「古炉奈」閉店によせて

 秋葉原の名喫茶「古炉奈」が閉店した。最終日にコーヒーを飲みに言ったことはいうまでもない。2,3人くらい顔見知りがいても、と思ったが見つからず。その代わり、顔の知られていない有名人が沢山いたのだろう。
 この窓から見下ろすと、いつもニコニコと小走りに重い荷物を抱えている人がいたなあ、と思いながらも案外あっさりした気分。この街で学んだことはWebのおかげで随分還元したからなあ、そろそろホームページを作ってから10年である。

 ところが、今のアキバ文化の中心「萌え」というのを私は理解していなかった。もしやとは思っていたが「けいおん!」が少年漫画であると知らなかった。ついでに言うとあんなに人気があるとは思わなかった。駅から降りて最初に見たコスプレが平沢唯である。ビル1つテーマ曲で満たされていたところもあった。でもリアリティへのこだわりはないみたいだ。アソビットシティ。キャラクター人気投票。「民間人」と書いたからには「田井中 律」だろう。
 「田中」というのは徴兵逃れのために変造した苗字である。だから「一般人」ならともかく「民間人」という表現を使うなら彼女がまずカウントされるべきだ。舞台は京都だが、大阪から通っているという設定であれば説得力2割増し。

 そんなことどーでもいいじゃないか。だと思う。しかしこういう脊髄反射をして滅茶苦茶こだわるのが秋葉原だったような気がするがどうだろう。萌え系はこだわりがなさすぎる。「澪は俺の嫁」で検索するとなぜ60万件もヒットする!ひとりで書き込んだわけじゃないだろ。惚れた女への想いを他人の言葉で綴る、そんな感覚でいいのか。澪が好きならやけどしそうなほど熱く吼えてみろ、それがロックだ。え、ロックじゃなくて軽音だ?
 でも「けいおん」はディテールへのこだわりと、それを評価する人と、これを機会に音楽を始めるならこうすれば、と励ます人がいて、それはそれでいい雰囲気だ。澪の使っているヘッドフォンがAKG K-701ではなくて601という説、私も賛成。アニメの澪の頭蓋骨だと、多分頭頂部が痛い。(ここまで観察しているということはつまり、澪がかわいいことは認めている。ストレート&ロングは永遠の憧れ。といいながら自分は首から肩のラインに強く反応するので、カッティングのときに浮き上がる平沢唯の肩の動きを高く評価。)

 「かわいい」は分かるが、どうしても「萌え」が理解できないので、理解できない説明をする。理解できないものが理解できない理由をどうやって説得力をもって説明するか、私だって自信はない。がこれでどうだ。

 私は「萌え」が分からない。なぜなら「手料理」というフレーズにときめいたことがないから。
 「萌え」は「手料理」にときめく感覚の延長、合ってる?なら理由は説明がつく。母親が料理が上手いからである。姉がすごい美人だからである。ニョーボがツンデレ系だからである。コスプレをした可愛い娘の手を引いて秋葉原を歩いたことがあるからである。だから他人の手料理に期待したことはない。
 なんと恵まれた奴!でもないぞ。母親が作るより上手い飯を食べたことがなく、姉より美人に出会ったことがなく(除く芸能人)、ニョーボよりいい嫁さんになりそうな奴に会ったことがない。おかげで人生そんなにときめかない。それでも例えばニョーボとはけんかばかりしている。この圧倒的な現実の前には「だったら〜だろうな」と夢を膨らませることは不可能である。これでは「萌え」を理解しろといわれても無理だろう。長女より可愛い女の子を見たことがないのは無条件にいいことだが、こいつもなかなか言うことを聞かず、すぐすねくるので閉口している。別に平安女子高の制服を着てレスポール持っているところ写真に撮らせてくれとお願いしているわけではないのに。あ、そーそ、うちの子くせっ毛なんだわ。天使の輪は見えません。萌えポイントは相当落ちると思うがどうだろう。

 ニョーボも天才ではないが料理は上手い。ある日、中華なべでジャガイモを炒めているのを見て問うた「何が出来るの?」「いま考えている。」
 うちのニョーボにはこれがデフォルトらしく、ジャガイモは畑や時期によって全然違うから、切って、炒めて、堅さとかを見てからそれに合う献立を考えるんだそうだ。さすが農家。(戸籍上は普通のサラリーマンの家庭に育ったのだが、ばあさんの影響が強い。)
 本人の弁によると、野菜類が収穫期には食べきれないほどとれるので、それをいかに大量に消費するかが料理のポイントなんだそうだ。従って大根の銀杏切りはしない。出汁に溶けてしまいそうなほど細く切る。銀杏切りは、少ないものを多く見せるための切り方なんだそうだ。
 これに対して母親は見事な銀杏切りをする。限られた食材をやりくりしておいしい物を作るのがコンセプトのようだ。燃料も節約するタイプだったんだろう、中まで火が完璧に通って、一切の焦げ目がないギリギリの火加減をあたりまえに見切っている。たしか元士族である。というわけで当方は豊かな農家と貧乏士族の料理を食べ比べた結果「上部構造は下部構造に依存する」ことを腹と舌で覚えてしまった。つまり食材の豊かさという下部構造が、調理法という文化を決定してしまうのだ。うん、やはりマルクスは偉い。

 といいながら母親は料理の天才なので、一般に拡大することは難しいかもしれない。実は肉を全く食わないのだ。しかし肉料理の味付けを外したことはない。おかげで私は天才の判断基準の1つを見つけることができた。適当に対処しても完璧に出来るのが天才。慎重に分量量って味見してフィードバックかけて、なら僕でも何とかなる。ひとんちにある味噌を適当にあわせたら、完璧な味噌汁になっているのが天才なのである。
 あー、もう一度喰いたい。
 現在母親、骨を折って入院中。エコノミー症候群のひどいのを併発して肺に達した血栓がなかなか溶けないらしい。(こういう事情なので思い切りの自慢話、勘弁してください。)

 萌え、というのが相当現代的な感覚なのかな、という気はする。以前は殆どなかったものだ。澪の使っているフェンダー、ジャズベース左用はバカ売れしているが、Aria Pro 松本伊代スペシャルが売れたという話は聞かない。そりゃショッキングピンクのあれ、弾かないから買わないよなあ。といいながら左用のベースを弾く人が急に増えたとは思えない。松本伊代は武道館でコンサートを開いている。では「けいおん!」が武道館をいっぱいにできるか?
 アイドルとはいえ生身の人間。アニメの方が感情移入が激しくできる、これが萌えという感覚なのかとおもうと、現実の人間に萌えることもあるらしい。まあ、対象がやんごとなき方のお嬢様に限られるのなら話は別かもしれないが。
 未来少年コナンのヒロイン、ラナを理想の女性像とする人はいるらしいが、では「ラナは俺の嫁」で検索してもない。なぜラナには萌えない。やはり最近になって忽然と現れた感覚なのか?萌えは。

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