MASHなら−聴こえる

 松下電器がジャストシステムを特許侵害で訴えた件に反応して、すぐにPanasonicのポータブルCD-ROMドライブを捨ててしまった私であるが、どうしても我が家に松下製の電気製品が一つ残ってしまった。LDプレーヤー、これは捨てられない。すべてのLDプレーヤーは生産中止である。
 あまり松下を選ばない私がなぜこれだけはPanasonicにしたか。無難だったというのが本音だが、そのころのPanasonicの広告に少し感動したからだ。(ちなみに私が最高の評価をしている広告はラプソディ・イン・ブルーを三味線で弾いて「私たちの中にも日本の皆さんの心に通じるものが少しありますよ」と感じさせたUnited Airlineであるが。)

 このLDプレーヤー、D/AコンバーターにMASHという技術を使っているそうだが、このMASHをアピールするコピーがものすごくよかった。うろ覚えだが最初のはこうだった。

交響曲「悲愴」第一楽章。チャイコフスキーは6つのピアノ記号を書き込んだ。
MASHなら−聴こえる。
第二弾は
組曲「ダフニストクロエ」冒頭の2分半。ラヴェルは19,306個の音符を書き込んだ。
MASHなら−聴こえる。
 技術的に言うと、最初のはD/Aコンバータ(CDプレーヤーの)のローレベルの再現性、2つ目は分解能をアピールしたものだ。数字を入れるなどして「性能」アピールしている。
 だがこのコピーがそれに終わらないのは「作曲家の心がきこえる」と感じさせるところだ。
 もっと小さく、もっとかすかに、と聞こえそうもないところまでピアノ記号を書き足してゆくチャイコフスキー。もっと響きを、もっと広がりをとオーケストレーションの限界を突破しようとするラヴェル。この2人の作曲家の思い入れが通じてくるじゃないですか。だからMASHには単なるローレベルや分解能にとどまらず、作曲家の心まで通じるものがあるんですよ、と言っているわけだ。

 残念ながら、この広告のシリーズは2回で終わってしまった。たぶん、もう、ネタがない。私も考えてみたが、ない。まあ一つだけおおまけにまけて合格点に達しそうなものが。

ヴァイオリン協奏曲1番、終楽章。パガニーニは4.95センチのE線にクライマックスを託した。
MASHなら−聴こえる。
 残念ながらつっこみどころ満載である。4.95センチはフラジオレットが鳴っている振動長であって、弦自体はもっと長いだろう(なお、4.95センチというのは我が家のヴァイオリンでの実測値です)。クライマックスの音が聞こえなくてどうするんだ(ちなみに本当は擦過音としか聞こえないのだ)。やはり曲に題名がないのはインパクトに欠ける。ピアノの最高音より半音高いcisを持ってきたのは、パガニーニの思い入れというより、自己顕示欲だろう、とか。
 でも、CDの苦手な高音を出せる、というところは押さえているつもり。これが
ピアノソナタ「熱情」コーダ。ベートーベンは鍵盤の両端の音からアルペジオになだれ込んだ。
では、本当に聞こえて当たり前なのだ。

 やはり作曲家の思い入れでは、幅がない。というのは作曲家自体は音を出していないからだ。演奏家の方を持ってきてみよう。が、どっちかというと「演奏」より「音」の問題になる。

ワーグナー「ラインの黄金」世界初録音。カルショーは・・・
好きなものを入れてください。孤児の悲鳴でも、サンダーマシンでも、錫のインゴットでも、C音を出すアルペンホルンでも。いずれも聞こえて当たり前というのがつらいです。
1975年10月12日、ブルックナー交響曲7番。聖フローリアン教会の鐘は朝比奈隆を祝福した。
MASHなら−聴こえる。
結構決まった。要するにブルックナーが住んだ教会でこの日、朝比奈隆が大阪フィルと交響曲7番を演奏した。そして第2楽章が終わったとき、きわめて偶然に、教会の鐘が5時を告げた。この鐘が結構ドラマチックな効果を上げている。
 しかし、あまりにもマイナーでなんのこっちゃさっぱりわからん

 なんとか皆さんに納得してもらえるのはこれだろう。

1965年ショパンコンクール本選。第一楽章を弾き終えたアルゲリッチはさすがに肩で息をした。
MASHなら−聴こえる。
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