、「スズメは鳥である」「カラスは鳥である」「ツバメは鳥である」「ハトは鳥である」
...という観察事例から推測すると、実に容易に「ゆえに、鳥は空を飛ぶ」と結論できてしまいそうな気がしますが、皆さんはいかがでしょうか? 簡単に、結論から言いますと、「アレッ? じゃあダチョウは?ニワトリは殆ど飛べないよね?ペンギンなんか絶対飛べないし...。」ということで、「ゆえに、鳥は空を飛ぶ」からは、かけ離れた例を簡単に列挙できてしまいました。あたかも正しい推論のように感じられたのですが、正確に言いかえるのであれば、「鳥の中には飛べるものもいる。」程度のことだったのです。
“平均への回帰”、“AK45と郵便局員” 等、等
....つづく (作成中! 早く充実させます。スイマセン。)
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◆◇◆ 「私は正常だ!」 (感情や生理的な“不思議”) ◆◇◆
「洗脳!?」 (マインドコントロール)
「五歳のころショッピング街で迷子になった」という偽りの記憶を植え付ける!...
・予め被験者の身内などから、その人の子供時代のエピソードを何点か入手しておく。 (被験者は、実験上の境遇にあったことがないことも確認しておく。) ・「子供時代の実際のエピソード」三つと「ショッピング街で迷子になって老婦人に助けられた」という架空の迷子事件の計四つを書いた文章を作成する。 ・被験者にこの文章を確認させ、以上の境遇をどの程度思い出せたか? 誘導的な質問を繰り返す。 ...
結果、実際に体験したものの六八パーセントは直ちに思い起こされ、更に偽りの迷子事件をも“思い出した”被験者は、二四人のうち、七人にも達した。 (ロフタスとピックレルの実験より)
金縛り、幻覚、幻聴 (微妙なバランス)
...。
「なんとなく好きだな〜。」 (感情による錯誤)
...。
“偶然性を嫌う思考バイアス”、“主観的確証”、“認知一貫性の原理”、“ステレオタイプの強化” 等、等
....つづく (作成中! 早く充実させます。スイマセン。)
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※ 「人間だから錯誤は仕方ない。」と諦めていてはダメ!
人生に“無駄な時間”など無いはずです。
...やってみましょう!
“ Time ”
BGM by Pink Floyd