時代に答えるこの重さ

 以前、大阪に住んでいたとき、わたくしの週末は優雅であった。
 金曜日の夜は、神戸の萩原コーヒーで購入してきたブルーマウンテンをネルドリップで入れ、バッハのイタリア協奏曲を聞く。いかにもかっこいい。そして安上がりである。
(これが一人で暇なので、シンフォニーホールに行き、たまたまやっていたブリュッヘン=18世紀オーケストラを聴いた、などと白状すると逆に金はかかるが、物悲しい週末となる。)

 確かに私のステレオは値が張る。ただし一度買えばあとは電気代だけだ。コーヒー豆にしても、店で飲めば700円くらいするのだろうが、自分で入れれば神戸までの電車賃を入れても十分の一。ちなみにコーヒー豆としては京都出町柳のカミ家が一番気に入っているが勤務先がどっちかというと神戸方面なのでこうなった。カミ家には批判的な人もいるが、店先で堂々とコーヒー豆を煎るさまはなかなかである。
 「豆の焙煎法は企業秘密でしょ?店先でやって盗まれませんか?」と問うと「でも、真似できないでしょ」と答えた自負心は最高である。

 我ながらコーヒー豆には恵まれていて、今の家の近所にもカミ屋/萩原ほどではないがいい店がある。結婚直後は当方毎日のように食後の一杯を入れていて、ニョーボもいつも美味しそうにコーヒーを飲んでくれていた。でも最近はそうでもない。
 理由はいくつか考えられる。豆とネルの相性がよくない。とりわけネルの入手は年々困難となっている。昔使っていたのは大阪心斎橋そごう地下ので、実にコーヒーの流れ落ちるさまが見事だったのだが、最近は「ネル」というものが入手できれば万万歳である。仕方ない、ペーパーフィルタ派に転向しようか。一度お湯か蒸気を通せば紙臭さは消えるから。(京都のイノダコーヒのネルは使っている豆との相性が悪いようで、すぐに詰まり使いにくい。ちなみにあそこのプリンは美味しい。焼き菓子であることを感じさせながら十分にクリーミー。ニョーボ絶賛である。)
 仕事が忙しく、ストレスがたまるようになってきたのでコーヒーを入れるときの気分に余裕がなくなってきて味に深みがなくなってきたような気もする。

 そんなわけで最近ニョーボはSTARBUCKSのコーヒーを美味しいと通勤途上で飲み始めた。そんなにうまいかなあ?でもどんどん店が増えている。かくいう私もドトールコーヒーに寄ることがなくなった。
 で、いろいろと言われるスターバックスのコーヒーをポジティブに捉えると結構なパラダイムシフトを反映していることに気が付いた。

 普通、コーヒーは「コーヒーブレーク」という言葉に如実に表れるように、「リラックス」のための嗜好品として捉えられる。しかしながら、スターバックスは大きく異なる。仕事の合間に気合を入れるために飲むという方向で味を作っている。
 まるでアメリカンコーヒーの伝統からは外れている。アメリカンコーヒーは元々開拓時代に「燃料を節約するため浅く煎る」「豆を節約するため細かく挽く」「体を温めるためたっぷりのお湯を注ぐ」という方向で作られた味だ。が、スターバックスはとにかく濃い。燃料と豆をふんだんに使っているようだ。飲むと気合が入るのは確かである。

 ただし、この味が時代に受け入れられているのも確か。ちょうど私のように忙しく、落ち着いてコーヒーを入れることができなくなった人間向けであるといえようか。
 少々さびしいが仕方がない。まあ、夫婦で完全になじみになってしまったせいか店員の笑顔が当初比50%増し!なのでその分埋め合わされたということにしよう。

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