地の利があっても、染まらないかも

 私はとてもやさしい人間である。
 ある日、東のりっちゃんとして親しまれている有名大学の学園祭を訪れた。
 近くにヲタク文化の集積地としても有名な地区があるので、やはりそういう文化との相互作用もあり、レベルは高いのだろうな、とそれっぽい部があったのでの展示を見た。ほー、ラノベなんかも書いているのか。さすがだなあ。
 ある作品の書き出しがドアに貼ってあった。部誌の購買意欲を誘うため、その年の最高に出来がいいものと考えるのが妥当である。しかしチラ見しただけで
マジやばくね。

 この作者、たぶん部内ではちやほやされているのだろう、このままでは人格形成上よろしくない。私は掲示されている全文を書き写し、どこが悪いか、丁寧に解説して、最後に全部書き直したものをつけた。100倍はよくなっているはずだ。
 さて、これ、送ろうか、とWebを検索、ホームページを探す。メアドに送ったら宛先がないと戻ってきた。はて?Facebookあたりに移行した?しかしながら日付を見る限り死んでいる。
 そうこうしているうちにコロナで学園祭軒並み中止になったので、わたしのやさしさの詰まったメールはそのままディスクの肥やしとなったのであった。
 3年の時が流れ、学園祭の季節がやってきた。(農作業その他で)とても忙しかったのだが、なんとか時間を作ってまた訪れた。なんというやさしさだろう。3年前と同じく、センスの悪いプログラムを買った。我ながら義理堅い奴だ。(構内案内図と展示一覧、がないのよね。)
 部の人と友好的に話をして、たぶんその人たちが一生に一度しか出会うことのできない才気あふれるやさしさの塊をおいてきた。

 元の小説書いた人は、とっくに卒業だろう。ホントは本人に落ち込んでほしかったのだけどな。
 まあ、最後の一行以外は「小説のスピード感を感じてほしくてそう書いた。実際、理解できる人もいる」「物理の先生が女性であるのは当たり前にある。これに対し物理は男性という先入観を持って混乱するのは男女平等の観点から見ても混乱する方が間違っている」はなどと言い訳するかもしれない。(実際には女性の先生が二人同時に教壇に立ち、同じようにチョークで板書しているから混乱するのだが。もちろん性別を変えるなんて修正はしなかった。後で回収できなくなる可能性があるからね。)

 しかし最後の「私の肌はこの上なく白かったのだ」を「尋常じゃないほど白かったのだ」と書き換えたのは、さすがに「やられた!」と思ってくれるといいな。そこから話が始まる、という予感がはるかに強くなるじゃないか。

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