紋切り型表現

 こどものときから不思議に思っていることがある。
 優雅に泳ぐ白鳥は、水面の下で必死に水をかいている、という言い回しだ。
 本当にそうなのか、動物園や公園で白鳥を見るたびに観察するが、目が悪いのか、池の水が濁っているのか、はっきりとしたことはわからない。
 しかし、ついに発見した。白鳥の足は水面下でほとんど動いていない。やっぱりそうか。今までこの言い回しを一度も使わなくてよかった。うそつきと呼ばれずにすむ。
 ついでに言うと「ろうそくの火が消える寸前に一瞬強く輝くように」という表現も一度も使ったことがない。これは実験すればすぐにわかること。未だにこの表現が使われているということは、世間の人がいかに自分の目でものを見ていないか、自分で実験していないか、の証左である。
 なお、猫を借りてきた経験はないので、本当におとなしいのかどうか、未だに確証は得ていない。

 多分、同じような観察をした人は今までもいるだろうし、それなりに異を唱えてきたに違いないのだが、なぜかこの表現なくならない。
 要するに、見えないところで努力をしているんだよ、ということを言いたくなった人がいて、池で泳ぐ白鳥を観察していて「白鳥は水をかかないと沈んでしまうに違いない」と推理したのだろう。(実際には羽毛の間に空気がたまっており浮力がある。また羽毛は油を帯びており水をはじく。)それを基にそういう表現を創作し、それに多くの人が追随した、ということであろう。見えないところで努力している例なんていくらでもあるだろうに、と思ったが、あ、そうか。優雅な成功(水面上の白鳥)と見えないところでの努力(水面下の水かき)が同時に存在する例というのが滅多にないことは確かに認めざるを得ない

 というわけでこの表現、居心地の悪さを指摘されつつも長年使われてきたのだろう。であれば事実と違うからといって使用禁止にするのは惜しい。ならば、こう言い換えてはどうだろう。  「ゴールでガッツポーズをしている北島選手は、水面下で必死で水をかいてる。」
 金メダルをとってガッツポーズを決めていた北島選手は、上半身をずいぶん長い間水面の上に出していたが、いくら最新鋭の水着とはいえ浮力があるわけではない。立ち泳ぎをしていたはずである。間抜けな構図だが、全身で喜びを表現しているように見えて、水面下では、必死で立ち泳ぎをしていたということだ。なぜ必死と思ったかって?シンクロナイズドスイミングでも、あれほど長く上半身を出しっぱなしということはないでしょ。だから。

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