「何でも溶かす液」の末路

 多胡輝とかいうひとが昔「頭の体操」という本を出していた。昭和40年代のベストセラーである。多分心理的な盲点を突くなぞなぞ集なのだろう。
 この本の中でもっとも有名で論議を巻き起こした問題というとこれだろう。「何でも溶かす液体が完成したが、発明者は大きな問題があると頭を抱えている。それは何か。」正解は、もう20年以上も前だ、出してもいいだろう。「何でも溶かしてしまうので、それを入れる容器がない。」
 ただしこれはあくまで多胡輝さんの答え。そんなことはないと反論がきたらしい。曰く「無重力空間に保管すればよい」「凍らしてしまえばよい」。この可能性については多胡輝さんも認め、「頭の体操」の別の集に収めていた。ちなみに当時の私は「エポキシ接着剤のように2液混合式にすればよいのに」と子供らしく素直に思っていた。(当時は心理学者の何でも決めつけてしまう態度に反感を持っていなかった。)
 今なら、なんでも溶かす液の問題として「何でも溶かすのだが、ものすごく時間がかかって実用とならない(ちなみにその液体の名前は「水」という)」とか「すぐに周囲の空気を溶かしてしまい反応が飽和する」と考え付くことができる。
 なお、当時の私が考えた「発明者の抱える大問題」は「何でも溶かす液は、何でも溶かす液自体も溶かしてしまうので、すぐに何でも溶かす液ではなくなってしまう」、おー小学生としてはすごいじゃないか。これって正解じゃないんですか>多胡センセ。

 多分「液体は元々溶けているから、溶かす対象とはならないよ」という反論が出されるかもしれない。確かに、液体が液体を溶かすってどういうこと?と当時から疑問に思っていたのも事実。じゃあ、(なんか変だが)元々液体のものは溶かす対象から外しましょう、ということになる。多胡先生も特に異論は挟まないだろう。なら容器の問題にけりがつく。
「ガラスのビンに入れておけばいいじゃないですか」(ガラスは液体)

 およそ30年ぶりに落ちがついた。

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