それも声優

 ゴーストタウンにある図書館で、声優と俳優の違いについて調べてみた。
 ふうん。私が気が付いたことを指摘している人はいなさそうだ。
 なら書いておく価値はあるかも。

 アニメで「それが声優」というのが始まった。みなの夢を素直に応援してくれる漫画家の畑さんが絵を描いているということで見てみた。(次の一段落、若干ネタバレ含みます。)
 主人公は新人の声優。ロボットの「ピポー」という声を当てる役をやったのだが、そこはマンガ。しっかりと失敗。捨てられたオモチャのロボットが残り少ないエネルギーで訴えようとするその気持ちは、、、と役回りを考えすぎて空回りしたようなんだな。

 見ていた私「普通にやればいいじゃん」。笑いどころとはいえこの人は何を考えているのだ。声優は「どう聞こえるか」が肝心であって、役作りなんぞ二の次では、と思ったのだ。
 そこが俳優との違いだな、という感想を持ったところで、果たしてみなさんそう考えているのだろうか?と調べたのが冒頭のシーン。なになに、声だけで伝える声優は俳優以上にたいへんなところがあります、ってか?
 否定はしないよ。でもポイントは伝えることではない。つまり「どう表現するか」でなくて「どう聞こえるか」なのだな。もちろん俳優だって「どう見えるか」を気にする必要はあるが、どっちかというと自分の内面から何を出して伝えるかにウェイトがかかる。声優は外からどう聞こえるかを気にすればいい。役作りなんていらない場合すらある。逆に何もしない方がいいかも。原作がある場合など読者・視聴者のキャラクターへの思い入れが既にできているわけだから、それを邪魔しない方がいいって意味だ。キャラクターの大部分は絵で表現されている。あとは思い入れを実現するためのパーツとしての役割を果たせれば十分なのだ。ようするに小柄のツンデレ美少女キャラは釘宮理恵が声を当てればとりあえずそれで足りてしまうのだ。

 もちろん、役作りが必要な場合もある。最初に思いついたのは「おジャ魔女どれみどっかーん」の未来さん。たった一話だけしか出てこないが、それが人気投票第一位の回。その後のストーリーの転換点。基本的に主人公のどれみと未来さんの2人しか出てこない。これほど重要なキャラが、視聴者の予断の全くない状態で登場するのだ。だからこの人の声は「女優」がやった。どれみの声優千葉千恵美の声は確かにいい。私は大好きだ。しかし、原田知世の静かな語りにまるでかなわなかった。
 あるいはアニメ映画なんぞの場合は、いきなりキャラが登場だから俳優的な考えがいるだろう。しかしさすがはジブリ。「崖の上のポニョ」所ジョージのキャラ、山口智子のキャラをうまく使いましたね。日本語版は国内だけで通用すればいいのですからこれで十分です。
 さらに極端な例もある。声優の声がなければ決して成立せず、あの人の声でなければならないのだが、ファンにとっては圧倒的にキャラクター>>声なので、声の主がイベントの舞台あいさつにさえ現れないそうな。あのひとどんな顔しているんだろうね。(そういや釘宮理恵もあまり顔は見ない)。誰だかわかります?藤田咲さん。つまり初音ミク。

 さて、きっかけとなった「ピポー」の声、自分で出してみました。親からもらい山籠もりで鍛えたよく通る声。発語の直後、自然と丹田の下が震えた。どうしてそうなったか自分で考えてみた。そこそこ意志を持つ機械として動いたつもりだったようだ。なんとか声を出して気を引こうとしたが、電池残量はごくわずか。すぐに不安定になりプツッと切れてしまったわけだ。そのとき出た声は音量的にはそれほどでもないが、大きなビブラートがかかったので気が付くに十分な説得力があり、そして機械として弱っている状態もよくわかるものだった。
 何か足りないですか?これ以上のものは必要ですか?声優を目指す人が聞いたら怒るかもね。あくまで無意識の産物。でも癪に障るほど理屈は通っているだろう。

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