荒城の夏

 今年に関して言えば、それほどコドモの宿題の修羅場がなかった(正確には父親に波及しなかった〜自由研究ネタは用意しておいたのに〜)のでなんとなくつまらない。エンドレスエイトのハルヒの心境か?
 エネルギーがあまったので、自分の宿題を解こうと思った。

 以前も書いたけど、現代国語の最難問。「荒城の月」の夏と冬の歌詞を作れという奴。とりあえず解けたけど納得してなかったのよ。
 これ、一緒に提出した人は(提出しただけ偉いという先生の評価ではあったが)ひどかった。城が舞台になってないのが普通。昔の城が舞台になっただけ、私のはまだましだったわけ。でも採点に乗る程度。(それでも僕だから結構なものは書いていたけども。)

 なわけでずっと気にかかっていたのだ。今になって完成させたくなった理由は「夏休みの宿題に俳句を詠ませる」という嫌な慣習への反感もある。つまり「暑い」としか感じられない夏には、季節感必須の俳句はとても作りにくいのだ。ろくに訓練も受けてないコドモに対し、この時期に俳句を詠ませるのは弊害の方が大きい。「まんま」の句しか出てこないのだ。

朝起きた 今日もとっても 暑いなあ
といった感じである。宿題相談サイト見てたらすごいのがあったぞお
そらみれば いなびかりが かがやいた
 まさにまんまですね。俳句にするには共通の体験を呼び起こさなければならない。そのためには「季節感」の援護をもらうのが手っ取り早い(これが「季語」である)。というわけで添削。
遠雷に 押され駆け出す 家路かな
あるいは
遠雷に 追われて駆ける 家路かな
 俳句っぽいでしょ。前者だと家の最寄り駅まで帰ってきて、外に出ると雷の音、慌てて走り出す、というイメージだし、後者だと田んぼのあぜ道を走っている、というイメージ。

 ということで、荒城の夏、を完成させることにより、いかに困難かを証明したかったのだな。というわけで、夏、城では何をやっていたのだろう。想像、想像、想像。なぜ当方が今回俳句を話のマクラに持ってきたのかここでわかる。

夏草や 兵どもが 夢のあと
このイメージだ。

 というわけで

夏、戦勝の 無礼講
手柄の数を 笑いあう
夏草ぞ知る 友の夢
昔の光 いまいずこ
 「夏」と「夏草」がかぶるが許せ。城内のにぎやかさから、ふっと視点を外に移すことによって、犠牲者を暗示しわびしさを垣間見せてから、「昔の光」とくるところなど中々のものでしょ。月は明示的に出ていないが、春も秋も同じだ。

 冬は困った。どうしても「人」が活動している雰囲気が希薄なのだ。ましてや「月」を感じさせるシチュエーションだと。だから書けなかった。が、ふと気がついた。「冬」は「春夏秋冬」の最後。時間的に一番最後。だから現代まで、とはいわないまでも栄華の時代の後まで時間軸をずらせても、そんなに違和感はない。あとから時間を巻き戻す必要がないからだ。
 かくして

冬 月光の 雪景色
櫓も屋根も 覆われて
朝には溶けて 朽ちた塀
昔の光 いまいずこ
 雪景色と月明かり、絶妙のバランスの醸し出す美しさを示して、それは雪が見せた幻、あるのは「荒れた城」と歌う。いまひとつ感はぬぐえないが、とりあえず合格点。すくなくとも「荒城の月には夏と冬の歌詞もあった」という都市伝説の元になる程度には仕上がった。。。あ、無理か。都市伝説は「実は死んでいた」「裏には残酷な話があった」という色付けが必要だからね。

 エンドレスエイトでない方のハルヒがこれを読むと、なんともいわず嫌そうな顔をしそうだ。

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