3次元コンプレックス

 アニメの主人公に恋してしまう2次元コンプレックスというのがあったらしい。では、バーチャルアイドルに恋してしまうということが起こりうるかというのを考えた。
 多分あるだろうな、たとえ生身の体を持っているとはいえブラウン管でしか会えないアイドルに恋することがある以上、対象がポリゴンの集合体であってもさほどかわりはないであろうというのが根拠である。でも、2次元アイドルへの思い入れの方がきっと強いだろう。キャラクタがストーリーを持っているかの問題だとかたづけることもできようが。

 それにしても、なぜ2次元のディスプレイにしか表示できないものを「3D」と表記させるかは謎。インフレの進むコンピュータ用語でも最高に実体からかけ離れているのではないかなと思う。3Dグラフィックというとついついホログラムを想像してしまうではないか。歯ブラシの広告言語を見習ってほしいものだ。何十年も前から「奥歯の奥まで磨けます」という形で表現を完成させているではないか。今後コンピュータが本当にホログラムを実現できたとき、いったい何て呼ばせるんだろう。

 2次元コンプレックスの経験がない私が3次元コンプレックスにどうして興味を持つのか自分でも疑問であるが、同僚にテライ・ユキにとても似ている(と私は思うんだが私の「似ている」は当てにならないそうだ)人がいるのでちょこっと気になった次第。私と彼女の距離と、私とテライ・ユキの距離はどっちが近いのだろう。
 私は彼女と話すことができるが(ちなみに触れたことはない)、私の意識に写っている像である表象としてのレベルであれば彼女もテライ・ユキも似たようなものである。逆に私の意識外の部分を全く持たないという点でテライ・ユキの方をよく理解しているとさえいえる。人間であれば知らないことも多いし、知りたくもないこともあるはずだ。これを認めながら表象だけを相手にするのは、とても本人に失礼なことである。テライ・ユキに対してこの非礼は起こりようがない。
 とはいえ限定されている対象であるがゆえによく分かっていると言っていいのか?私はこの意識が生み出すとんでもないエネルギーのゆえに、これをむしろ積極的に肯定したい。私はテライ・ユキのありとあらゆる動作、反応を収集することができる可能性がある。これは生身の人間が相手では想像すらできない。この「できる」という意識が本当に対象物の情報を徹底的に集めさせるという行動にファンを駆り立てることがあった。これが、日本版脱構築とでも言うべき対象物についての作者自身想像しなかったもうひとつの物語を作ったのである。

 この最高傑作が「水原勇気1勝3敗12S」であり、最も広まったものが「磯野家の謎」であると思っている。「暴露本ブーム」とか称されて追いかけた本が続いたが、この2つは構築された世界観のレベルが桁違いである。
 例えば有名な「サザエはフネの娘ではない」という発見。これだけならば、作者がそこまで考えてなかったんだろう、という(作者を馬鹿にしたような)感想を持つことも可能であるが、「だとすれば、サザエとカツヲ・ワカメの年齢が離れているのも理解できる」と駄目を押されれば、それがサザエさんの世界であると納得させる説得力を持ってくる。
 星飛雄馬はドラフトを経過していない、これは韓国籍だからでは?という説を出されただけでは、ご都合主義でドラフトを無視しただけでしょ、と突っ込みたくなるが、星に影響を与える選手に韓国籍の人が多いことや、腕を破壊してまで巨人の星にこだわるのが、韓国人の「恨」を思わせる、と傍証をあげられれば、なるほどと思わせる。
 まあ、サザエさんや星飛雄馬はアイドルではないが、2次元の世界をここまで解釈し、書き手の意図とは別に実証可能な説得力のある世界観を作り上げたというのは文学評論の見地から言っても評価できることといえるだろう。
(この辺のディコンストラクション〜脱構築〜の用語法はJ.カラーの影響による。この言葉の生みの親であるデリダは「声と現象」でしか脱構築と言っていないのではないかなあ、あとで散種と言い換えているし。)

 今後、見てゆきたいのは、このポストモダンな文学評論のレベルにまで高まった2次元漫画の解釈が、テライ・ユキに対して行われることがあるか?それほどのリアリティを持った対象として生きてゆくことが出来るか?である。このキャラクタが、それだけの物語を内包しているだろうか?テライ・ユキが持っていないとしたら、それを持っているキャラクタが出てくるか?である。

 テライ・ユキは水原勇気ほど愛されるだろうか。

 なお、この種の暴露本ブームのころ、私も似たようなことを考えた。対象は「パタリロ」である。2つほどいいのが出来たかな?

マリネラの通貨制度
マリネラの基本通貨単位は1マリネラ。1マリネラ=1ドルである。これは1年程度の時間の隔たりを持ってコミックの2箇所に出てくる。(本当はこのときの円ドル相場を調べないといけないが)
 このことは、マリネラがドルに対する固定相場制を採用していることを意味している。
 マリネラの主要産品であるダイヤモンドは、相場商品であり、ドル建てで取り引きされることが多いため、為替リスクによる国内経済変動を回避するためにはドルとの固定相場制が望ましいという判断からくるものであろう。
 また、パタリロが幼少のみぎりにエトランジュに読んでもらっていたお気に入りの本がブレトンウッズ体制にかかわる経済学の本であったことを無視することはできない。ブレトンウッズ体制とは1ドル=360円、というふうに世界の通貨の価値を米ドルを基準とした固定相場のうちに位置づけたものであった。
タマネギ部隊
 皇太子暗殺計画を暴露し、内閣を弱体化させ国王権力を強めることに成功したパタリロは、直属の行政組織を現行のもの以外に持つ必要があった。そこで目を付けたのがエトランジュが養育係として用意していてくれたタマネギ部隊である。
 なお、タマネギ部隊には2種類あり、エトランジュが雇い入れたメンバーと、パタリロに移管されてからのメンバーでは次の点が異なっている。
 隊員番号が順列なのがエトランジュ、自由につけて良いのがパタリロ。
(例えば、フィガロ登場のあたりで「9号というと古株だなあ」「部隊ができて2年目入隊しました」という会話があることより、若い番号のタマネギは順列で決められており、それをパタリロも認識していることが分かる。)
 給料体系が違い、よいのがエトランジュ、悪いのがパタリロ。
(子タマネギが出てくる回で、1〜6号のタマネギが「お給料がよいからねえ」と言っている。またほめられると5%給料が上がるという制度が古株のタマネギにはあった。)
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