バカボンのいる風景

 日本人の間で最もよく知られたイタリアの風景はどこだろうか。
 「ローマの休日」のスペイン階段
 ディズニーランド、ワールドバザールのモデルとなったミラノのアーケード、ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエレII
 普通はこんなところだろうが、我々の年代にとってはチロルの「土柱」が一番なじみがあるかもしれない。テレビで毎週1回見ていた人も多い。とはいえ殆どの人は意識していないと思う。実は天才バカボンのオープニングである。「西からのぼったお日様が」と歌われているとき、バカボンのパパが立っていたのが、かの土柱の上である。
 土柱というのは、文字通り土の柱で、どういう浸食作用が働いたのであろうか、土のくせに柱になって空に向かって立っている。極めて珍しい地形で大規模なものは世界に3箇所しかない。
 徳島県とロッキー山脈と、イタリアである。イタリアに行ったとき父親に連れられて見てきたが、徳島県のものに比べてスケールがばかでかく、地球上の風景とは思えなかったのを覚えている。
 で、あらためて天才バカボンの再放送を見て「ああ、これか」と納得した次第。
 しかし何だってあんなものをテレビアニメにもってきたのだろう。

 アニメ版「天才バカボン」は教養あふれる番組である。バカボンのパパは生まれたとき「天上天下唯我独尊」「我思うゆえに我有り」としゃべったし、「ブタの惑星」では「ブータス、お前もか」というセリフが出てくる。再放送で見た分はまだ覚えているが、本放送で見た分はさすがに分からない。しかし恐らくは教養に満ちあふれたものであったに違いない。
 たとえ子どもには理解できないと思っても、そういうのを埋め込まざるを得ないのが赤塚不二夫の性分なのだろう。この態度は子どもの立場に自分を置いてみる、というものではない。むしろ、大人として扱っている。この点がディズニーと異なる。ディズニーは常に子どもの視点に身を置いていたらしい。従って子どもと話すときは抱き上げることなく、常に自分がしゃがんでいたそうだし、ディズニーランド建設時は、それこそ子どもの目線でどう見えるか、あちこちしゃがみ込んでチェックしていたらしい。

 すごいことだと思うし、徹底してきれいな環境というのにも惹かれるところがある。が、その代わりシンデレラ城のモデルに姿が美しいからとノイシュバンシュタイン城を使ってしまうのだ。どうせ子どもには分からないと思っているのだろうか。もしこれが赤塚不二夫なら、建築を命じた領主に問題があるような城は決して使わないであろう。
 どちらがいいかは分からない。でも、ディズニーランドの大好きな子どもにノイシュバンシュタイン城の説明はしたくないし、ディズニーワールドのバスの巡回順がホテルの値段順だというのも、できれば説明したくないことである。
 子どもはいつか大人になる。でも、せめて子どもの時に夢を持ったものについては、できるだけその気持ちを忘れてほしくはないものだ。

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