パラダイムシフト

 古池や 蛙飛び込む 水の音

 これは「がんばろう」という意味の句であるという新解釈を作りました。

 ストーリーはこうです。

 
あるところ 松尾という人 住んでいた。  
池のある 大きな庭が あったとさ。  
その家が ある時火事で 丸焼けに。  
焼け跡の 庭にたたずむ 松尾さん。  
焼け残る 池に飛び込む 蛙かな。  
なにごとも なかったように 元気だな。  
くよくよと してる自分が はずかしい。
よし!自分もがんばらないと。

 ということで「パラダイムシフト」によって、意味が変わってしまったという例を作ってみました。
 7つの習慣、に乗っかった本が、全部のエピソードを原典から持ってきているのに少々残念な思いをして(正確には「他人の本を元に子供向けにアレンジして印税を稼ぐなら、例え話くらい自分で日本人向けに作れよ!」と思って)、自分なりに作ってみました、ということにしておこう。

 で、この解釈、何かおかしいところは?
 池に古いも新しいもないだろう、と思った人が調べたところ、火事にあう前からあった池なので古池と呼んだのではないか、という仮説を立てたのは聞いたことがあります。

 5歳の子が俳句に興味を持ってきたので、付き合っているうちに俳句中枢が活性化してきてこの説を思いついた。
 ちなみに全ての会話を上の調子、五七五で話していると
「パパが俳句で生きている」
「こわいよー、いつものパパがいい」
とまた嫌われてしまいました。

 なお、うちの子の句

 太鼓持ちの才能があるかもしれない。

 もちろん5才の子だから「季語」なんてのは分からない。だけど10才の方には季語の話をしてあげた。俳句は日本人の共通理解に訴える詩形だ。ポイントとなるのが季節である。そのために季語が必須なんだと。その意味で最も俳句らしい俳句と僕が思っている

朝顔に つるべとられて もらひ水
 を解説した。でも困った。井戸のポンプはばーちゃんの実家にあるのだが、つるべが説明できん。
 やむを得ず取り出したのが、ディズニー「白雪姫」の祈りの井戸。
 俳句はやはり国際的なものなのか?でもアングロサクソンなら迷わず朝顔のつるを切るだろうなあ。(この俳句が日本人の共通理解に訴えるところがあるからこそ、日本は先進国中稀にみる緑豊かな国になったのだ。)
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