桃太郎の真実

 ウチのガキは根性がない、というか大脳新皮質がないので、少し分からない問題があるとすぐに「わけわかんないよー」と騒ぎ出す。
 問題文を見ると「果樹園に桃とぶどうが8:5の割合で植えられています。来年は桃畑の3割をぶどう畑にします。桃とぶどうの畑の割合は何対何になるでしょう」。こんな問題でビービー騒ぐとは、子どもを叱った。「わかんないよー、じゃ足りない。桃の木を引っこ抜いた後ぶどうを植えてもすぐに実が付くわけではない、その場合ぶどう畑と認めるのか、ということを指摘して、そこまで具体的に理由を挙げて、だから分かんないよー、なら理解する。ようするにツッコミが足らん!」
 騒いでいたガキも落ち着き、ようやく教えられる状態になった。自分で言うのもなんだが私はフォローが上手い。この辺の親の苦労を子どもが理解できるようになるのはいつのことだろう。とっさにこれが出るのはかなりの大脳新皮質の発達ぶりだと思うんだが。

 あるオペラ歌手が陣痛に耐えかねて思い切り叫んだそうな。声がいいので周囲はうるさいと感じなかったようだが、息を使いすぎて子どもは酸欠で生まれてきたとか。あなたが上手なのは認めるけど、それでも時と場合によっては思いもしなかったところに影響があるということだろうね。。。こういうとたいていの人が和む。

 おっと桃の話だった。(いつ桃の話になっていた!)
 中国人と話をしていたとき、日本の桃はおいしくない、という話になった。だいたい「パカっと割れる桃」がないのが不満だそうだ。確かに孫悟空の仙果も桃の形をしているし、桃は中国人にとって誇り高きものなのだろう。しかし桃が割れるとは・・・そうか、だから桃太郎は桃をパカっと割って出てきたのだ。桃太郎は中国の話だったのか。確かに桃太郎の性格は日本人っぽくない。というわけで、日本人らしい桃太郎の話をつくってみた。

うつくしい桃太郎
 むかしむかしあるところに、うつくしいおじいさんとおばあさんがいました。
 うつくしいおじいさんは山へ柴刈りに、うつくしいおばあさんは川へ洗濯に行きました。
 さて、おばあさんが川を見ると、あまりにもうつくしく、とても洗濯で汚すなんて、と思いました。ふと洗濯物を見ると、洗濯物もとてもうつくかったで、なんだ洗濯しなくてもいいんだとおもいました。
 ふと川の上流を見ると、大きなうつくしい桃のようなものがドンブラコッコドンブラコッコと流れてきました。美しい光景におばあさんはしばらく見とれていました。
 家に帰っておばあさんは「もう心が洗われるような光景でしたよ」といいました。おじいさんは「なんだ、洗濯をしなかったというけれども、心を洗ってきたんじゃないか。」
 人の心の美しさには限りがないんだなと、おばあさんは思いました。

いやしい桃太郎
 むかしむかしあるところにいやしいおじいさんとおばあさんがいました。
 おじいさんは山のゴルフ場に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきまいた。
 おじいさんは芝を刈りながらロストボールをくすねて、それを売り小遣いを稼いでいました。
 さて、おばあさんが川で洗濯をしていると大きな桃のようなものがどんぶらこっこ、どんぶらこっこと流れてきました。おばあさんは一人で食べようと桃を割ると、中にいた桃太郎があらかた食べつくしていました。(桃に見えたのはももたろうの卵。)
 怒ったおばあさんは、ももたろうを切って食べてしまいました。
 血色のよいおばあさんを見て、おじいさんは言いました。ひとりでおなか一杯になって、どうしたんだい?「今日の稼ぎを出せば、おしえてやるよ。」

 桃太郎を食べちゃいました、は話の展開を加速する意味でやむをえなかったとはいえ、確かに日本人離れしているかもしれないが、おおまかにはこんなものだ。これではぜんぜん話が進まない。これに対して、日本では美徳とは言われない「大胆さ」を前面に出すとこんな話になる。

大胆な桃太郎
 むかしむかしあるところに大胆なおじいさんとおばあさんがいました。
 大胆なおばあさんは大胆にもビキニを着て川に入り洗濯していました。
 すると大きな桃のようなものが流れてきたので、大胆なおばあさんは「ちぇすとー」と気合を入れて手刀で桃を割りました。
 なかから桃太郎が出てきて川に落ちました。
 大胆なおばあさんは、流される桃太郎をおいかけ、助け上げました。おぼれた桃太郎にマウスツーマウスの大胆な人工呼吸をすると桃太郎は息を吹き返しました。
 「まま」桃太郎は言いました。
 以上より、桃太郎は大胆でなければ話が続かないということになった。

 後半、たった1人と3匹で鬼が島に乗り込むのも考えてみれば大胆な話だ。

 ついでにもう一本作ってみた。

 おばあさんが桃を割ろうと鋼を当てた途端、桃は王子の姿になりました。
 「助けてくれてありがとう。私は悪い魔法使いに桃の姿に変えられていたのです。」

 げっそりしたくなる話だが、後半、主人公だからという理由で鬼が島に乗り込んで宝を強奪しても正当化される姿はとてもグリム童話的だ。本当は西洋の話だったのかもしれない。
 では日本人らしいところはないのかというと、黍団子というアイテムをゲットして、パーティを組んでゆくところなど、とても日本的だ。桃太郎こそが元祖RPGだったようだ。そうすると、RPGと中世的場面設定がなじみがよいのも納得できる。

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